【僕はこんな店で食べてきた】

「いい店、うまい店」にすぐにたどり着けない時代があった

1980年代、「入るのが怖い店」に連れて行かれる

いまは情報が平準化し、食べログを見れば場所も値段も雰囲気もわかるから誰でも好きな店に行ける。が、1980年代は、店は存在していても、若造は入ってはいけない店というものがあった。フランス料理店やイタリア料理店にはあまりなかったが、和食というジャンルには確実にあった。
寿司屋はその典型で、食べログもミシュランもない時代は、銀座の寿司屋のカウンターで好きなものを注文したらいくら取られるのか、まったくわからなかった。当時はいまのように、おまかせやコースという便利なものが開示されていなかったからだ。

だが、それより前に、暖簾をくぐることを許される雰囲気がまったくなかったから、恐くて入ろうにも入れなかったというのが正しいだろう。
銀座の雑居ビルの奥にある割烹もそう。こういう店はいくら金があろうとも、しかるべき人に連れて行ってもらわなければ入ってはいけないものと決まっていた。
現在たまにネットで、その手の店に初めて行った若い客が料理の内容に比して法外に高い値段を取ると批判する記事を見るが、店からすればその値段は一見客が入らないための煙に巻く方便でもある。
常連客のほうも、知り合いしか来ない店の居心地の良さを享受するためには、高い値段を払うことは当たり前と考えているから成り立つわけで、いわゆる「コスパ」とは無縁の世界というわけだ。

もちろん、いまは誰にでも平等に情報は開示されているから、そんな繰言を言ってもしょうがないのかもしれないが、僕の若い頃はそんな店がまだまだ多かった。メディアには情報すらなかったから、口コミに頼るしかない。だから当時、そういう店に連れて行って下さったのは、多くの先輩方だった。

かつての「かっこいい客」の定義とは?

いまも現役の業界の大先輩には、ひょんなことで知り合いになって以来、さまざまなところへ連れて行っていただいた。

西麻布の鍋割烹「さぶ」、飯倉片町の仏蘭西料理「まっくろう」、原宿の割烹「重よし」、銀座の割烹「大羽」、六本木の割烹「酒飯庖正」あたりが彼のテリトリーで、どこも一見では入ってはいけない雰囲気の店だった。

さぶは現在、息子さんに代替わりし、六本木に移転した。寿司屋で修業した先代が始めた鍋の店で、当時は西麻布交差点の近くの喫茶「アマンド」の2階にあった(アマンドもいまはない)。
お造り代わりに小ぶりな寿司が出た後に鍋となる。夏は鮑のしゃぶしゃぶ、冬は鮟鱇鍋、通年ですっぽん鍋を出すが、大先輩は鮟鱇鍋の季節にいつも誘ってくださり、僕も雑味がまったくない鮟鱇鍋が大好きだった。写真誌全盛の時代には、口の堅い主人の人柄で多くの芸能人が集まり、僕もずいぶん、活字にできない芸能人カップルと遭遇した。

さぶ あんこう鍋 出典:柏原光太郎さん

まっくろうは美人マダムが取り仕切る店で、料理はその日に出せるものをマダムとやりとりしながら決めていく。小川軒で修業したシェフは本格的フランス料理から洋食までこなし、常連であればあるほど「今日はハンバーグがいいな、目玉焼きものせてくれる」とわがままを言えるのが、この店の特徴だ。僕はご馳走になったことしかないので偉そうなことはいえないが、たぶん口座を開くことを許された「請求書」の客しか予約ができなかったのだろう。

そう、当時の「かっこいい客」はいまのようにシェフと通じていて困難な予約が取れる人ではなく、現金を持たずにはしごできる、サインだけで帰れる客だった。
まっくろうもマダムが亡くなるとともに2005年に閉店した。その遺志を継ぎ、当時のシェフをいだいた店が西麻布の「コット」「サロン・ド・グー」。どちらもまっくろうの常連がオーナーの店だが、コットは隠れ家的な雰囲気で、サロン・ド・グーは大きな店だが、客同士が顔が射さないようになっている。どちらかといえば、後者のほうがまっくろうのスノビッシュな雰囲気を味わえる。

コット 出典:ガレットブルトンヌさん
コット 内観 写真:お店から

 

サロン・ド・グー 出典:マル*サトシさん
サロン・ド・グー 外観 出典:マル*サトシさん

原宿「重よし」はいまも健在。僕は新橋「京味」と並ぶ日本料理の名店だと思っているが、京味の華やかさに押されて、いまはあまり名前が出ないようだ。だが、いぶし銀のうまさは変わらず、粋な高齢の客がちょいとカウンターに座って一時間ほどつまんで帰る。

重よし 出典:サプレマシーさん

その大先輩はいまもお元気で、たまにお誘いをいただくこともある。僕が最近の食情報をお知らせすることもあるが、会食の場所は常に彼が選ぶ。そして、そうした店はいつもしゃれているなあと思う。

