〈僕はこんな店で食べてきた〉

ずわいがにの季節が到来

秋から冬はおいしい食材が山盛りの季節。ふぐ、鴨、かにも続々解禁となり、わくわくすると同時に、ふところの心配もしなくてはならない(笑)。

写真:GettyImages

なかでもずわいがには冬の代名詞。かつては「越前がに」と「松葉がに」くらいしかブランドがなかったが、いまでは「津居山がに」「大善がに」「間人がに」「加能がに」「柴山がに」「浜坂がに」など、水揚げされた漁港ごとにブランド名がつけられ、タグによって判別されるようになっている。

 

さらに福井県は、越前がにの中に最高ブランド「極」を設け、甲羅幅14.5cm以上、重さ1.3kg以上、爪の太い箇所の幅が3cm以上、身が詰まっていて足が折れていないなど、厳格な基準をクリアしたものだけが、そのタグをつけることができる。

ふくい、望洋楼
ふくい、望洋楼   写真:お店から

僕は残念ながら「極」を味わったことはないが、東京で越前がにを食べるなら表参道の「ふくい、望洋楼」が一番だろう。

柏原 光太郎
ふくい、望洋楼   出典:柏原 光太郎さん

福井きっての老舗料理旅館の東京店だけに、料理人の腕前も抜群。数ある越前がにの中でも抜群のものが届き、店の前の水槽に鎮座している。

 

 

ブランドごとの味わいの違いとは?

しかし、実際のところブランドごとの味わいはどう違うのだろうか。

 

20年ほど前に一番もてはやされたのは、間人がにだった。京都府京丹後市の間人港でのみ水揚げされるかにを指すのだが、間人港はかにの漁場が比較的近く、出航したら短時間で漁獲できるため新鮮であることや、船団の数が少ないことから少量しか獲れないために「幻のかに」といわれ、同じずわいがにのブランドの中でもめっぽう高値で取引されていた記憶がある。

bottan
麻布 幸村   出典:bottanさん

間人がにのコースといえば、京都の「高台寺 和久傳」が有名だが、東京で食べたいと思ったら、まっさきに名前が挙がるのが麻布十番の「麻布 幸村」。和久傳で修業した主人の店だからかもしれないが、開店当時から間人がにを食べられる店として有名。だが、いまや一見の予約は至難だろう。

 

 

プニプニ51
と村   出典:プニプニ51さん

僕がブランドがにに興味を持ったのは、10年ほど前に日本料理「と村」の大将と話をしてからのことだった。現在は虎ノ門にあるが、当初は赤坂で、移転先が決まったばかりのころ。どんな調理器具を置いたらいいかという話を常連を交えてしていたとき、大将が「かにを茹でる専用釜を置きたいんですよ」と話し出したのだ。

 

当時、と村が取引をしていた京丹後の魚屋では毎日、雌のせいこがにから茹ではじめ、どんどん大きなものを茹でていく。と村が買う一番大きなかにの出番になるころには茹で汁にはかにのエキスが充満し、それを使って茹でることで、旨味が逃げないのだという。だから、かにと一緒にその茹で汁を京丹後から取り寄せ、店で茹でるための専用釜を設置すれば、同じ環境で食べられる、というわけなのだ。

 

 

戸村さんはその志を貫徹し、虎ノ門移転に際しては専用釜を設置。そこで茹でられたかには絶品だった。そして、その話に興味を抱いた僕はあるとき、わざわざ京丹後市を訪れ、その魚屋を見学に行ったのである。

 

店に入ると奥に専用ステンレス釜があり、休む間もなくかにが茹でられていた。そのわきのスペースでせいこがにを一匹ほおばり、幸せな気持ちになったことを覚えている。

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羽衣荘   出典:masat04さん

その晩は、魚屋主人におすすめいただいた「羽衣荘」で松葉がにのフルコースを食べた。冷凍は一切使わない、設備にかける分を料理にかけるのが信条の料理旅館で、なるほど東京なら倍以上の金額だろうなと思う内容だった。

 

 

さて、ずわいがにに似たかにに紅ずわいがにがある。ずわいがにより深海で獲れ、味わいは多少劣るといわれるが、より安いのがうれしい。漁獲量の多い富山湾を持つ富山県では「高志の紅ガニ」というブランドを作り、近年売り出し中だが、この紅ずわいがにとずわいがにの交配で生まれたのが「黄金がに」。

 

ずわいがにの身入りの良さと紅ずわいがにの甘みを兼ね備えた“いいとこ取り”として脚光を浴び始めているが、僕がそれをはじめて食べたのは祇園にあった日本料理店だった。今はもうないが、花見小路の路地にある割烹で、大将が「こんな大きなかにが入ったんですよ」と満面の笑みで見せてくれたことを思い出す。

柏原 光太郎
鮨 さえ喜   出典:柏原 光太郎さん

今年、はじめてずわいがにを食べたのは解禁日の翌日、銀座の「鮨 さえ喜」だった。大阪から銀座に乗り込んできた大将が見せてくれたのは、新潟のタグがついた大型のずわいがに。「日本料理に最高の季節がやってきたな」としみじみ思った。

 

 

文:柏原光太郎