【食を制す者、ビジネスを制す】
忙しい経営者たちから好まれるランチの「牛丼」
若いときは失望の連続だった京セラ創業者の稲盛和夫
京セラ名誉会長の稲盛和夫氏といえば、京セラを創業し、KDDIも立ち上げ、日本のフラッグシップであるJALを再生させた日本を代表する起業家として有名だ。ほかにも稲盛財団を通じ、学者、文化人、アーティストに授与される京都賞、次代の経営者を育成する盛和塾などを主宰。また自社の経営手法であるアメーバ経営を紹介するビジネス書やリーダー論、生き方についての思想書など出版活動でも多くの読者を得ている。さらに政界との関わりや、臨済宗妙心寺派円福寺で在家得度を受けていることも考慮すれば、現存する大物起業家の中でも特異な地位を築いていると言っていいだろう。
つまり、これ以上やることがないくらい成功した起業家の一人なのだが、そんな稲盛も若いころは失敗ばかりだったという。
鹿児島の印刷業者の次男として生まれたが、戦後は貧乏のどん底。結核にもかかり、死線をさまよった稲盛氏は、生長の家の創始者である谷口雅春氏の『生命の實相』に感銘を受け、生きるうえでの哲学に注力するようになる。
だが、志望する旧制中学受験に失敗、大学も第一志望の大阪大学医学部の受験に失敗し、やむなく鹿児島大学工学部に入学する。その後の就職でも第一志望の帝国石油に不合格。やけっぱちになって「やくざにでも、なってやろうか」と地元の組事務所のあたりを行ったり来たりしたこともあったらしい。
成功への執念は人並みではなかった
結局、京都の碍子(がいし)メーカーである松風工業に入社するが、給料の遅配があるような会社で社員もどんどん辞めていく。さすがの稲盛氏も会社に落胆し、「こんなボロ会社、早くやめよう」(『私の履歴書』より)と思うようになったという。とうとう思い詰めて自衛隊の幹部候補生学校に願書を出して、伊丹の駐屯地で試験を受けて合格。しかし、入学の手続きに手違いがあり、自衛隊に入ることも結局実行できなかった。
気持ちを切り替えて、改めて会社でセラミックの新開発に務めるが、今度は上司と対立。そこで仲間らと退職して、27歳のとき創業したのが京都セラミック(現京セラ)だった。それから稲盛氏が世間的に著名になっていくのは、50代になってからだ。以来、80代を迎えた今までもビジネスの第一線に君臨し続けている。
稲盛氏は、いわばカリスマ経営者の一人なのだが、そのイメージとは裏腹に、実際に話を聞くと、自分の主張を押し通すようなしゃべり方ではなく、どちらかといえば、ぼそぼそとしゃべる好々爺といった印象を受ける。しかし、近くに寄ってみると、なんとなくこちらが緊張してしまうようなオーラと威厳をかもし出す経営者だ。
彼をここまでつくり上げたのは、もちろん幾多の苦労や失敗があったからなのだが、しかしだからこそ、その後の“レバレッジ”が大きくなったのかもしれない。ロングセラーとなっている『成功への情熱 PASSION』『生き方 人間として一番大切なこと』といった稲盛氏の著書には、やはり稲盛氏の成功への執念が人並みでないことを感じさせるものがあり、実際にそれほどの執念がなければ、起業家としては成功しなかっただろう。
稲盛氏のランチはどこ?
そんな稲盛氏は、好んでよく牛丼を食べていたという。ある取引先が稲盛氏とばったり会ったとき、「ランチをしましょう」と誘われ、大金持ちの稲盛氏だから、さぞかし豪華な食事をご馳走してもらえると期待していたら、連れて行かれた店が吉野家だったというエピソードがある。もちろん話としては、稲盛氏がケチだという意地悪な捉え方もできそうだが、そうではないのだ。稲盛氏にとっては、日々忙しく仕事に没頭する中で、ランチに時間をとられたくないという思いと、それでも活力の出る食事をしたいという気持ちの両方が相まってこその「牛丼」という選択なのである。実は稲盛氏だけでなく、あのソフトバンクの孫正義氏も牛丼が好きだという。ほかにも多くの経営者がランチ時に、好んで牛丼を食べる傾向にある。ただ、牛丼は何も大手チェーン店のものばかりではない。
例えば、JR新橋駅から、少し歩くと「牛めし なんどき屋」という店がある。店内はカウンターのみ。お新香と味噌汁がついたセットで580円。タマネギ、しらたき、豆腐がのっていて、味は甘辛濃いめ、すき焼きのような牛丼なのだが、これがいい。かつて新橋駅のガード下に「牛めし げんき」という名店があったが、その味を継ぐ店なのだ。さくっとおいしく温かい。何とも安心感のある食事ができるはずだ。
また日本料理店「京橋 婆娑羅」は、名物「トマトすきやき」で有名だが、こちらのランチで頂ける牛丼の「極上しぐれ丼」もまたいい。こちらは2000円(税抜)だが、それに見合う肉のうまさと味を堪能できる。
どちらも忙しいビジネスパーソンにもってこいの牛丼だ。牛丼を食べて、ぜひ稲盛氏に近づけるような仕事をして、強いリーダーになってほしい。