腹六分目、非グルメの欲なき食欲

人を良くすると書いて、食。   本来は「亼」と「皀」から成り立っており、ごちそうを皿に載せて蓋をした状態を意味するらしいのですが、ここでは情緒を感じる“人を良くする”方の「食」について、元総理大臣の「人・良・食」を聞きました。

聞く人

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福田 淳(ふくだ あつし)ソニー・デジタルエンタテインメント社長。 ㈱ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントで、スカパー!衛星放送「アニマックス」・「AXN」を立ち上に関わり現職に至る。 日経BP チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー2016受賞(Presented by Cartier)

答える人

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細川 護熙(ほそかわ もりひろ )肥後熊本藩主だった細川家第18代当主。第79代内閣総理大臣。神奈川県足柄下郡湯河原町にある自邸「不東庵」(ふとうあん)にて作陶、書、絵画などを手掛ける。現在は襖絵制作を中心に活動中

元総理大臣のアルバイト!?

福田、以下・福 今日は元総理大臣である細川護煕さんにお時間を頂いて、ざっくばらんに細川さんの現在の活動や、食にまつわるあれこれ、例えば幼少期における「食」に関する思い出をお聞かせいただきたいと思っています。

 

 

細川、以下・細 私は3歳のときに母が亡くなっているので、“お袋の味”という思い出は全くありません。そもそも、われわれの幼少期時代は、戦前から戦後にかけて、ろくなものを食べられない時代でした。お弁当の中身がジャガイモだけというのもよくあったし、小学6年生ぐらいになって補習授業の後で、初めて「美味しくない硬いパン」を食べた記憶があります。

 

 

 そんな時代の中で、あえて、唯一子供のころの楽しみだったものを挙げるとすれば、ふと思い浮かぶものは何でしょうか?

 

 

 あえて挙げるとすれば、父がどこからかもらってきてくれた進駐軍のチョコレートでしょうか。でも本当に昔から正直なところ、食に対しての興味がそれほど強くないんですよね。   例えば、学生の頃も喫茶店のコーヒー1杯で、ひたすら何時間でも友人と語り合っていましたし。

 

いまでも美味しいものを食べにわざわざ遠くまで足を運ぶことはないですねぇ。だからこの取材もお断りしたのですが、編集長の執念と熱意に根負けしました(笑)。  細川さんは60歳のときに世俗を絶ちたいと、湯河原の不東庵に生活拠点を移され、20年近く「晴耕雨読」の生活を送られていますが、日々の暮らしはいかがですか。

 

 

 「晴耕雨読」ということは、いわば閑居暮らしですが、「閑」という字は門に木と書いて「閑」となりますね。門にカンヌキ(閂)をかけて門から外に出ないという意味なのです。

 

絵を描くようになってからは東京のアトリエに週の半分は行っていますが、週末の金曜日の夜から月曜日の朝までは湯河原へ帰っています。

 

閑居といいつつも、不東庵ではやることがたくさんありますからね。   現在は、薬師寺慈恩殿の壁画を制作しています。主題は「東と西の融合」で、2016年末に北側の正面が書き終わり、年明けから残りの東西と南の面を描き始めます。全長約160メートル、制作日数は約5年という壮大なプロジェクトです。完成は2年後の2019年春を予定しています。

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2017年初頭に開催された日本橋三越での障壁画展にて

 

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創作中の細川氏

 

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愛用の画材

 

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奈良・薬師寺慈恩殿に納める障壁画(部分)

 でもこれだけでなく、その他にも“アルバイト”をやっているものですから。

 

 

 アルバイトですか? 元総理大臣とアルバイト、これまた意外な組み合わせですね(笑)。

 

 

 それは冗談ですが、そのひとつは日本食の柱である「お米」を中心に展開している企業からの御要望で、本社の吹き抜けのフロアに制作している壁画です。四方8メートルの壁に、棚田の春夏秋冬の風景を墨絵で表現したものです。

 

 

 四方8メートルとは、凄まじい……。こんな大仕事のアルバイトは聞いたことないですけども(笑)。現在は“アーティスト”としての細川さんの活動が多いですか?

 

 

 はい、芸術活動の時間がほとんどですね。反原発とか3.11の被災地に苗木を植えるプロジェクトなどもしていますが、ほとんどはアートの時間です。そういう意味で、最近は「晴耕雨読」の生活はお休みです。   _mg_0009    私もIT業界という騒がしいところに身を置いているので、リタイアした後の暮らしを考えることがあります。私は「精進百撰」という本が大好きで。   著者の水上 勉さんが、心筋梗塞で倒れたのをきっかけに、退院後の小諸の山居生活で畑と相談しながら作った精進料理の数々が、美しい写真で紹介されている。素晴らしい本です。

 

 

 私も水上さんとはお付き合いがあったのですが、彼はとてもインプレッシブな方です。印象的だったのは、彼の寝る前のひと言は、「おやすみなさい」ではなく、「さようなら」なんですね。   棺桶みたいな木製の箱のなかで寝ていらした。「今晩、死ぬかもしれない。明日の朝、死ぬかもしれない。」という気持ちで一日一日を精一杯生きておられたからでしょうか。

 

 

 それは本当に徹底されていますね。実際、水上さんは小諸での生活になった後も、長い間お元気だったということで、やはり自然のなかに身をおくことは魂を自由に解放し、和らげ、休養させてくれる効果があるのかもしれませんね。

 

 

 そうですね。私も2019年までは少しバタバタしてしまいますが、2020年の東京オリンピックまでには作品を仕上げて、また湯河原に戻り、自然の中で晴耕雨読の生活を送りたいです。

食生活の基本は「腹六分目」

_mg_0172  細川さんの普段の「食生活」はどのようなものですか?

