食通が集まる荒木町に登場した蕎麦と日本料理の店

3年もの間、よい物件を待って見つけたという車力門通りの坂下の立地。

細い通りに和食や居酒屋、バーなど様々な店が密集する食通エリア、四谷荒木町。この車力門通りの坂を下った右手に、真新しい木目の門戸を構える「車力門 おの澤」がある。店主である小野澤誠さんは、銀座で旨い蕎麦を食べたいときに名前が挙がる蕎麦割烹「銀座 矢部」で5年半の経験を積んだ料理人だ。
「店を持つなら実力店の揃う街で」との思いから、荒木町で良い物件が出てくるのをじっと待ち、この春に店をオープンさせる予定だった。とはいえ、2020年の春といえば飲食店には厳しい期間。「おの澤」も例外なく開店日そのものが延期となり、緊急事態宣言が解除された5月になってようやく店を開くことができた。
しかし、そんな状況であっても良い店には客が引き寄せられる。開店して5ヶ月、すでにリピーターが通う人気の店となっている。

全10品ほどの料理が楽しめるコスパの良さが魅力

車力門おの澤 13,000円コースのお椀
全10~11品の13,000円コースが一番人気。写真は同コースのお椀。

おの澤のメニューはいたってシンプル。デザートを含むおまかせ全7品の10,000円、全10~11品の13,000円、全11~12品の15,000円の3コースのみ(税・サービス料別)。食材での違いはなく、単純に品数の違いでコースが分かれている。全10~11品というと多いように感じるかもしれないが、どれもが繊細な味わいなのでするりと入る。だからこそ、同店の魅力を堪能するためにも13,000円のコースがおすすめだ。この日は、先付2品、お椀、お造り、焼き物、揚げ物、あて、煮物または鍋、お蕎麦、デザートとなっていた。
2品の先付の後に出てきたのは、金目鯛と旬の栗、なめこと加茂なすのお椀。出汁と沖縄・与那国の塩だけで味付けされたお椀は、それぞれの食材の旨味を存分に味わうことができる。ちなみに、塩は料理によって数種類用意し、今は6種類を使い分けているという。

秋ならでは。刺身と焼きの秋刀魚が楽しめるお造り

車力門おの澤13,000円コースのお造り
マグロ用のわさび醤油、秋刀魚用の生姜醤油、鯛には鮮度の良いあん肝が入ったとのことであん肝醤油を用意。

おまかせのコースの楽しみといえば、料理人の技によって様々な顔を見せる旬の食材だ。季節や仕入れ内容によってメニューは変わっていくため、間を置かずに再訪しても違った味が楽しめる。それでも、どんなときでも欠かせないのが、お造りの生本マグロ。マグロの仲卸で有名な「やま幸」から毎日1柵ずつ仕入れているという。大胆にブロック状にカットした生本マグロと、季節の鮮魚2~3種類が盛られた皿は見た目も美しい。10~11月の秋刀魚の時期ならば、秋刀魚の刺身が添えられ、この後に出てくる「秋刀魚の炭火焼き」と合わせて生と焼き、2つの味を楽しむことができる。

皮はパリッと、中身はエアリー。驚きの食感「秋刀魚の炭火焼き」

車力門おの澤13,000円コースの焼き物
「銀座 矢部」の親方から学んだ「秋刀魚の炭火焼き」に小野澤さんの繊細な仕事が加わっている。

「おの澤」が自慢とするのが焼き物。その中でも「秋刀魚の炭火焼き」は同店の名物料理だ。近年は漁獲量に波があり、単価が上がる年もあるが、総じて大衆魚として愛されてきた秋刀魚。特に秋刀魚の塩焼きはその名の通り秋の食卓を彩る家庭料理だ。飲食店で提供する場合も、定食や居酒屋といったイメージが強いが、そんな秋刀魚の塩焼きを想像していると、うれしい「予想外」が体験できる。同店では、秋刀魚を一度開いて中骨をとり、内臓も丁寧に取り除く。そこから苦玉だけを外して、内臓は元に戻し、串打ちをして1匹の秋刀魚の状態に形作ったら、紀州の備長炭で丁寧に焼き上げる。小野澤さん曰く「秋刀魚の再構築です」。これだけの手間をかけることで、秋刀魚が料理店のコース料理を彩る一品に生まれ変わるのだ。ひと口食べれば、パリッとした皮にふわふわのエアリーな身の食感を楽しむことができる。