メディアに載っていない「うまい店」

その大先輩とはジャンルが違っていたが、やはり自分ではとてもいけない店に連れて行ってくださったのが、流通業界の大物財界人だった。
仕事上のトラブルで最初は敵役として向かい合ったのだが、なにかがきっかけで可愛がってくださり、やはりさまざまな店に連れて行ってくださり、その方には接待の作法も教わった。

築地にあった「喜楽鮨」が一番好きで、2階にあるカウンター付の掘りごたつ仕様の個室の手前の席が彼の定席。彼が予約したときには、普段は1階のカウンターにいる主人が神妙な顔をして2階で待っていた。
喜楽鮨は昔ながらの刺身を多く出す店で、常時白身を十種類近く出すことが名物だった。彼と通ううちに、最初はどれも同じ味だと感じていた白身の微妙な違いを、なんとなく理解できるようになったのはこの寿司屋のおかげだ。

銀座にあるステーキ「PENTHOUSE」にもよく行った。雑居ビルのスナックの居抜きのような場所だが会員制で、出されるのは牛の刺身とサラダとステーキだけ。ご飯を頼むとなぜか、弁当によく付いている神州一味噌のパックを搾り出し、お湯を注いで出してくれたのが不思議だったが、ステーキには一切手抜きはなかった。小さなフライパンを駆使して抜群な料理に仕立ててくれた。
彼はいつも「ここは銀座のファミレスだからな」と言っていたが、メニューは決まっているし、ワインの種類もないから、食べ始めたら1時間ほどで終わってしまう。そのあとは銀座のクラブ活動に勤しむのがパターンだった。われわれが行くときは常に男性ばかりだったが、同伴出勤の客も多い店だった。

PENT HOUSE  出典:小宮山雄飛さん

ふぐの季節によく連れて行っていただいたのは神楽坂「高円」だった。刺身は「二枚引き」という、厚く引いてさらに庖丁を入れて開いて出すふぐ刺しが名物で、はじめてふぐの刺身や唐揚げの旨さを実感した店だった。
その後、喜楽鮨は大将が体調を崩し、数年前に閉店した。PENTHOUSEは代替わりしたもののいまも健在。会員制なのは変わらないが、階上にある「PENTHOUSE GINZA hanare」なら予約すれば入れるらしい。高円はもう十数年前に閉店したままだ。その後、ここに替わるふぐ専門店を探そうと思ったこともあったが、まだ見つかっていない。

そしてお世話になった財界人の方はやはり、10年ほど前に他界された。われわれのあいだでは親しみをこめて「最後のフィクサー」と呼ばれた方だった。
喜楽鮨もPENTHOUSEも高円も、当時ほとんどメディアには出ていなかったし、僕の周囲にも知る人はいなかったが、メディアがはやし立てていた同ジャンルの店と比較しても見劣りするどころか、トップクラスだろう。彼はもちろん財界活動を通じてこれらの店を知ったのだろうが、食べることが大好きだから、膨大な数の店からそれらがリストに生き残ったのだと思う。

そう考えると、当時メディアの人間はマスコミ人、業界人と呼ばれて、食の世界をさも知っているかのように振舞っていたが、実はその世界には流通していなかった「うまい店」がメディアの外に存在していたのだ。

それは当たり前のことで、政財界の交際費は業界人が使っていたものの数十倍だし、一回の接待が数十億のビジネスに結びつくから真剣勝負だ。先述の大先輩から教わった店には同じ業界の方々も多数出入りしていたが、彼から教わった店に「業界人」はまずいなかった。なるほど、食の世界は広いなあと思い至った由縁である。
ふたりの先達に連れて行っていただいた店の中には、許しを得て出入りさせていただいているところもあるが、自らを省みて、遠くから眺めているだけの店も多い。そうしているうちにネットメディアに登場して大人気になったところもあるし、地味な店であるがゆえに食情報の発達に乗り遅れて、閉店してしまったところもある。
ただ、このおふたりに連れて行っていただいたところが、僕の「食の軸」を形成したことは間違いないと思っている。

最後に蛇足ながら、実はうまいものを一番知っているのは高級クラブのホステスや花柳界の芸者衆だろうと僕は思っている。日本中のお金を使える男が彼女らにモテようと美味しい情報のすべてをさらけだすからだ。
僕も「最後のフィクサー」に連れて行っていただき、何度か銀座や六本木に足を運んだが、そのとき僕はそんな構図はまったくわかっていなかった。
いまとなって、それが悔やまれる。

 

★今回の話に登場する店(現在も開業中の店のみ)

・さぶ

・コット

・サロン・ド・グー

・重よし

・PENTHOUSE

・PENTHOUSE GINZA hanare