〈食を制す者、ビジネスを制す〉
一日の終わり、自分をほめてあげているか?
先日、書店でビジネス書の新刊を眺めているときに、30代くらいのビジネスマンが松下幸之助の本を立ち読みしているところに遭遇した。松下幸之助といえば、誰もが知るパナソニックの創業者であり、これまでおびただしい数の関連書籍が出版され、「経営の神様」として崇められてきた人物だ。しかし、若手のビジネスマンにとっては、同時代の人ではなく、ちょっと距離感があるかもしれないし、本に書かれている数々のエピソードを自分事として捉えることも難しいかもしれない。ただ、そこで思い出したことがあった。
今から10年ほど前のことである。雑誌の特集企画でサッカー選手の本田圭佑さんをインタビューしたときのことだ。その頃の本田さんは、全日本の選手に選ばれたばかりくらいの時期で、サッカーファンの間では知られていたが、一般的な知名度はまだなかったように思う。私自身も、サッカー界について明るくなく、彼のことをほとんど知らなかった。
しかし、インタビューを進める中で、驚いたことがあった。本田さんが高校時代から松下幸之助の本を読んでいたというのだ。しかも、読んで、きちんと内容が頭に入っていたことにも驚いた。実はこれがなかなかできないことなのだ。
松下幸之助と本田圭佑
幸之助の本を読んで自分の血肉にするには、同じような努力をしていないとできない。自分で行動して悩んで、努力するから、幸之助のエピソードにうなずくことができる。幸之助の本を読んで、「そうだ、そうだ」と、一文に赤ペンで線を引けるということは、自分もそれだけ一所懸命に仕事や練習をして、努力しているからこそ、共感できるのだ。
大阪出身の本田さんにとっては、大阪の成功者として有名な松下幸之助は身近な存在だったかもしれない。だが、本田さんが高校時代から、真剣に人生について考え、サッカーで自分の人生を切り拓こうとしていたからこそ、松下幸之助の本を血肉にすることができたのだ。
そんな松下幸之助は成功者だったから、よく人から「なぜ成功できたのか」ということを聞かれたらしい。そんなとき、彼はよくこう答えていたという。
「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる」
なるほど答えは簡単だが、これが一番難しい。成功するところまで続けることは忍耐がいるし、成功するまでに多くの人が途中であきらめてしまう。私自身も、この言葉をまだ実感することができない。成功もしていないし、それだけの努力もしていない。だから、私は、幸之助の次のような言葉を参考に、仕事に向かう努力をしている。
「私はいま、二十代の夏の日のことをなつかしく思い出します。日のあるうちいっぱい仕事をし、晩にはタライに湯を入れて行水(ぎょうずい)をするのです。仕事を終えたあとの行水は非常にさわやかで、“自分ながらきょう一日よく働いたなァ”という満足感を味わったものです。自分ながらきょうはよくやった、と言って自分をほめる、自分をいたわるという心境、そういうところに私は何だか生き甲斐というものを感じていたように思うのです。お互い毎日の仕事の中で、自分で自分をほめてあげたいという心境になる日を、一日でも多く持ちたい、そういう日をつみ重ねたいものだと思います」(『人生心得帖』より)。
頑張った日の思い出はうどん
自分ながら今日はよくやった。自分をほめてやりたい心境になる。これなら少しは自分でもできそうな気がする。確かに一生懸命に仕事をした日は、お風呂に入っても気持ちがいいし、食事もおいしく感じることができる。
数年前に、仕事で大阪に行ったときのことだ。その日は、徹夜で原稿を書き上げ、午前中の新幹線に乗って大阪まで行き、午後1時から2時間近く取材をした後、たどり着いた難波の街を歩いていた。午後3時半くらい。徹夜明けの仕事でヘトヘト、ランチも食べる時間がなかったため、お腹も空いていた。しかし、今は本格的に食べる時間でもないし、すぐにまた新幹線に乗らなければならない。でも、ちょっと軽く食べたい。
そんなとき見つけたのが、難波の商店街にある立ち食いうどん・そば店「天政」だった。何気なく入ったのだが、これが良かった。注文したのは、「肉うどん」と「かやくご飯」。正直に言って、うまくて、安くて、早かった。肉うどんはスープと麺がしっかり絡んで味わい深く、かやくご飯もしっとりしっかりしている。しかも、肉うどんは430円、かやくご飯は190円とコストパフォーマンスも抜群。注文すると30秒くらいで出てくる。素うどんなら220円。てんぷらうどんで300円。これにかやくご飯を加えても、ワンコインで済む。
以来、大阪に行くと、この店に寄るようにしている。自分で一生懸命仕事をしたときの、おいしく食べたうどんの味が忘れられないからだ。しかも大阪に来ると、徒手空拳で成功した松下幸之助の息吹を、東京よりも身近に感じることができる気がする。ちなみに大阪は、東京と違い、そばよりもうどん。松下幸之助もよくうどんを食べていたという。