名店の親方から学んだのは、寿司屋の矜持

装いも新たになった国立競技場の目の前。ビルの1階に、よく見ると料理屋が並んでいるといった風情で「鮨 坂本」が佇んでいる。

店主の坂本さんは、オーストラリアで寿司職人としての経歴をスタートさせ、帰国後、浜松町にある名店「宮葉」で修業をした異色の寿司職人だ。江戸前の流儀を貫く親方のもとで、寿司職人としての矜持、心意気を学んだという坂本さんは、カウンター席のみわずか7席の店内で、江戸前を守りつつ独自の感性を加えて寿司を握る。

「鮨 坂本」店内
1人で切り盛りするため7名が限界だという坂本さん。一緒にやってくれる人を絶賛募集中だ。

オーストラリアから帰国した坂本さんが「寿司を学び直すならここで」と門をたたいたのは、江戸前寿司店の8代目として生まれた宮葉幹男さんが起こした店「宮葉」。

お茶出しから始めたという修業だが、坂本さんが親方から教わったのは、寿司職人としての在り方だった。昔の職人は、美的センスを養うために茶道、華道も嗜む。落語にも通い、客を楽しませる話芸を学ぶ。そこまでしてこその寿司職人だという。とはいえ、1人で切り盛りする坂本さんに、すべてをする時間はなかなかない。それでも、時間があれば美術館に通ったりしているというのだから、やはり親方から学んだ「矜持」が伝わってくる。

 

そもそも、親方から「寿司を握ってみろ」と言われたことがないと言う坂本さん。「宮葉」に弟子入りした時点で10年以上の経験があり、技術的には問題がない。だからこそ、親方も客前に立つときの姿勢や箸の上げ下げなどの所作を厳しく指導し、江戸前の寿司職人としての在り方を見せていたのかもしれない。

「鮨 坂本」外観
昼は予約があるときのみ営業。看板に明かりがついて、暖簾が出ていれば飛び入りも可能だ。

おまかせでいただく名店の仕事と、新しい感性

メニューは、お好みで注文も可能だが、基本はシンプルに「おまかせ」と「吹き寄せちらし」「鉄火丼」のみ。さらに「おまかせ」は、「にぎりのみ」「少なめ」「多め」で分かれている。「おまかせ~にぎりのみ~」は13貫と巻物にお椀、デザートの内容だが、客の好みや満腹具合に合わせて後半に出す卵や穴子を巻物でまとめてしまうといった調整をすることもあるという。

「鮨 坂本」「おまかせ~にぎりのみ~」(11,000円)
「おまかせ~にぎりのみ~」(11,000円)のほか、おつまみを楽しむ「少なめ」「多め」がある。

冬になったら食べておきたい、鯖の棒寿司

おまかせの中でも同店らしさを象徴し、冬場に人気なのが鯖の棒寿司だ。

鯖は山口県産を使用。脂のノリ具合によって、酢や塩、砂糖の量を変えて〆た鯖に、九条ネギとガリを忍ばせている。鯖はキュッとしまっているものの、酸味は強くなく、まろやかでちょうどいい塩梅だ。

鯖の旬が2月末頃で終わってしまうため、それ以降は鯵を予定しているが、「鯵は産地によって魚体の大きさなどが異なるうえ、平均的に鯖ほど身が厚くないので、モノによっては握りのほうがいいかもしれません。とはいえ、ネタ次第ですが、棒寿司は定番化していきたい」とのことだ。

「鮨 坂本」鯖の棒寿司
坂本さんが独立にあたり、オススメの1品とした鯖の棒寿司。

「宮葉」の味を受け継ぐ、鮪や鰹

おまかせコースで必ず出てくるのが、鮪やコハダ、鰹だ。鮪は、「宮葉」のころから付き合いのある仲卸に依頼。おまかせでオススメのものを仕入れている。鰹は「宮葉」の親方が好きで年間を通して提供していたこともあり、同店でも提供している。親方は、脂は鮪に任せて、鰹本来の味が楽しめる「戻り鰹」にこだわっていたが、坂本さんは旬を大切にすることから時期に合わせて「初鰹」「上り鰹」と「戻り鰹」を使い分けている。

