とんかつの名店の伝統を受け継ぐ注目の新店が神楽坂に誕生「とんかつ憲進」
かつては花街として栄え、尾崎紅葉や泉鏡花、そして夏目漱石など明治の文豪が愛した街、神楽坂。そして現代、毘沙門天をランドマークに、石畳の路地や坂道が四方に続く街並みには、フレンチから中華、和食までグローバルなレストランが混在、美食の街としての一面も持ちあわせている。そんな神楽坂に魅せられ、店を構えたのは畑田憲吾さん。2023年3月7日にオープンした「とんかつ憲進」のご主人だ。
その名を聞き「あぁ、あの……」と思ったとんかつラバーの方も、きっと多いことだろう。そう、畑田さんは、あの高田馬場「とんかつ なりくら」出身。2019年にご主人の三谷成蔵さんが南阿佐ヶ谷に移った後は、3代目店長として腕を振るった実績の持ち主だ。が、畑田さんが「なりくら」に弟子入りしたのは、47歳の時。それまでは、地元の広島でうどん店やパン屋に勤めていたそうで、とんかつ職人への道は、いわば、第2の人生のスタートと言っても良い転職だった由。
契機となったのは、7年前のこと。東京に遊びに来た際、評判だった「とんかつ成蔵」に立ち寄り、食したとんかつに感動。「とんかつ屋をやりたい!」と心に決めたという。もともと飲食には興味があった畑田さん。高校卒業の際には上京し、今はなき関西割烹の名店「出井」で一時は修業した経験もあったとか。(本人的には)とんかつ店への転身もそれほど突飛なことでもなかったようだ。
「とにかく、衝撃でした。それまで食べてきたとんかつとは、全く別ものでしたから。白っぽい衣の色ももちろんですが、肉そのものの味わいが群を抜いておいしく、全く違っていました」
そこで、思い立ったが吉日とばかりにすぐさま入門。早々にそのノウハウを身につけ、修業3年目には、早くも3代目店長を任されるまでになっていた。
「神楽坂の地に店を開いたのは、古いものと新しいものが混在するこの街の佇まいが好きだったからです」と畑田さん。メインストリートの一歩北、軽子坂に立つビルの2階というシチュエーションながら、開店早々、早くも行列。「なりくら」のブランド力の凄さがうかがえよう。
階段を上がり、扉を開けると店内はカウンター7席とテーブルが2卓。厨房で孤軍奮闘、とんかつを揚げているのが、ご主人の畑田さんだ。寡黙に揚げるその表情は真剣そのもの。パン粉を入れた時の弾け具合、シュワッシュワッという油の弾ける音や衣の色などなど五感をフル稼働させ、理想の揚がり加減を見極めている。剣立ちの良いパン粉も高級ラードの揚げ油も「なりくら」と変わらない。
特に油は、背脂に比べ、融点が高く冷めにくい腸間膜油を使用。「油の温度はだいたい110〜120℃あたりでしょうか。目安は、パン粉を油に落とした時に、一度沈んでから表面に上がってくるぐらい。この辺りから揚げ始めていきます」。そう言いつつ、衣をつけた豚肉を鍋にそっと入れる畑田さん。その揚げ方は実に静かだ。
ふかふかのパン粉を纏った豚肉は高温にさらされることなく、温泉にでもつかっているかのような優しさでゆっくりと揚げられていく。その様子を見ていると、畑田さんの言う「低温で揚げることで、豚肉にストレスなく均一に火が入るんです」という説明が実感として伝わってくる。鍋底に焦げつかないよう、時折返しながら揚げること3〜4分。油から揚げたら、そのまま油を切りつつ5〜6分休ませ、余熱でじんわりと火を通す。
「揚げ物は、いわば蒸し料理。豚の肉汁を衣の内側に閉じこめる感覚で揚げています」と畑田さん。低温でゆっくりと火を入れるため、肉の水分が逃げることなく、油の酸化を防ぐうえ、パン粉が油を吸いすぎずに軽やかに揚がるというわけだ。
主役の豚肉には、茨城「常陸の輝き」と新潟「越乃黄金豚」の2種のブランド豚をセレクト。中でも畑田さんのとっておきは、常陸の輝き。聞けば、畑田さんの理想とするのは「最初から最後まで、飽きずにおいしく食べられるとんかつ」で、独立するにあたり、どの豚にしようかいろいろ食べ比べてみたのだとか。だが「なかなか『これ!』という豚には出合えなかった」そうだ。そんな折、たまたまサンプルでもらった常陸の輝きのリブロースを賄いで食べてみたところ、見事、抜擢されたというわけだ。
「赤身にまでサシが入った肉質は、柔らかくきめ細か。脂の軽さも魅力ですね」と畑田さん。その言葉通り、目の前に置かれたロースカツは、サクサクした白い衣の軽快さに呼応するかのように、しっくりと肉に歯が入り、滋味豊かな肉汁がじんわり舌に広がっていく。肉に旨みがありつつもしつこくなく、ほのかに甘みを感じさせる脂身は、口溶けもさらっとして後味も軽妙だ。
また、コロンと肉厚にカットしたヒレカツも秀逸。ロースにも増して肉質は柔らかく、肉の旨みにコクがあり舌に残る余韻も長い。ソースもいいが、ここはやはり、用意されたミネラル豊富なヒマラヤのピンク岩塩が合いそうだ。
かつのレベルの高さは言わずもがな、脇を固めてこそ主役が光るもの。千切りキャベツのみずみずしさや具沢山な豚汁のおいしさも、かつの味わいを引き立てている。「とんかつは日本が誇る食文化の一つ。日本の国民食として、世界に通用する食べ物だと思っています」。そう胸を張る畑田さん。彼もまた、熱烈なとんかつラバーの一人でもあるのだ。
ちなみに「常陸の輝き」のロースかつ定食(約120g)は3,000円、リブロースかつ定食(約200g)は4,500円、ヒレかつ2個定食(約35g×2)は2,400円。単品ヒレかつ800円もある。また「越乃黄金豚」は、ロースかつ2,500円、リブロースかつ3,800円。ヒレかつ2個定食2,000円。単品ヒレかつ600円。
※価格はすべて税込