【森脇慶子のココに注目】「フロリレージュ」

外苑前の裏路地のそのまた奥に、隠れ家のようなフランス料理店「フロリレージュ」が誕生したのは2009年6月のことだ。それから15年。川手寛康オーナーシェフは、絶えずレストランの今を見つめ、自らの心の赴くままに、真摯に食材と料理に向き合ってきた。

川手寛康シェフ

2015年3月、同じ外苑前に移転した新店舗は衝撃的だった。地下に下り、扉を開けるや目の前に広がる臨場感たっぷりのカウンター。その迫力とライブ感には、当時、誰しも目を奪われたものだ。厨房をぐるりと取り囲むそのスタイルは、劇場型レストランとして一世を風靡。フードロスや環境問題など、サスティナブルな観点からアプローチしたその料理は国内外のフーディらの支持を受け、2018年にはミシュランの二つ星を獲得。その後「世界のベストレストラン50」にもランクインを果たすなど、活躍の場を世界へと移していったことは周知の事実だろう。

その川手寛康シェフが、盛況のまま外苑前の店を閉め、次なるステージへとステップアップした。移転先は、今、話題の麻布台ヒルズ。商業施設内とはいえ、駅よりやや離れたビルの2階、奥まった場所に建つ端然とした佇まいは、それまでのフロリレージュの趣と変わらない。

写真:お店から

扉を開けると、前店同様正面にレセプションがあり、 ダイニングは通路を通った更にその奥。それほど長くはないものの、このアプローチがこれから始まる非日常のひとときへの期待感を一層募らせる。店内に一歩入ると、落とした照明の中、13mひと続きの長いカウンターのようなテーブルが目に入る。前店のようにドラマチックな趣ではないが、よりシックに気を張らず、静かに食をたしなみたいと考える大人のフーディがよく似合う。

写真:お店から

「ターブルドットは、昔からの夢だったんです」。開口一番、こう語るのは川手寛康シェフ。ターブルドットとはフランス語で、直訳すれば“主人の食卓”という意味とか。一つのテーブルを囲み、その場に居合わせた人々が、空間を共有し同じ料理をいただく、フランスなどではよく見られる食事風景だ。ただ料理を味わうというだけでなく、料理が作られていく様子を見ながら会話を楽しみ、レストランで過ごす時間のすべてを享受しようというものだ。なるほど、ターブルドットスタイルになり、シェフとの間隔がグッと狭まると共に、以前にも増して和やかな空気が店内に漂っているかのようだ。

川手シェフが新たな挑戦として選んだのは“プラントベース”のコース構成

このターブルドットと並んで、川手シェフがここで新しく挑戦しているのが“プラントベース”。野菜を中心としたコース構成だ。川手シェフがこう語る。「世界のベストレストランに選ばれ、各国のシェフたちと交流したり、海外で料理を作ったりする機会も多くなって気がついたのは、魚介や和牛などの日本の食材を海外で手に入れることが、今はたやすくなってきているという事実でした。そんな状況下で、自分らしい料理を表現するにはどうしたらよいかと考えた時、思い至ったのが野菜だったんです」

「白菜」

確かに、流通が劇的に発達した現在、その土地ならではの食材を使うことでオリジナリティを出すのは、以前に比べて難しくなってきたことは否めない。そこで、川手シェフが目を向けたのがVegetable。野菜である。「僕自身、歳を重ねてきて、昔に比べるとライトなものを好むようになってきたことも理由の一つ」と川手シェフは笑うが、その野菜へのアプローチは実にユニークだ。

「白菜」の一皿は、発酵白菜の絞り汁を注ぐことで完成する

例えば、白菜の一皿。白菜は、10日~2週間ほどかけて自然発酵させ、中にはフロマージュブランのババロアやサヨリの昆布〆、松の実のローストに金柑のジャムが巻き込まれている。純白の器に楚々として佇むロール白菜に注がれたのは透明の液体。その正体は、なんと発酵白菜の絞り汁。沖縄在来種の柑橘「カーブチー」の果汁も加え、塩味を調節。風味も爽やかに仕上げている。

ナイフを入れた断面もまた美しい

発酵白菜、中華で言うところの酸菜が、アプローチの仕方次第で、見事なモダンフレンチの一品に変貌。川手マジックによってイメージを一新させている。

「こごみ」

次に登場した新緑の山を思わせるグリーン一色の一品は、こごみが主役の一皿。より香りが立つようソテーしたこごみは4~5月が旬。シャキッとした中に僅かなぬめりを持つその食感に抑揚をつける名脇役が稚鮎のタルタル。そのほろ苦さとクレソンの爽やかな苦みが季節のハーモニーを奏で、口福をもたらしてくれる。

鮮やかなグリーンが美しい「こごみ」の一皿は、森林浴気分を味わえそうなビジュアルも魅力

一方、大根はパイ包みに。思えば、魚や肉のパイ包みはよく目にするものの、野菜のパイ包みはあまり聞いたことがない。そこで、川手シェフは大根をコンフィにし、パイ生地で包んでフリットに。

「大根」

ナイフを入れるや、サクサクのパイ皮の中からペースト状の大根が顔を覗かせる。そのややとろみを含んだ軟らかさと揚げパイのサックリした食感のコントラストが実に美味。どこか大根餅を思わせるテイストに合わせたのは、煎り酒のソースとクレソンのオイル。

パイの上で輝く食材の正体はトンブリ

パイの上にのせたのはキャビアと思いきや、実はトンブリ。ことさらに高級食材や珍しい食材を追い求めるのではなく、大根や白菜といった日常的に手に入るおなじみの食材を使って「こんな食べ方、味わいもあったの!?」と思わせる逸品に仕上げる。そこに川手シェフが目指すオリジナリティがあるのだ。中華や和、時にはメキシカンとグローバルな視点を取り入れつつも、着地点はきちんとフランス料理に落ちつかせる川手シェフの手腕のほどはさすが。あくまでも自分はフレンチの料理人——という川手シェフの自負を感じずにはいられない。

主役となる食材は少なく仕上げも一見シンプルだが、一皿を構成する要素は複雑かつ緻密。見えない細緻な手間ひまと味へのアプローチが唯一無二の味わいを生み出している。ディナーのコースは全9〜10品で22,000円。

※価格は税込、サービス料別

撮影:大谷次郎

文:森脇慶子、食べログマガジン編集部