「鮨 坂本」まぐろの握り
シャリは寿司専用の有機栽培米を使用。鮪との相性も抜群。

わさびに見る寿司屋の矜持

このように、コースの中核となるネタや、寿司の基本となるシャリや煮切り、ガリなどは味も作り方も「宮葉」から受け継いでいる。そして、もうひとつ受け継ぎ、こだわって仕入れているのがわさびだ。わさびは御殿場産の最高級品。仕入れ先の八百屋で一切悩むことなく、最も高級なわさびを必ず買うという坂本さん。その理由を聞くと「お寿司屋さんが一番高いわさびを買わなければ、作ってくださっている方に申し訳ない」と軽やかに答えた。香りが重要とされるわさびだが、最高級品は香りに加えて、味もうまい。鼻に抜ける上品な香りはもちろん、ツンとしたわさび特有の刺激の奥に甘みや風味がしっかりと残っていた。寿司屋が一番良いわさびを使う。これも、親方から受け継いだ寿司職人としての矜持だ。

「鮨 坂本」店主の坂本さん
「価格を見ずに、一番高いわさびを買うのは気持ちがいい」と笑った坂本さんだが、握るときの表情は一気に引き締まる。

江戸前の仕事が生きている、やりいか

次に季節のネタとして出てきたのは、やりいか。口に入れると驚くほどやわらかく、それでいて弾力がある。秘訣は3回の火入れ。最初に塩で火入れし、次に調味料を加えた煮汁で火を入れ、最後に提供の直前で備長炭でさっと炙るという手の込みようだ。1貫は煮切りとわさびで、もう1貫はツメと七味で楽しめ、ついつい酒が進んでしまう。

コースではその後、2つのネタを一度に楽しめるようお椀で出す寿司なども交えながら、最後の巻物へと進んでいく。

「鮨 坂本」やりいかの握り
3回火入れして、やわらかさと弾力を両立させたやりいか。

一度にいろいろな味わいを楽しむ、吹き寄せちらし

昼の営業は予約のみで受け付けている。ただし、予約をしていなくても開店していれば来店は可能で、暖簾がかかっているのを見たり、電話で「今日は開いたりしているの?」と聞いてから来る常連もいるという。

メニューは夜と同じだが、昼の人気は「吹き寄せちらし」だ。13~15種類の魚介類が寄せられたちらし寿司は見た目にも華やかで美しい。鮪の赤身と中トロ、穴子、鰹、車海老などの定番に加えて、この時期ならイイダコ、春子鯛(かすごだい)、白魚など旬のネタを一気に楽しめることから、常連にも根強い人気がある。

「鮨 坂本」吹き寄せちらし
一つひとつのネタに江戸前の仕事が施されている「吹き寄せちらし」5,000円。おぼろも芝海老から店内で作っている。

客の好みで自由に楽しんでほしいと、酒の持ち込みも可

日本酒は常時4種類。3種類は定番で、1種類は季節のもので揃えている。定番ものの一つには、東京・福生にある田村酒造の嘉泉を用意。クセのない辛口の酒で飲みやすく、クイクイいけてしまうので注意が必要だ。

その他、ビール、焼酎、ワインなどに加え、シャンパンは3種類用意している。色々揃えているのは、客が好きなように好きなものを選んでほしいから。さらに、ペアリングなどは気にせず、お好みで飲んで、食べてほしいとの思いから、事前に伝えれば酒の持ち込みも可能だ。

「鮨 坂本」日本酒 嘉泉
東京・福生にある田村酒造の嘉泉は、辛口でクセがなく食事中の酒にオススメ。

坂本さんは12年間、オーストラリアにいただけあり、英語も流暢だ。今後、多数の国際的なイベントなども開催される国立競技場の近くならば、外国人観光客の来店も増えていくだろう。日本人であっても、本物の江戸前寿司を知る人は多くないため、日本人に対しても外国人に対しても、親方から受け継いだ寿司屋の矜持と江戸前の仕事を伝えていく同店に期待が高まる。

※価格はすべて税込

取材・文:岡崎たかこ(grooo)
撮影:玉川博之