食べログフォロワー数2トップが緊急対談! 平成のグルメシーンを振り返る

【第2回】平成、それはシェフがスターになった時代

「包丁一本さらしに巻いて」のフレーズで有名な歌謡曲「月の法善寺横丁」がリリースされたのは昭和35年。戦後しばらくは料理人の地位が低く、アパートを借りるにも苦労したほどだったという。そんな日陰の存在だった料理人がスターへの階段を一気に駆け抜けたのもまた、平成という時代であった。

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伝説のTV番組「料理の鉄人」がもたらしたこと

−−平成の食を語るにあたって、平成51993)〜111999)年までフジテレビで放送された『料理の鉄人』は欠かせませんよね。

 

柏原 川井さんは企画にも関わってましたよね。

 

川井 そう、やってましたね。フレンチの石鍋裕さんや坂井宏行さん、中華の陳建一さん、日本料理の道場六三郎さん(※1)などの鉄人に、ゲスト出演のシェフが挑戦するスタイルで、鉄人も挑戦者もものすごい注目を浴びてた。

柏原 イタリアからはジャンフランコ・ヴィッサーニさん、フランスからはピエール・ガニェールさんやアラン・パッサールさんなど、料理の世界史におけるレジェンドたちまで出演していて、のちには海外でも大人気に。すごい番組でした。でも、この番組を考えたプロデューサーに聞いたら、もともとはプロレスの異種格闘技を料理界でやりたい、というのがコンセプトだったそうです。当時はフレンチと中華など、違うジャンルのシェフが話をすることもない時代。対決するなんてとんでもないと言われ、「負けたら補償してくれるのか」と詰め寄られたこともあったそうですよ。

 

−−当時、調理師専門学校の生徒さんに「憧れの料理人は?」と聞く機会があったのですが、9割が道場さんと答えていたのが印象に残っています。

 

川井 香港などでは元々そうだったけど、この番組の影響で以前は店名でレストランに行っていたのが、みんな、料理人目当てに行くようになったんだよね。

 

柏原 料理人がスター化した最初の契機ですね。これはフレンチや中華のメインストリームがホテルから街場でオーナーシェフが営む店へと移って行った現象とも重なります。そして日本料理も含めて、レストランがディフュージョン店を出すように。

 

川井 小山裕久さんが主人の高級料亭「青柳」(※2)が、ワインバー的要素もある「ばさら」をアークヒルズや六本木ヒルズに出したり。フレンチでは石鍋裕さんの「クイーン・アリス」、三國清三さんの「オテル・ドゥ・ミクニ」もカジュアル店を展開して、シェフによる高級ブランドが広く浸透する役目を果たしました。

 

−−ドメスティックだけでなく、世界的な名店が続々、東京に店を開いたのも同じ頃ですか?

川井 ざっくりと言えば、そうじゃないかな。フレンチでは平成6年(1994年)にオープンしたジョエル・ロブションさんとパリの「タイユバン」がタッグを組んだ「タイユバン・ロブション」、平成16年(2004年)にアラン・デュカスさんがシャネルとコラボした「ベージュ東京」、17年(2005年)の「ピエール・ガニェール・ア・東京」。中華だと今は銀座にある北京の宮廷料理「厲家菜(レイカサイ)」が平成15年(2003年)、六本木ヒルズでオープンしたんだよね。

 

−−たとえるなら、ジョン・レノンやミック・ジャガーのような海外のビッグスターがお店を開いたわけですから、そこに行くことがすごいステイタスになっていて、高級店にもかかわらず、どのお店もオープンからしばらくは大人気で予約が取れませんでした。

 

柏原 予約が取れないブームのきっかけは、夜のコース2,000円台の安いプリフィクス(※3)じゃないかな。フレンチでは「オー・ムートン・ブラン」や「パザパ」が先鞭をつけて、「レストランキノシタ」や初期の「ル・マンジュ・トゥー」も人気だった。イタリアンでは今でも予約困難な落合務さんの「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」(※4)など。低価格で気の利いたお店が増えたおかげで、レストランに行くという行為が非日常から日常のものになりました。

「パザパ」の外観。今尚、多くの人から親しまれているフレンチ。 出典:Challenger18さん

川井 こういうカジュアルな店でもあの頃は、おまかせコースで出てくるフレンチなんて、ほぼなかったんだよな。

 

柏原 平成21年(2009年)に日本上陸を果たした『ミシュランガイド東京』で、いきなり3ツ星を獲得した岸田周三シェフの「レストラン カンテサンス」の、何も書いてない「白紙のメニュー」くらいからですかね、おまかせコースがすっかり定着したのは。プリフィクスはあらかじめ決まった予算で安心して食べられるように。おまかせコースは、食材を絞り込むことで原価率を下げ、かつ、よりよいものを提供できるようにと。どちらもお店のサービス精神から生まれたものであることには変わりませんが。

「レストラン カンテサンス」の白紙のメニュー 出典:ぴーたんたんさん

−−なるほど。

料理人が「なりたい職業に」

 

柏原 それから寿司に代表されるように、老舗が強い分野でも変革が起こりました。「あら輝」の荒木水都弘さんや「鮨かねさか」金坂真次さん、「さわ田」澤田幸治さんなど、平成初期に昭和40年代生まれの職人たちが次々独立して若きスターとして脚光を浴び、今の寿司ブームにつながるきっかけをつくったのではないでしょうか。

 

川井 今はそんなスターシェフたちの下で修業した料理人が、新たなスターになっている。「くろぎ」黒木純さんを筆頭に「京味」西健一郎さんの弟子たち、「神楽坂 石かわ」石川秀樹さんの下からは「虎白」小泉功二さんなど。

 

−−中華では四川で修業を積んだ「飄香」井桁良樹さん、デンマークやノルウェーで修業した「クローニー」春田理宏さんのように、これまで珍しかった地域から本場の味を持ち帰るシェフも注目されています。

 

柏原 シェフの国際化もありますね。海外発のガイドブックの日本版が次々出版されるに従い、日本人シェフの存在が海を超えて知られるようになりましたから。

 

川井 それもシェフのスター化を後押ししてるよね。昔は生活が厳しいからやむを得ない理由で料理人なる、という人がいたのが、今では「なりたい」と憧れる人が就く職業にもなった。しかも相当にクリエイティブな仕事だし。すごく日本の誇りにもなってきていて、僕らも嬉しい。

 

【平成を知るためのキーワード】

1 道場六三郎 人気番組「料理の鉄人」にて、初代「和の鉄人」としてレギュラー出演した日本料理人。27勝3敗1引き分けと、圧倒的な強さで一躍有名に。料理人の凄さを広く認知させた功労者である。

 

2  青柳 小山裕久氏の日本料理店。「かんだ」神田裕行氏、「銀座小十」奥田透氏、「龍吟」山本征治氏を筆頭に、数々の日本料理人を輩出したことでも知られる。

 

3  プリフィクス 均一価格で、前菜、メイン、デザート、ドリンクなどが提供され、決まった選択肢から好きなものをチョイスできるというスタイル。1990年代、フレンチレストランを中心に大人気となった。その先駆けである「パザパ」「レストランキノシタ」は今も健在。

 

4  ラ・ベットラ・ダ・オチアイ 前菜、パスタ、メイン料理のプリフィクスコースを3,800円で食べられる、という当時でも驚異のコスパで「予約の取れない店」の代表となったイタリアンレストラン。現在も同じ値段(税込で4,104円)で提供し、相変わらず予約も難しい。

 

 

撮影:松園多聞(対談)