本田直之グルメ密談―新時代のシェフたちが語る美食の未来図

食べロググルメ著名人として活躍し、グルメ情報に精通している本田直之さんが注目している「若手シェフ」にインタビューする連載。本田さん自身が店へ赴き、若手シェフの思いや展望を掘り下げていく。連載5回目は熊本「.know(ノウ)」の鍬本 峻(くわもと しゅん)シェフ。ガス火を一切使わない独創的なイノベーティブレストランを作った新進気鋭の若手シェフが描く未来の展望とは?

自由でワクワクする料理に魅せられて

 ram2004
店舗ロゴが入った扉   出典: ram2004さん

本田:まずはシェフになるまでの経緯から。子どもの頃から料理人になろうと思っていたの?

鍬本:小学2年生のときに家庭科でドレッシングを習って家で作ったのが、最初に誰かに食べてもらったソースでした。何かを作ったり、組み立てたりするのは、子どもの頃からずっと好きでしたね。高校中退したとき、今は亡き母から料理学校に行ってみたらと勧められて。それで一人暮らしをしながら、長崎の専門学校に行きました。卒業後は短期で、1カ月ぐらいル・コルドン・ブルー(パリの料理学校)に行きました。

本田:フランスに行ったの?

鍬本:はい。そのあたりから海外に興味を持つようになりました。「シェフってめちゃくちゃかっこいい仕事だなぁ」と思うようになったのもその頃です。今でも憧れの仕事なんですけど、当時パリでフランスパンを持って歩いてるコート姿のシェフたちに衝撃を受けましたね。

本田:それだけでもかっこよく見えるよね。料理学校で習ったのはフレンチ?

鍬本:フランス料理、洋食です。そのとき習ったオレンジの果汁を使った鴨のソースみたいな王道料理は今でも作ります。創作の場合、できるだけ新しい組み合わせや提案をできるようになりたいなと思っているんですけど、80年代の料理やクラシックなソースなどは今でも単純にファンとして作ります。

本田:峻の料理ってイノベーティブと思われるけれども、そういう伝統的なスタイルも使うよね。コルドンブルーを出て、その後どうしたの?

鍬本 峻(くわもとしゅん)シェフ 写真:お店より

鍬本:帰国後、熊本のホテルで少し働いたんですけど、そこでは料理することの楽しさをつかめなくて、辞めてしまいました。

本田:仕事っぽい感じになっちゃうからね。

鍬本:もちろん厳しかったですし、その厳しさに耐えられなかったというのはあります。その後、熊本市から離れて、地方のパスタ屋さんで働きました。そこではやることがすごくシンプルで、料理にプラスして営業的なことも考えるようになって仕事が楽しくなりました。それで、ピザ職人になろうと思って、ナポリ、イタリアに行ったんです。ナポリで丸々3カ月間、ピザを学んで。お店からピザの世界大会に出させてもらったりしましたね。イタリアでは徳吉洋二さんがスーシェフを務めていた「オステリア・フランチェスカーナ」に行ったんですけど、そこで、こんなに料理は自由なんだと感銘を受けました。徳吉さんが作るモルタデッラのハムとか食べたら、こんなにワクワクする料理があるんだということに驚かされて。日本に帰国した後、何をしていいかわからなかったんですけど、東京の徳吉さんのところへ行って、働いたりしました。

本田:洋二(徳吉さん)のところに?

鍬本:もう大ファンで。今のような料理が好きになったのは、徳吉さんの影響です。

本田:イタリアから帰って、東京でもまた修業したの?

鍬本:「HEINZ BECK(ハインツ・ベック)」というお店があって(現在は閉店)、そこに知り合いのコネで入らせてもらえることになったのが、東京に行くきっかけです。1年ぐらいいましたね。そこを辞めるときにイタリア人の日本店のヘッドシェフの方から、これからは道具をどれだけ使いこなせるかが勝負になるよと言葉をかけてもらって。それは今でも覚えています。その後、東京では寿司店の皿洗いとかいろんなところでバイトしていました。それから、熊本に帰って、25歳のときに「K」という店を1人で始めました。