〈食べログ3.5以下のうまい店〉

おいしいもの好きのあの人に「食べログ3.5以下のうまい店」を教えてもらう本企画。今回は、連載「森脇慶子のココに注目」でおなじみ、フードライター・森脇 慶子さんがおすすめする、浅草の古民家風フレンチ「テランガ」をご紹介。

教えてくれる人

森脇 慶子

「dancyu」や女性誌、グルメサイトなどで広く活躍するフードライター。感動の一皿との出合いを求めて、取材はもちろんプライベートでも食べ歩きを欠かさない。特に食指が動く料理はスープ。著書に「東京最高のレストラン(共著)」(ぴあ)、「行列レストランのまかないレシピ」(ぴあ)ほか。

知る人ぞ知る浅草の実力派フレンチ「テランガ」

一見レストランとは思えない店構えがむしろ目印とも言える「テランガ」

田原町駅から歩いて数分。大通りに面していながら、それと知らなければ、よもやそこにレストランがあるとは思えない古民家風の佇い。ここが「テランガ」だ。食べログの点数は2025年3月の時点で3.22だが、口コミを覗いてみれば絶賛のコメントが多数寄せられている。いわゆる本当は知られたくないタイプの名店だ。

 

森脇さん

イタリアンの有名シェフが行きつけにしていると聞いて初めて訪問して以来、すっかりその味とシェフのお人柄に魅了されてしまいました。

看板らしい看板もなく、外観は素っ気ないほど控えめでありながら、引き戸を開ければセピア色をした異空間へと引きこまれる。顔が映り込むほどに磨き込まれたピカピカの木の床、一枚板のカウンターは10席。天井にはアンティークな照明が下がり、太い木の梁が施されている。

雰囲気たっぷりの店内は、グラスやカトラリーひとつ一つにまで中村シェフの美学が宿る

荷物入れには籠の代わりに、今では見ることも殆どない特注のつづらが置かれ、かと思えば、フランスの蚤の市で買ったという年代ものの泡立て器が窓際を飾っている。和と洋が混然としながら、不思議に違和感はなく「テランガ」という一つの小宇宙を作り上げているのだ。それも、ご主人中村幸司シェフの美学が隅々にまで貫かれているからにほかならない。

店主がフランスの蚤の市で購入したという泡立て器コレクション

「自分の好きなものを集めていたら、自然とこうなっていったんです」。気負うことなく、ポツンと呟くようにそう話すご主人の中村シェフは、福井出身。子供の頃から料理が好きだったそうで、武蔵野調理師学校を卒業後、今は無きフランス料理店、恵比寿「ル・プレジール」でキャリアをスタートする。その後、沖縄のクラブメッドのオープンスタッフとして海外の人と触れる機会を得た後、再び上京。「ハルヤマシタ 東京本店」で和食に触れ、27歳で渡仏。パリを中心に、4年間研鑽を積むなど多彩な経験を積んできた中村シェフに一つの転機が訪れる。帰国後、友人の紹介で大使館付きの公邸料理人としてセネガルに赴くことになったのだ。この時31歳。

 

森脇さん

まるで昭和の世界にタイムトリップしたかのような温かみと懐かしさが入り混じった店内は、全国各地から廃材を取り寄せ、一軒家を古民家風に改築したそうです。

「大使館では、和食とフレンチを組み合わせた料理を作っていました。セネガルは、アフリカ西海岸に面していて、思いのほか魚介に恵まれていましたね。マグロやクエ、タコなどは普通に手に入りましたし、ウニも取れました」と中村シェフ。野菜はテニスコート2つ分ぐらいの敷地を畑にし、自ら野菜を育てていたとか。それゆえ、食材に対するストレスはあまり感じなかったそうで、その経験により、今、手元にあるもので何を作るか考えるという柔軟性が培われたのかもしれない。

近頃ではほとんど目にすることのなくなった、まん丸の可愛らしいバター。写真奥の洗濯板のようなバターマルメで作る。これを懐かしがる年配の常連も多いそうだ

中村シェフによれば「大使は単身赴任だったので、会食の時は料理だけでなくテーブルコーディネートからちょっとした室内装飾まで手がけていました」とのこと。空間作りのセンスの良さは既にこの頃から発揮されていたようだ。3年間の赴任の後、ベトナム大使館の公邸料理人の引き継ぎ役を務めて帰国。37歳で、ここ浅草の地に「テランガ」をオープンさせた。今から11年前のことだ。ちなみに店名は、セネガル語で“温かな歓迎”や“おもてなし”を意味する言葉だそうだ。

店主の中村幸司シェフ

料理はおまかせのコースのみで、アミューズからデザートまで含めて全8品が出る14,300円のコースと、それにフォアグラ料理と生ハムの一皿がつき、デザートが2品になる19,800円の2種。量的には14,300円の方でも充分満足できるが、せっかくならここの名物の一つとも言える生ハムは食べてみたい、という向きには、14,300円コースに生ハムの皿をプラスという裏技も可能だ。

春のコースは花畑のような前菜の一皿からスタート

前菜

菜の花と唐墨をあしらったグジェールから始まる春のコースは、春野菜が満載。中でも季節感を満喫させてくれるのが1皿目の前菜。そら豆やスナップえんどうにこごみやタラの芽等々野菜の緑が目に初々しい。まるでお花畑か菜園のような鮮やかさに食べる前からテンションが上がる。料理を運びながら、中村シェフがこう説明してくれた。

