〈おいしい歴史を訪ねて〉

歴史があるところには、城跡や建造物や信仰への思いなど人が集まり生活した痕跡が数多くある。訪れた土地の、史跡・酒蔵・陶芸・食を通して、その土地の歴史を感じる。そんな歴史の偶然(必然?)から生まれた美味が交差する場所を、気鋭のフォトグラファー小平尚典が切り取り、届ける。モットーは、「歴史あるところに、おいしいものあり」。

第21回 新作カメラと一緒に、深大寺へ“そば散歩”

ニコンの新型ミラーレスレンズカメラのインプレッションがてら、おいしいそばでも食べたくなりどこかないかと思案していたら、深大寺そばを思い出した。JR中央線で三鷹駅に出向いてバスで深大寺まで出向くことにする。吉祥寺駅、つつじヶ丘駅、調布駅などからもバスが出ているようで、意外と便利だ。深大寺を散歩してお昼はおそばをいただきデザートはお茶とそば饅頭を食べ、帰りに、神代植物公園で綺麗なお花を見て和んで夕方に帰宅する一日散歩である。

 

深大寺には松尾芭蕉の句碑があることを先輩に聞いていた。まあ、旅人でもある松尾芭蕉は日本全国どこでも歩いているような気がする。「象潟や阿免尓西施が合歓能花(きさかたや雨に西施が合歓の花)」という句がある。象潟とは秋田県の景勝地。雨に煙る合歓の花が咲いている風景は、中国四大美女・西施が日本海のどんよりしている濃いグレーの色彩に少し心を悩ましている趣という感じだろうか。

 

さてさて、深大寺は奈良時代に開創されたといわれており、寺名は水神の深汝大王(じんじゃだいおう)の恋の物語から付けられたらしく今では縁結びの寺としても有名だ。まあ、恋をすると何も食べられなくなるらしいが、腹は減る。

公弁法親王も絶賛した、深大寺そば

江戸時代、米ができにくい土地だったので農民はそばを作っていた。そして米を納められない代わりにそばを寺に奉納していた。そのそばで深大寺に来る客をもてなしたと聞く。土地が米に適さなかったんだろうが、なかなか知恵を働かしたものだ。

 

歴史については諸説あるが、深大寺の総本山である上野寛永寺に献上したときに、公弁法親王が大絶賛し将軍家にも推奨されたなどの話がある。いつの時代もうまいものはすぐ伝えられる。手元の地図を見ると、そば屋のマークが17軒も付いていた。食べログを活用し、深大寺そば17箇所めぐりをしてみるのも楽しそうだ。

地元民おすすめのそば屋「玉乃屋」

近所の友人がすすめてくれた、「玉乃屋」に行くことにした。

深大寺の裏手にある坂を登っていくと店の看板が見えた。

肌寒い平日だったので、室内でそばをいただくことにした。

茶店風だけど真ん中に広い打ち場と製粉室があり、ほのかなそば粉の香りがしていた。木の机や箸入れも簡素ながら歴史を感じて、窓から見える新緑が心を和ませ、そばが来るのが待ち遠しくなる。僕は二八そばが好きなのでそれを注文。今日は見栄はって天ぷら付きだ。相方は生粉打ちのもり、十割の田舎そばだ。

天ぷらは、エビ・のり・茄子・インゲン豆の4種類。質素ながら上品でとても気に入った。そばは、外二ということで、さらっと仕上がっており、めんつゆとうまくマッチングしていた。十割の田舎そばはそば粉を感じる自然派だ。日本酒と合わせるのであれば田舎そばの方が良いなあ。

食べ終わる頃に、そば饅頭どうですか?なんて店員さんに言われて、糖質を気にしている僕は、一口いただくといいながら一個食べてしまった。蒸しているので外身はカステラのようにふわふわで中のあんこを包み込んでいた。緑茶との相性がこれまた最高だ。日本人に生まれてきてよかった。何と大げさな~。

食後は、ぶらぶら神代植物公園へ足をのばす

歩数計を見ると7,000歩は歩いていた。食後のなんやらで予定通りぶらぶらと神代植物公園まで行くことにした。シニア65歳の入場料は、半額の250円だ。こういうときだけは歳をとったことがうれしい。飛行機もスカイメイトならぬ、スマートシニアをうまく活用している。

ちょっと薄曇りで寒くなってきたので芝生を足早に植物園の温室園に入っていった。ポカポカしていて気持ちよい。南の島の雰囲気が漂ってくる。最初は密林のようで綺麗な色とりどりの熱帯植物を眺めて、真ん中に休憩所があったのでガラス越しに綺麗なお花を見ながら一休み。

お花はもちろんだが、面白い模様の葉っぱが気に入った。

東京近郊にこのような花の散策路があるのは喜ばしいな。春には桜やバラなども美しい。何と言っても視覚から嗅覚から、そして全体から醸し出される自然感がなんとも言えない。深呼吸が贅沢に感じる。こういう場所に行くと闘争心もなくなり、いつもの怒りや不満やわがままな文句も忘れて素直になれる。まあ、そばの貢献が大きいのですかね。今夜はおでんで一杯かな!!

 

撮影・文:小平尚典