本田直之グルメ密談―新時代のシェフたちが語る美食の未来図

食べロググルメ著名人として活躍し、グルメ情報に精通している本田直之さんが注目している「若手シェフ」にインタビューする連載。本田さん自身が店へ赴き、若手シェフの思いや展望を掘り下げていく。連載7回目は銀座「有涯(ウガイ)」の藤井亮悟シェフ。伝統と革新を融合させた懐石料理を若き感性で創出する新進気鋭の若手シェフが描く未来の展望とは?

料理のためならどんな努力も惜しまない若き才能

左:藤井亮悟さん、右:本田直之さん

本田:今までインタビューを受けたこと、あんまりないよね。

藤井:こんなにちゃんとした形式は初めてです。うまくしゃべれるかどうか。

本田:大丈夫。よろしくお願いします。詳しい経歴を教えて。

藤井:料理を始めたのは15歳からです。父がもともと日本料理の料理人で、小さい頃から身近に“食”がありました。とにかく勉強が苦手で、高校へ行くよりは料理をしたいと思い、料理人になろうと決めました。最初は大阪のホテルにある和食レストランで修業を始め、その後、京都や大阪の料理店、何軒かでバイトをしていました。

本田:東京に出てきたのは?

藤井:17、18歳ぐらいの時です。修業を始めた店の大将に一度は東京を見た方がいいと言われて、和食レストランを紹介してもらったのがきっかけです。東京で働いた後、箱根の旅館に併設されている料亭で3、4年ほど住み込みで修業をさせていただきました。

本田:その後が「有涯」?

藤井:その前に神楽坂で会員制のお店を持たせていただきました。それから、今のオーナーに声を掛けていただいて、「有涯」をオープンしたのは2022年12月です。

本田:その時は何歳?

藤井:オープンした時は23歳です。

本田:すごい! 和食は寿司に比べると修業期間が長いよね。どうやって乗り越えたの?

藤井:極端ですけど、休まず寝ずに修業しました。10代の頃は、本当に一日も休んだ記憶がないぐらいです。東京にいる時は、朝、築地の鮮魚店に行って魚をおろして、それから店に行って仕込みに入るみたいな生活をずっとやっていました。全ての時間を勉強に費やしましたね。専門学校に行ってないので知識も技術もなく、できないことが多くて、卵を割ることすらできなかった。父に頼んで大根のかつらむきやだし巻きなどを教えてもらうこともありました。できないことが少しずつできるようになっていくのが楽しかったですね。

本田:料理人を目指す前から、何か料理に関することをやっていた?

藤井:父と一緒に魚をおろすなどはやったことがあります。子どもなので身がボロボロになりました。その時は楽しいというより、無理やりという感じで。15歳から修業を始めるまではちゃんと取り組んでいたわけではありません。

本田:お父さんが本格的に料理しているのを、子どもの時に体験しているのは強いよね。

藤井:味覚は鍛えられました。

本田:特に料理人は、子どもの時に味覚を鍛えているのは強いよね。勉強が苦手で料理人になろうと思ったと言ったけど、料理も結局、勉強だよね。すごく勉強したんじゃないの?

藤井:料理を通してなら勉強も頑張れました。箱根では自分のポジションの仕事が終われば、残りの時間は自由に過ごせたんです。だから、早く終わらせて、買ってきたお茶菓子や洋菓子の本の1ページ目からお菓子を作っていました。読んで勉強するというよりは作れるようになりたくて、載っているお菓子を全部作って制覇しました。

本田:料理の基礎ができたのは箱根?

藤井:技術的な面では箱根が一番大きかったですね。

本田:どういうポジションで働いていたの?

藤井:最初は八寸場。その後、板場と煮方を兼任させてもらいました。店に入ったばかりの頃は10代で、厨房には20代前半や後半、30代前半の先輩たちがいましたが、飛び越して、やらせてもらっていました。

本田:何でそこまでできるようになったわけ? アピールしまくった?

藤井:しまくりましたね。先輩たちに噛みつきまくりました。僕の方ができるよって。干されそうになったくらいです。でも、大将が僕を買ってくれていて。「だったらやってみろ」というスタンスでやらせていただきました。

本田:やらせてもらったら、結果は出さないとね。魚をさばく練習は築地で?

藤井:東京で働いていたレストランの系列店です。そこでは、ほとんど水洗いや売り込みばかりしていました。閉店後、売れない小魚をトロ箱で1,000円くらいで買って、家で全部をおろして、毎日、練習していました。

本田:わざわざそういう店を選んだのは、魚の扱いに詳しくなりたいから?

藤井:「かつらむきやだし巻きは上手だけど、君、魚、何もおろせないよね」と店で言われて。魚をおろせなかったら、そもそも板ができない。板ができないんだったら、煮方もやらせられないと言われたのがすごいショックでした。だったら魚をおろせるようになりますと言って、働かせていただきました。

本田:自分が足りないところを見つけて、スピードをかけて補っていく。いろんな人を見ていて思うのは、考えて修業する人と、言われたからやっているだけの人とでは劇的に差がつく。和食の修業は通常10年ぐらいかかるけど、店で学ぶだけでは足りないことを必死で補っていけば飛び級できる。それをやったということだね。

藤井:とにかく早くお店を持ちたかったので。

本田:だいぶ早いけどね。