春野菜の下にはタルタルとブッラータチーズが潜んでいる

「春野菜の下には自家製マヨネーズで作ったタルタルとブッラータチーズが入っているので、全体をよく混ぜて召し上がってください」。言われた通り、器の底から掬い上げ、チーズとタルタルを共に口に運べば、クリーミーに野菜を包みこむソースのバランスが絶妙。ともすれば、他の味を抑制してしまいがちなマヨネーズだが、ブッラータチーズと合わさることでマヨネーズ感が相殺され、ソフトでまろやかなソースとなって野菜の風味と混ざり合う。シェフのセンスがうかがわれる逸品だ。

目の前で1枚ずつ手切りして提供される、名物「生ハム」

生ハムをスライスするのは、ともに厨房に立つ松原史(ふみ)さん。客として来て以来、店に惚れ込みスタッフに

そして、名物の生ハムが登場。カウンターに置かれた真っ赤な生ハムスライサーは、生ハムスライサー界のフェラーリとも言われるベルケル社製。これで一枚一枚薄くスライスする生ハムも、中村シェフが数ある生ハムから選び抜いた一品。曰く「塩分、水分量、熟成感のバランスが一番しっくりきたのが、秋田県柴田畜産の『あっぷるとんの生ハム』でした」とのこと。

生ハムは、りんごを配合した飼料で育った豚「あっぷるとん」を使用

この「あっぷるとん」とはりんごを配合した飼料を食べて育った豚のことで、栄養価が高く身質も軟らかでジューシーな豚なのだとか。「あっぷるとんの生ハム」は、これを原料に添加物は一切使わず、独自の製法で12カ月以上熟成させて作りあげた、いわばクラフト生ハムだ。

「生ハム」(プラス1,600円で、14,300円のコースに追加可能)

ここでは、その生ハムをゲストの目の前で一枚一枚手切りにし、季節のフルーツ(取材時はいちご)と合わせるおなじみのスタイルのほか、タルトフランべにアレンジ。中村シェフによれば「骨の周りや付け根の部分など硬いところを、薄く伸ばしたパン生地にのせて焼き、アルザスのタルトフランベ風にしています」とのこと。パリパリの香ばしい生地にカリッと焼けた生ハムの食感が軽快に合わさり、思わずワインを呼ぶおいしさだ。

季節のフルーツと合わせたり、タルトフランベにアレンジしたり。定番の生ハムにもシェフの手腕が光る

また良きアクセントとなっているのが玉ネギ。白ワインで蒸し煮した赤玉ネギやヨーグルトをあしらうなど細やかな味の詰め方が、何気ない一皿を味わい深いものに仕立て上げている。

ふんわり焼き上げた鰆と黒米の食感が楽しい季節のおすすめ「鰆のポワレ」

「鰆のポワレ」

「『ここの料理は食後感が軽いね』と、常連の方からよく言われるんです」と語る中村シェフの言葉通り、どの皿も実に軽やかだ。魚料理の「鰆のポワレ」も然り。オリーブオイルで優しくふんわり火を入れた鰆に合わせたのは、フレンチ風のソースではなく黒米。

優しい火入れによりふっくらと焼き上がる鰆

一見、ワイルドライスのような黒米には香味野菜を混ぜ、白ワインやビネガー、マスタードで調味。やや酸味を帯びた味わいと鰆にのせたハーブの香りが、味の余韻にメリハリをつけている。バターやクリーム等の乳製品は極力控え、素材本来の持ち味をできるだけストレートに表現する——それが、中村シェフの意図するところのようだ。

ハーブの香りづけを施すことで余韻のある味わいに昇華

フランスの伝統菓子に一捻り加えたご褒美デザート「ウフ・ア・ラ・ネージュ」

「ウフ・ア・ラ・ネージュ」

このあと、肉料理が出てデザートは「ウフ・ア・ラ・ネージュ」。あの「ポール・ボキューズ」のスペシャリテでもあったフランスの伝統菓子を、中村シェフ風に一工夫。旬の柑橘類を合わせて、クラシックながらもモダンなテイストにアレンジしている。

優しい甘さのメレンゲと柑橘の酸味のベストバランスを楽しめる

コースの終盤にはシェフからバリスタに変身?!

そして最後にぜひ体験したいのが、中村シェフが自ら入れるコーヒータイム。コーヒー豆こそ自家焙煎していないものの、近所に点在する自家焙煎コーヒー店からお気に入りの豆を購入。注文の都度ひいて入れてくれるのだが、そこは本格派の中村シェフのこと、その道具への思い入れも半端ではない。

中村シェフ愛用のコーヒー器具

まず、コーヒーミルが3種。そしてコーヒードリッパーも同じく3種類を用意。それぞれ焙煎の違いや豆の種類によって使い分けているそうで、例えば浅煎りは細びきのミルでひき、高温で入れる一方で、深煎りなら粗ひきのミルを使い低温で入れるといった塩梅。

ドリッパーにしても、濃く深い味を出したい時はネルドリップのような味わいを再現してくれる「KONO式ドリッパー」を、また、すっきりときれいな味にしたい時は「HARIO・V60」をメインに用いているそうで、喫茶店でもここまでこだわっている店はそうそう見かけない。

コースの締めに登場するのはシェフ自ら入れるコーヒー

料理から調度品、そしてこまごまとした雑貨に至るまで、何一つおざなりにすることなく中村シェフの思いが散りばめられているものの、ともすればこだわりの店にありがちな自己顕示欲は全くない。ただ好きなものを集めただけ。そんな自然体な空気感がここならではの居心地の良さを生み出している。

※価格はすべて税・サービス料込

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https://www.instagram.com/tabelog/

撮影:外山温子

文:森脇慶子、食べログマガジン編集部