一歩先を行く、新世代の蕎麦とは

私が若かりし頃。そう、昭和の旨い蕎麦屋の金科玉条は、“石臼挽き自家製紛 手打ち蕎麦”だった。“石臼挽き自家製紛”と“手打ち”――。この二つさえ揃っていれば、旨い蕎麦屋と見なされていたものだ。

 

しかし、今はどうだろう。立ち食い系の蕎麦屋でも石臼挽きを謳い、気の利いた和食店でも手打ち蕎麦を出す時代。“石臼挽き自家製紛 手打ち蕎麦”は珍しくもなんともなくなった。それなりの蕎麦屋を目指すなら、それは基本中の基本といったところだろう。最近では、その一歩先を行く、新世代の蕎麦職人が増えている。

在来蕎麦に特化した、期待の新星

去年の11月、西麻布に人知れずオープンした 「蕎麦おさめ」のご主人、納剣児(おさめ けんじ)さんもその一人だろう。子供の頃から蕎麦職人に憧れ、辻調理師専門学校を卒業後、神楽坂「東白庵かりべ」、市ヶ谷「大川や」などで修業。晴れて独立を果たした納さんが、ここで取り組もうとしているのが在来蕎麦だ。出会いは、独立準備期間中。巣鴨の「菊谷」で食べた秩父在来の蕎麦に感動したのがきっかけ。「それまで経験したことのない力強い香りと濃厚な旨味にすっかり魅了されてしまいました」。そこで、新しく始める店は、日本古来の在来蕎麦に特化した店にしようと決めたそうだ。

長野乗鞍在来のせいろ蕎麦 1,200円。一枚のボリュームも良心的

 

さて、この在来蕎麦とは、どのような蕎麦を言うのだろうか?
納さん曰く「日本の各地方で、昔から交雑せずに長い年月をかけて栽培され続けてきた蕎麦のこと」。いわば品種改良されていない、その土地土地に根付いた蕎麦で、えてして小粒なものが多く、香りも旨味も芳醇だ。

 

右上から時計回りに、会津在来、丸岡在来、鹿屋在来、対馬在来、乗鞍在来

 

ちなみに、私たちが蕎麦屋で時折耳にする“常陸秋そば”や“北早生”といった品種の蕎麦は改良種。収穫量を増やしたり、病気に強く栽培しやすくするなどの目的で、在来種の蕎麦を掛け合わせ、品種改良したものだ。一様に成長する改良種に比べ、在来蕎麦は雑駁だ。背丈もバラバラなら実が熟す時期もバラバラ。だが、その腕白ぶりが個性となり、独自の魅力を発揮するのだ。

福島会津在来の玄挽き蕎麦1,200円。玄挽き蕎麦とは、蕎麦の実の周りの黒殻ごと挽いた蕎麦のこと。ここでは、喉越しを考え、外一(蕎麦粉10に対し小麦粉1)で打っている

 

現在、店で常備している在来蕎麦は5種類。「いろいろと考えた末、日本蕎麦のルーツとも言われている長崎の対馬在来と長野の乗鞍在来をメインに福井の丸岡在来、鹿児島の鹿屋在来、福島の会津在来に決めた」そうで、毎日2〜3種を打ち分けて提供。時に応じて、スポット的に他の産地の在来蕎麦も取り入れていくつもりだそうだ。取材当日は、天日干しの長野の乗鞍在来、福島の会津在来、長崎の対馬在来の3種で、それぞれの特徴に合わせて打ち分けている。

 

ややねっとりした口当たりの乗鞍在来はシンプルにせいろにし、品の良い甘みを楽しませる一方で、会津在来は、その草っぽい風味を生かした玄挽きで打ち、個性を引き出している。また、温蕎麦には、打ってから一晩ねかせて熟成させた対馬在来を用いるといった按配だ。

鴨南蛮蕎麦 2,500円。特製のつけダレに漬け、ゆっくり蒸し煮にした鴨ロースはレアの火入れも見事。しっとりと柔らかい

 

つまみも豊富。写真は、今の時期だけ楽しめる焼きたけのこ

 

これからは、蕎麦の実を熟成させたり、蕎麦畑をまめに訪ね、希少な在来の蕎麦を探していきたいとか。まだまだ伸び代のある蕎麦職人から目が離せない。

納剣児さんご夫婦

清潔感溢れる店内

 

※価格は税別です。

取材・文/森脇慶子

撮影/三好宣弘(RELATION)