〈おいしい歴史を訪ねて〉

歴史があるところには、城跡や建造物や信仰への思いなど人が集まり生活した痕跡が数多くある。訪れた土地の、史跡・酒蔵・陶芸・食を通して、その土地の歴史を感じる。そんな歴史の偶然(必然?)から生まれた美味が交差する場所を、気鋭のフォトグラファー小平尚典が切り取り、届ける。モットーは、「歴史あるところに、おいしいものあり」。

第12回 和歌山・熊野本宮へ

新宮といえば神倉神社だが、何と言ってもゴトビキ岩と呼ばれる巨岩が大迫力だ。

この岩塊を御神体とする神倉神社は、熊野速玉大社の摂社で、熊野三山とともに世界遺産に指定されている。三山の神々が最初に降臨されたという霊場で、例年二月六日の夜に行われる「お燈まつり」が有名だ。

新宮は、作家・佐藤春夫と中上健次の出身地でもある。特に若き日の中上健次が、祭りの様子を書いている。ここ新宮で熊野大学なる文学論を語る講演会が毎年開催される。ここであふれんばかりの文学を堪能できるのだ。ちなみに、僕は健次のお嬢さんである作家の中上紀とも親交がある。

 

「迎火が中ノ地頭から石段をゆっくりとあがってくる。巨大な石を祭った社の下にうずくまっている氏子たちの群れに歓声がどよめく。先を争って次々に氏子たちは火をつける。社の下が赤く燃えあがる、門がひらかれる、氏子たちは雄叫びをあげ、急激な、眼がくらむように勾配のきつい石段を一気に火の洪水となって、下界の四方を塞がれた暗い街に、駆けおりる」(「眠りの日々」より)

 

簡潔にして正確、勢いのある描写である。二十歳そこそこにして、すでに文体は完成されている。やはり才能なのだろうな。

境内に入り、鳥居をくぐる。世界遺産のわりに、人影はなくてあたりはひっそりとしている。手水で手と顔を清めて先へ進むと、中上が「急激な、眼がくらむように勾配のきつい」と書いているとおり、急峻な石段が現れる。いびつな形の石を乱暴に積んで、「信心の薄い者は去れ!」と訪れる者を突き放す。気持ちを強くもって登頂を開始する。日没が近づき、海に反射する光が微妙な感じになっている。急がないと間に合わない。

それにしても絶景である。眼下に新宮の街と熊野灘を一望できる。傾いた太陽の光に明るく映える太平洋。今日は充実した一日だった。心地よい疲労感とともに、ささやかながら何かをやり遂げたという達成感が全身に充ちている。源頼朝が寄進したと伝えられる五百段近い石段を、帰りは踏み外さないようにゆっくりと下る。

お待ちかねのおいしいもの巡り。まずは「めはりずし」だ!

総本家 めはりや

そしてあまり脂ののってないさんまをあてにいっぱいやるのもここの歴史である。

 

さんまの丸干しは、三重県熊野市の特産品だ。熊野のさんまは、秋に栄養を蓄えたあとに泳いで南下したさんまなので適度に脂が落ちている。さらに干すことによって水分が抜け、より旨味が凝縮するのだとか。

 

おすすめの干物屋さん「はじ丸水産」は熊野・新宮に水揚げされた鮮度の良い魚だけを仕入れ、干物を作っている。

 

お土産にも最高だ!

最後に「めはりずし」を食べてみる。酢飯ではなく、普通のご飯を、塩や味噌で漬け込んだ高菜でくるんである。醤油の香りがよく、握りたてなのでほんわり温かくシンプルでおいしい。地元では、古くから家庭料理として親しまれてきたという。きっと各家で、味や作り方も少しずつ違っていたのだろう。高菜はおにぎりの中まで入っており、なんでも葉っぱの部分でおにぎりを巻き、茎の部分を中に入れているという。また山仕事、畑仕事、筏師の携帯食としても重宝されたらしい。なるほど、ご飯が指にくっつかないので食べやすい。これなら片手で竿を操りながら食べることもできる。おかずもいらず、じつに簡便である。昔の人の知恵と工夫を感じる。

 

目をみはるくらいのおいしさだから、または口を大きく開けて食べる際に目も大きく開く様子から「めはりずし」と呼ばれたらしい。

愛らしいご当地スイーツ「鈴焼」

香梅堂

出典:気まぐれミミィさん

 

新宮市だけにしか販売していない、ご当地では知らない人がいないお菓子屋だ。

 

隣の熊野市に住む友人は必ず買って来てくれる。鈴の形をしているカステラと思ってほしい。香梅堂はもともと煎餅で有名だったが、時代に合わせて「鈴焼」を考案したと言われている。

 

新宮へ行かれる折にはぜひ、食したい。

写真・文:小平尚典