フードライター・森脇慶子が出合った“大当たり”の新店

長年、こういう仕事をしていると、新店の開拓にはちょっと慎重になる。開店早々出かけたものの意気消沈してしまうことが、これまで幾度となくあったからだ。舌に信用のおける仕事仲間からの情報や知り合いのシェフの推薦、あるいはそのお弟子さんの独立など情報収集のメソッドは様々だが、詳しい情報が入ってこない場合も往々にしてあるもの。この店良さそう、とフェイスブックなどで見かけても、どんな店なのか詳しく知る術もなく、一か八か、とりあえず行ってみるしかない――。そんなハラハラする思いで出かけた店が大当たりだったときほど嬉しいことはない。

 

吉祥寺の四川料理店「中國菜 四川 雲蓉(ユンロン)」も、まさにそうした一軒。「仙ノ孫」の早田哲也シェフと「銀座 やまの辺」の山野辺仁シェフがフェイスブックでシェアしていたこの店の記事にふと目が留まったのがきっかけだった。だが、ネットでの写真はランチメニューばかり。夜の様子が皆目見当がつかない。百聞は一見にしかず。そこで、足を運んでみることにした。

場所は、東急百貨店の横手。オーダーメードの老舗印鑑屋さんのお隣……と思ったら、「実は隣の印鑑屋が実家で、そこを半分リフォームしたんです」とはご主人の北村和人さん、37歳。

料理好きの父親と母親の影響で、自然と料理人への道を歩み始めたそうだ。高校時代、いまは無き吉祥寺「桃園」でのアルバイトを皮切りに中華ひと筋。その後、原宿「龍の子」で3年、山の上ホテル「新北京」で5年修業。

 

28歳の時に、縁あって念願の四川へと武者修業。成都の名店「芙蓉鳳花園酒楼」に入り、師と仰ぐ温星氏のもとで約2年半、四川の伝統料理をみっちりと学んだ。帰国後は「中國菜 老四川 飄香」をはじめ都内数店で働いたのち、去年の12月23日、ようやくオープンに漕ぎ着けたというわけだ。

通いたくなる理由は玄人好みの豊富なメニューにあり

まず、アラカルトメニューの豊富さに胸が弾む。そして、マニアックなことこのうえない料理名の数々に目は釘付け! 魅力的な料理があまりに多すぎて、あれも食べたいこれも食べたい症候群に陥り、頭の中がまとまらない。

 

「雪花鶏淖」(銘柄鶏のふわふわ炒め 金華ハムの香り)
「芙蓉魚肚鶏片」(銘柄鶏と魚の浮き袋の濃厚白湯煮込み)
「経典回鍋肉」(本場四川のホイコーロー)
「回鍋甜焼白」(もち豚と小豆あんの糯米蒸し 回鍋肉技法で炒めて)
「来風水煮魚」(旬魚と中国野菜の四川風激辛煮込み)etc……etc。

 

いやはや吉祥寺のはずれ、町場中華風の小さな店で、こんなにガチな四川の伝統料理に出合えるとは!

「恩師である温先生は、伝統料理をもったいぶって出すのではなく、誰もが気張らず食べて貰えるような店を目指していました。僕も、そうありたいと思っています」。きっぱり、そう言い切る北村さん。少しでも多くの人に知ってもらいたい、そんな思いから料理のベースとなるスープ類は言わずもがな、豆板醤や酒醸(チュウニャン)などの調味料まで手作り。しかも、値段もぐっと抑えめだ。

辛いばかりが四川料理ではない。マストオーダーの一品はこれ

「雪花鶏淖」1,980円

例えば、写真の「雪花鶏淖」(温先生直伝! 銘柄鶏のふわふわ炒め 金華ハムの香り)。一見して、どこに鶏がいるの?と思われるだろうが、皿にこんもりと盛り付けられたふわふわのおぼろ豆腐状態のものが、実は鶏肉。鶏の胸肉とささみを、ペースト状になるまでひたすら包丁で叩いて叩いて叩きまくること約2時間半!

