【噂の新店】dough-ist

2024年5月に笹塚にオープンした「dough-ist(ドウイスト)」は、“湯種の魔術師”の異名を持つ川原司シェフによる新店だ。「生地のおいしさ」にこだわり、さまざまな湯種を駆使して作り上げられた数々のパンは、どれも未知の食感と味わいとの出会い、そして驚きに満ちている。

ほかでは見たことのないパンも多く並ぶ、dough-istの陳列棚

あっという間に行列店へ。“湯種の魔術師”が手掛ける新店

店があるのは、住宅街にあるマンションの1階。パン好きはもちろん、近隣住民にも愛される店となっている

京王線・笹塚駅から徒歩8分ほど。古い商店街の名残がある住宅地の中に佇むこちらの店は、一見「どこにでもある街のパン屋」に見えるかもしれない。しかし、オープンと同時に途切れない行列に、そうではないことがすぐにわかるはずだ。

人気パン店、麹町「No.4」に在籍していた川原司シェフが独立、2024年5月にオープンした「dough-ist」。開店するやいなやその評判はあっという間に広がり、行列が絶えない店となった。

店内にはひっきりなしに焼き上げられたパンが並ぶ

「dough(ドウ)=生地」。「生地のおいしさ」で勝負をしたい……店名には、川原シェフのポリシーが詰まっている。

「『おいしいパン』ってなんだろう?と考えたんですよ。みんながパンをおいしいと言っていても、実は中に挟まれたクリームや具材のことを言っているパターンが多いんじゃないか、と。だったら生地をおいしくした方が、よりパンがおいしくなるのでは……と思ったんです。あと、パン屋さんって人件費や原価など大変なことも多く、“いろいろなことはできない”というのが現実としてあります。生地のおいしさで攻めたほうが、他の店との差別化にもなるし、そういった問題も解消するのでは?とも考えました」(川原シェフ・以下同)

川原司シェフ

さまざまな具材とパンを組み合わせ、見た目の華やかさでも人気となる店が多い中で、あえて逆のベクトルでの勝負を決めた川原シェフ。

「華やかなパンもいいんですけれど、それよりももう一段階上の“感動”をお客様に味わってもらうには、やはり生地のおいしさを追求するほうがいいのでは?と思いました。そのほうが流行り廃りに影響を受けず、長く愛してもらえる店になるのでは?と。ただ、この方向性で“手間が省ける”かといったら、そうでもないです。逆に手間が増えているかもしれません」

そう言って笑う。

dough-istのパンは不揃いに見えるものも。それは、生地へのこだわりゆえ

ところで、市販のパンなどでもよく見かける言葉「湯種」。改めてどんなものかと問われたら、意外と知らない人が大半なのではないだろうか。

「簡単に説明すると、お湯と小麦粉を合わせてアルファ化させた“湯種”を使い、熱の作用で熟成を進めるような製法です。パン生地に湯種を入れることで甘さやもっちり感を引き出すことができ、日本人好みのパンになるんですね。それもあり、日本では昔から使われてきた製法の一つです」

川原シェフがパン職人の道を歩み始めた頃は「低温長時間発酵」が主流の時代。そもそも低温長時間発酵の本来のポイントは「生地を長時間発酵させることで酵素が発生し、甘みやうまみが引き出せる」という部分にあった。それらを生み出す酵素は、本来はもっと高い温度でも活性化するもので、それが“湯種”。だったらこの低温長時間発酵の手法と湯種の手法、両方のエッセンスを合わせたらどうなるか?というのが発想のスタートだったという。

こちらが“湯種”。仕込んだ湯種は一晩寝かし、次の日の生地づくりの際に加える

この湯種を使った製法は、甘みやもっちりさを引き出す反面、パンが膨らみにくくなったり、生地が硬くなったりするデメリットがある……と一般的には言われている。

「でもそれは、水分量の問題なんですよ。全体の水分量が本来の計算のままで生地の一部を湯種にすると、どうしても硬くなってしまい、膨らみにくくなる。だったらその分、生地に水分を足してあげればいいんです」

仕込み中の生地。一見するとパン生地に見えないほどの水分量と軟らかさ

話だけ聞くと、単純な理屈に聞こえる。しかし、水分を足せば足すほど生地は軟らかくなり、成形しづらくなるなど“扱いにくさ”が出て、大量生産に向かなくなる。

「“きれいなパン”は、実は生地が扱いやすい、“作りやすいパン”なんです。でも、食べるとそんなにおいしくなかったりする。高加水でも見た目がきれいなパン、というのを作りたいなと思っています。なかなか安定しないんですけどね(笑)」

湯種はパン生地全体の比率において15〜20%が一般的なところ、dough-istのパンは湯種の割合が50%以上、ときには70%にのぼるものもあり、他の湯種仕込みの生地とは一線を画す。そのため、dough-istのパン生地は他店に比べると圧倒的に軟らかく、通常パン生地の仕込みでは使わないミキサーのような道具が使われることも。そうやってさまざまなバリエーションの湯種を使い、扱えるギリギリのラインの加水率を狙った生地から、多くの人が味わったことのないような食感のパンが次々と生まれる。これが、dough-istのパンの魅力だ。