パリから福岡へ。世界に向けて新しい美食体験を発信する

リュック一つをかついで世界を回ったあとに、渡仏。アストランスなどで修業後、シンガポールを経て、縁あってパリで「Sola」をオープンし、わずか1年3か月でミシュラン一つ星を取得した吉武広樹シェフ。それから6年、パリは言うに及ばず、世界のフーディーズから愛されながらも、次なるステージを故郷・九州に求め、2018年4月に帰国。入念な準備の末、昨年(2018年)1218日、福岡に「Sola Factory co.」をオープンした。

福岡空港からタクシーで10分、フェリー乗り場に隣接する福岡ベイサイドプレイス博多のC館2階が吉武さんの新しい舞台である。

福岡に移転した理由を尋ねると、「稲本健一さんに、お前、東京っぽくないな、って言われたんですよ(笑)。それではっと気づきました。これからは世界にリーチするのに、東京である必要はない、むしろ、自分のルーツを掘り下げることが大切なのではないかと。そして改めて、次のステージにふさわしい場所を世界中の都市から探し、福岡を選択したのです」と言う。

しかしながら、物件探しは難航を極めた。なぜなら、吉武さんが考えた新店は、1つのレストランという業態にとどまらず、さまざまな可能性を視野に入れたものだったから。名前にFactoryを付加したのは、それゆえだ。ケータリング、イベント、コラボレーションなどを並行して行うには、アクセスのよさが何より重要。加えてラボとして使える厨房の広さも必要だ。そのあたりがベイサイドプレイスに決めた、最終的な理由だったという。

 

海側のテラスからアクセスし、扉を開けると、左手にバースペース、正面には吉武さんの舞台となるカウンターを据えた広々とした空間が広がる。ウッディなカウンターの上には、九州の有田、唐津、波佐見などの各窯元に特注した小皿が、無造作に並べられている。カウンターの後ろには窯があり、上には細かく高さが変えられる鉄枠が置かれ、壁沿いには天井まで薪が積まれている。ゆったりとしたダイニングスペースには、間隔を広めにとってテーブルが置かれ、Bar Porteと名づけられた食前食後酒を楽しむカウンターも設けられている。ゆっくりと落ち着ける個室も1室。中にはミシュランなどパリの思い出の品が飾られ、世界へ向けて開かれた空間であることを意識させられる。

               

新生Solaが、パリ時代と最も異なる点はどこかと問えば「自分ではそんなに変わったつもりはないんですが、設備の上での違いといえば、窯ですね。福岡に戻ったあと、2018年の九州北部豪雨で倒木した木々を薪にする「高木薪づくりプロジェクト」を知り、被災者の方々の役に立ちたいという気持ちから、薪の熱源を考えました。世界的にもスペインのアサドール・エチェバリの活躍などから薪火が注目を集めていて、薪というプリミティブな熱源にはとても惹かれていましたから。その後、南部鉄器のOIGENの社長と相談しながら薪と炭の両方が使えるよう作ってもらった唯一無二の窯がこれです。季節や食材によって薪と炭を使い分けています」

 

 

熱源近くに網をかければ、高火力の直火で焼け、上にのせれば休ませ焼きができるそうだ。高さを変えることで火力に強弱がつけられるだけでなく、スモーク香をつけるなど、さまざまな使い方も可能。エチェバリの薪火はハンドルを回して火からの距離を調節するため、のせた面全体の高さが変わるが、こちらは魚や肉を一つずつ調節できる。それがメリットなのだとか。

キッチンでは、仕込みの間中、肉の塊や魚、根菜類などを焼いてはひっくり返し、さらには上の段に上げて休ませるという作業が繰り返されていた。周囲のレンガは奥様の実家である、伊万里の窯元の登り窯のレンガを積んだものだそう。新生Solaが九州の器に限っているのも、道理だ。

 

コースの構成はパリ時代のSolaとほとんど変わらない。1月半ばのコースは、いくら Ikura/肴 Ate/鱒 Truite/穴子 Congre/薪焼鮮魚 Poisson/ハラミ Bavette/林檎 Pomme/苺 Fraise/もかロンMocaron Ateの小さな5品を含めてかなり皿数が多いが、一品一品の完成度の高さは見事だ。

 

 

写真の前菜の鱒は、いったん塩でマリネしたあと、薪火で表面だけをあぶって香りをつけたもの。レモンクリームを添え、かぶのスライスととんぶりを添えてでき上がり。なんとも美しい一皿だ。もう一品が的鯛の薪焼き。菜の花のソースの上に薪で表面をカリッ、中はふっくらジューシーに焼き上げた的鯛をのせ、炭化させたねぎを添え、ゆでたり、揚げたり煮たりと、それぞれの旨みを引き出す調理を施した野菜をたっぷり。デザートはあまおうと練乳のアイスクリームの上にあまおうを重ね、ミルクのムースを絞り出し、メレンゲをのせて軽い食感をプラスしたもの。

 

コースには、薪や炭で焼いた料理が数品含まれており、オーブンは必要最小限しか使わないというから、実質の手数は増えているといって間違いない。ところが、「実はスタッフはフランス時代より10人少ないんですよ」と笑いながら吉武さんは言う。実質4人で厨房を回しているのだそう。それがいかに大変なことであるかは想像に難くないが、ある意味、今はまだ、吉武さんのシェフズテーブルを楽しめる期間だと思えば、なんとしてでも訪れてみたいではないか。

 

「素材に関しては、魚なら柳橋連合市場をはじめ、長浜市場や平戸漁港、野菜は糸島というように九州のものを中心に使っています。けれど、何が何でもと、そこに固執しているわけではなく、いいものを探して九州産にいきつけばベストだなと。フードマイレージの問題も含めて、なるべくサステナブルなレストランであり続けたいと思っていますから」と話してくれる。吉武シェフといえば、ブルーシーフードの取り組みにも積極的だ。ブルーシーフードとは、絶滅の危機に瀕する生物のレッドリストの逆で、天然の資源量が比較的豊富な海産物を摂取しようというガイドラインだ。トップシェフとして地球環境を守る努力をし、発信していくことの必要性は、環境問題に敏感なフランスで痛感したという。

 

カウンター奥の厨房はラボとしても機能する。九州産の食材を使ったメニュー開発や、同世代のシェフたちとのコラボレーション。また、フードトラックを購入し、食と音楽をつないだ音楽フェスも誘致していきたいと、吉武シェフの夢は国を越えて、ときに食というジャンルの垣根を越えて広がろうとしている。新しい挑戦は始まったばかりだ。どんな展開が待っているのか、楽しみでたまらない。

 

撮影:戸高慶一郎