 

これだけでも気が遠くなりそうな作業なのに、何とその前に「胸肉やささみのスジも1本1本爪楊枝で取り除いていく」ひと手間も欠かせないそうだから、まさに根気との戦い。こうして滑らかなペースト状になった鶏肉に、卵白とほんの少しの片栗粉、そして清湯スープを少しずつ少しずつ肉に吸わせるようにして炒めていく――。

そう書けば簡単そうだが、これがまた至難の業。豆腐のように純白かつふわふわに仕上げるためには、火加減、スープの量と加えるタイミングが大切。熟練の技が求められる逸品だ。これほどの手間暇で、1皿(2〜3人前)1,980円。申し訳ないくらいである。口に入れれば、やわやわと蕩け優しく滋味豊かな味わいが心に沁みる。辛いばかりが四川料理ではないことを舌で納得するはずだ。

「麻婆春雨」

けれども、やっぱり四川料理は辛口。麻辣のガツンとくる味をお好みなら、麻婆豆腐もいいが、ここでは「麻婆春雨」も見逃せない。通常、具は豚挽肉に刻みネギ程度、味付けのベースは豆板醤に甜麺醤か砂糖あたりが常道だろう。だが、ここでは、甘みはほぼ加えず隠し味に黒酢を加えて味を引き締めるほか、共に炒め入れた自家製空芯菜の浅漬けが実にいい仕事をしている。

浅漬けとはいえ、古漬け状態になった5年ものの空芯菜の液を浅漬けにも加えているため、乳酸発酵ならではの酸味が奥行きのある旨味を醸し出している。ご飯が進むこと請け合いだ。

 

また、圧倒されるのは魚料理の豊富さだ。それもいわゆる炒めものや揚げ物と言った単純な料理ではない。「豉椒蒸魚」(黄豆豉と青唐辛子の四川強火蒸し)や「魚香脆皮魚」(サクサク揚げ発酵唐辛子甘酸っぱいあんかけ)などなど、他所ではなかなか見られないメニューに食いしん坊心がそそられる。

「来風水煮魚」(旬魚と中国野菜の四川風激辛煮込み)

迷った挙句、「旬魚と中国野菜の四川風激辛煮込み」のメニュー名に惹かれて選んだのが、ご覧の一品。「来風水煮魚」だ。水煮牛肉は、最近よく見かけるものの、水煮魚はまだまだ珍しい。魚は、長崎五島列島から放血神経締めの鮮魚を取り寄せているそうで、この日は、400gの赤ハタ(魚は100g 800円〜)。

真っ赤に染まるスープのベースは、注文の都度さばく魚の頭や骨。これらを、ネギやしょうが、紹興酒で強火で煮込むこと約10分、白濁したスープに下味をつけた赤ハタを投入。続けて豆板醤、泡辣椒(唐辛子を乳酸発酵させた調味料)に自家製火鍋の素で辛さを加え、更に貴州の唐辛子など3種の唐辛子も足し、辛味と共に唐辛子ならではの鼻に抜けるような香りの高さを表現している。そして、皿に盛り付けて完成! ではない。まだ、仕上げのひと仕事が残っている。

魚の上に、花椒粉と石臼挽きの唐辛子2種をかけ、そこに180度までカンカンに熱した油を上からかける。いわばここで即席の辣油を作るわけだが、その瞬間のジュワッという快音と立ち上る芳香が素晴らしい。目にしみるような香りに包まれつつ味わえば、想像通りの辛さが口中を覆う。一瞬、毛穴が全て開くようなストレートな辛さにもかかわらず、不思議と軽やかなのだ。

ズーンと味蕾の底にまで染み込むような重いものではなく、辛さにボディはありながら、どこかふわっと軽く、魚自体の味が決して失われていない。そう、ちゃんと風味が生かされているのだ。そこに、鮮度の良い魚を使えばこその北村シェフなりの配慮があるのだろう。伝統料理をリスペクトしつつ、日本の素材に合わせた仕上がりにする。老四川と現代の融合を目指す北村シェフの思いが伝わる佳品だろう。

「内江牛肉面」1,480円

その他、有頭大海老がドカンと丸ごと登場する、想像をはるかに超えた「本場四川の海老チリソース」(2尾)や四川省内江地方の和牛スネ肉のスパイシーな牛肉麺「内江牛肉面」、大分の天然スッポンをオーガニックのナツメ等々とじっくり蒸しあげた“スッポンの蒸しスープ”(写真)など日替わりの「滋味功夫湯」、「重慶式ピリ辛レバニラ」に「ラム肉スパイシー炒飯」等々、日替わりメニューを加えれば、優に50種類はくだらない。

「滋味功夫湯」(本日の薬膳蒸しスープ)1,280円

これらを、一人でこなす北村シェフのバイタリティにも拍手を送りたい。小さい店ゆえ、予約をしてからが賢明だろう。

 

※価格はすべて税抜

 

取材・文:森脇慶子
撮影:外山温子