 

 

 私の食生活の一番の基本は、なるべく「食べないこと」です。「腹八分目」ではなく、「腹六分目」を心掛けています。

 

 

 食のインタビューで、「食べないこと」というのは面白いですね(笑)。斬新なアイロニーですが、それもまた“真なり”という感じもします。

 

 

 ですので、先程も申し上げましたが、このインタビューはお断りした方が良いのでは? とお話があったときそう申し上げたんです(笑)。

 

食べ過ぎは本当に身体に悪く、健康に悪影響を与えると思っていますから。   ただ、そうは言っても会食が続いたりすることがあるので、その次の日は大抵1日ファスティングや半日断食をして調整をしています。そして「晴耕雨読」を旨としているので、できるだけオーガニックに近づける工夫をしています。

 

 

 細川さんのような「食べ過ぎない」という決意を、実践するのはなかなか難しいですよね。しかも畑で野菜を自分で育てるだけでなく、ふりかけやドレッシング、もちろん、器までご自身の手で作られている。すごいこだわりですよね。

 

 

 私は「ワンプレート主義」なんです。家族は東京に住んでいて、湯河原にいるときの食事はひとりが多いので、準備も片付けも簡単にできるワンプレートでできるだけ通しています。   内容は玄米中心のご飯で、一汁二菜か三菜。一日に食べる量は1.5食。少食かつ質素な食事が日々のルーティーンです。

 

 

 細川さんのように食の持ちうる限りの可能性を模索しながら、ミニマライズされた丁寧な暮らしをする。食と誠実に向き合う方法を考えさせられます。   私は先日、山形県のPRの仕事で初めて山伏体験をしたのですが、断食などの過酷な修行の後に食べたわずか少量のご飯とたくあんがとても美味しかったことが印象的です。やはり胃が「空っぽ」だから染みるんでしょうかね。実は「姥捨山」があるのも山形県なんですよね。

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山伏修行体験塾での福田氏
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断食など十界の行や滝行などを体験する事ができる

 「姥捨山」といったら長野県にもありますね。そこは私の思い出の場所でもあります。中学生の頃、友人と電車の中で将棋に夢中になっていて妙高の方に行く予定が姥捨の方に行ってしまったんです。戻る電車もなかったので、月の照るホームで、一晩中、将棋をやった(笑)。

 

しかし、そのときの満月が棚田に反射して輝いていた景色がとても綺麗で美しく、あの感動は今でも忘れられません。先ほどお話した「棚田の四季」を描くために、もう一度、60年ぶりに姥捨を訪れましたが、駅も風景もあまり変わってない印象でした。

 

 

 ふたつの姥捨山から、意外なエピソードですね。細川さんの作品はご自身の思い出からなる、心象風景を描かれているともいえるかもしれませんね。

生涯最期の日に食べたい一品は?

 「生涯最期の日に食べたい一品は?」と聞かれたらなんとお答えになりますか。

 

 

 それはその日になってみないと分かりませんね。そういう状況になったときの食欲はちょっと想像がつかないですから。   ただ死が迫ってきたら、「自分の意思を持ってコントロールしながら、だんだん食を絶って安らかに死んでいく。」というのが理想とする最期の姿です。

 

 

 最期は「ゼロ」の状態で完結するというのは、ある種の美学かもしれませんね。私はこの「生涯最後の日に食べたい一品」を何気なく京都のタクシー運転手に聞いたことがあるんです。すると彼はそのとき「家内が作りたいものかなぁ。」と仰ったんです。生涯最後に食べたいものがずっと暮らしをともにしてきた奥様の作りたい食事、これには感動しましたね。主語が自分ではない、という。

 

そうやって考えると、細川さんが大切にされているのは環境や自然といった広い概念の中にある「食」のような気がします。そういった意味で“主語が自分ではない”「欲なき食」。その捉え方は新しいですよね。

今後の細川さんが志す生き方とは?

福  金儲けや物質的・個人的な野心の充足を追い求める人もいる現代社会で、細川さんはそういったものを脱却して、世俗と離れた「晴耕雨読」の生活を送っておられます。今後の志す生き方を別の言葉で何か表現するとどうなるでしょうか?

 

 

 やはり、「跡無き工夫 —削ぎ落とした生き方—」でしょうか。人は所有するものが多ければ多いほど、かえって本当の豊かさを失ってしまう。人生を緊密に生きることを常に腹中に置くこと。食だけでなくライフスタイルもできるだけ己の欲を薄くして、あるいは少なくして、つまり寡欲、薄欲に生きたいですね。 _mg_6164 P.S といいつつも、きっとグルメな一面はあるはずだと執念に燃える編集部は「一人でもわざわざ赴くお店」を3度にわたる取材で、ようやく聞き出してきた。   それが麹町の「プティフ・ア・ラ・カンパーニュ」。   長年通い詰めているということで、なんと、湯河原の「不東庵」にもカレーをテイクアウトして常備していたりすることもあるのだとか。細川氏が食欲をそそられる店を知ることができて、よかった。本当によかった。

 

 

P.P.S 4度目の取材で、実は細川氏にはお気に入りのお店に「細川コース」なるものがあるのだということが分かった。お店ごとに好みの品があり、それで細川氏が「あのカラスミの……」とか「あのシラスの……」というだけで細川コースが出てくるそう。   中には代々、祖父の時代から通うお店もあるということで、そこは「障子が破れて」いたりずいぶん雑然としたところもあったりするらしいが、絶品なのだそう。またしつこく聞いてみることにするので、乞うご期待!

 

写真/Hiro Kimura @W