お酒が進む。クセになる食感と爽やかな香りの「鱧の生からすみ」

車力門おの澤13,000円コースのあて
お酒のあてにぴったり。全国各地から取り寄せた日本酒からおすすめのお酒を選んでもらうのも一興。

コース終盤になって出てきたのは、珍しい「鱧の生からすみ」だ。本来、からすみはボラなどの卵巣を塩漬けして乾燥させたものだが、鮮度の良い鱧の卵巣を塩で脱水した後にオリーブオイルで乳化させ、柚子で香り付けして生で楽しめるようにした逸品だ。オリーブオイルと柚子の香りが互いを引き立てあい、とろりとした食感に爽やかな風味を加えている。これひとつでお酒が進みそうだ。

締めは、「おの澤」の真骨頂。十割手打ち蕎麦

「車力門おの澤」店主の小野澤誠さん
「銀座 矢部」で5年半修業して得た、確かな蕎麦が楽しめる。

コースはその後、これからの寒い季節なら鍋料理、暖かい時期なら煮物を経て、同店のもうひとつの名物料理である蕎麦へと移る。蕎麦は、つなぎ無しの十割蕎麦。矢部の親方が使っている蕎麦打ち部屋を借り、1~2日に1度は打っている手打ち蕎麦だ。蕎麦粉は、北海道のキタワセ種や福井の大野在来などを日によって使い分けているという。
コースでは、蕎麦本来の食感と香りを楽しめる冷たいせいろ蕎麦と、ほっこりとお腹を落ちつかせる温かい種物蕎麦の2種類を楽しむことができる。これまでの料理でお腹がいっぱいになってしまった人は、量を少なくしてもらうと両方を楽しむことができるだろう。もちろん、最初から全体的に量を少なめにするといったリクエストや、逆にお代わりをすることも可能だ。

蕎麦本来の味わいが楽しめるせいろ蕎麦

車力門おの澤13,000円コース 締めのせいろ蕎麦
冷たい蕎麦と温かい蕎麦、どちらを頼むか悩む必要はない。

せいろ蕎麦は、十割とは思えぬ喉ごしの良さとこしを残した逸品。美しく切りそろえられた蕎麦が技術の高さを示している。十割蕎麦は蕎麦の主張が強く、どっしりとしたものになりがちだが、軽やかさが感じられる蕎麦で、締めとしてするりと食べることができる。それでいて、蕎麦を食べた満足感は大きい。
蕎麦つゆは、荒節と本枯れ節を合わせたコクのある味わいで、蕎麦の香りを引き立てている。
当然、ここで添えられる山葵は刺身用のものとは異なり、蕎麦に合わせた山葵だ。上質な山葵を使用しているので、特有の刺激は強すぎずに甘みを感じることができ、蕎麦の味をしっかりと楽しむことができる。

季節ごとにがらりと変わる、楽しみ倍増の温かい蕎麦

車力門おの澤13,000円コース 締めの温かい蕎麦
秋の間楽しめる、もみ海苔ととろろの蕎麦。

温かい蕎麦の種物は季節によって変わり、この日は香り高い田庄のもみ海苔と、とろろをたっぷりとのせた蕎麦。磯の香りと山の滋味を味わうことができる。こちらの蕎麦つゆは宗田節とサバ節でスッキリとした味わいに仕上げ、かえしも冷たい蕎麦とは別にしているというから、そのこだわりと仕事の丁寧さに人気の理由がうかがえる。
また、夏場にはすだちをたっぷりと浮かべた蕎麦を提供するなど、小野澤さんの工夫と遊び心が発揮された品といえる。
最初から最後まで、繊細な仕事が施された料理が楽しめ、金額以上の満足が得られるコースとなっている。

こだわりとセンスが光る、木目を生かした店構え

「車力門おの澤」外観
高級店のような雰囲気がありつつも、優しいぬくもりを感じさせる「おの澤」。

小野澤さんのこだわりは料理だけではない。木目が目を引く美しい店構えから中に入ると、戸口から店内が見渡せないようにあえて、間仕切りで通路を設けている。店内は10席のカウンター席のみ。厨房での仕事を見ながら食事が楽しめるようになっている。
目を引くのは檜の無垢のカウンター。職人が丁寧に手かんなで仕上げているため、手にしっとりと馴染み、手かんなならではのかすかな凹凸を感じることができる。見上げれば、薄く削った木を丁寧に編み込んだデザインが目を引く。小野澤さんが是非にと施したかったデザインだそうだ。また、壁も左官による作品。藁を入れているため雰囲気のある壁となっている。
料理はもちろん、店内のすべてに小野澤さんのこだわりが詰まった「車力門 おの澤」。これからのさらなる進化に、多くの客が集まってくるだろう。

「車力門おの澤」内観 カウンター席
ゆとりのある店内も、小野澤さんのこだわりが溢れている。

※価格はすべて税抜

※外出される際は、感染症対策の実施と人混みの多い場所は避けるなど、十分にご留意ください。
※本記事は取材日(2020年10月1日)時点の情報をもとに作成しております。

取材・文:岡崎たかこ(grooo)
撮影:松村宇洋