【特別インタビュー・後編】一歩踏み出したことで見えた新しい世界。パン屋に込める願いとは

2017年9月、惜しまれつつも現役を引退した世界的テニスプレーヤーの伊達公子さん。そんな伊達さんが昨年オープンした、ドイツパン専門のベーカリーカフェ「フラウクルム」にて敢行した特別インタビュー。伊達公子さんがパン屋を始めた理由、“自称・歩く食べログ”と語るほど食が好きという意外な一面をお届けした前編に続き、後編では、店名の由来や「プロテニス選手時代に通じる」と語る、異分野への挑戦についてお話をうかがった。

 

伊達公子(だて きみこ) 1970年京都府生まれ。エステティックTBC所属。小学校1年生でテニスを始め、高校卒業と同時にプロテニスプレーヤーに転向。93年に全米オープンベスト8入り、94年には日本人初のWTA世界ランキングトップ10入り(9位)を果たし、95年に4位へと更新。96年に現役引退。2008年に現役復帰を発表し、09年にウインブルドン本戦出場。同年、WTAツアー・ハンソルオープンで優勝し、歴代2位の年長優勝記録となる(38歳11ヶ月30日)。その後も世界の名だたる大会で年長記録を更新するなど活躍を続けるも、17年9月に現役を引退。16年、自身がプロデュースしたベーカリーカフェ「フラウクルム」を東京・恵比寿にオープン。

感謝の気持ちを込めてつけた店名は“フラウクルム”

――店名を「フラウクルム」にした理由は?

 

伊達、以下・伊:「クルム」というのは結婚していた時の私の姓で、「フラウ」というのは英語でいう「Mrs.(〜夫人)」。つまり、「クルム夫人」という意味です。元夫はドイツ人で、彼のおかげでドイツパンとも出会えたわけなので、店の名前の候補となっていました。店名を考えていた時はまだ夫婦でしたが、まぁ、離婚する可能性も想定されたわけで(笑)。そういうこともお互いに了承した上で「使っていい?」「いいよ」「じゃ、喜んで使わせていただきます!」という感じで(笑)。今でも彼は応援してくれていて、今日もイートインコーナーに座ってましたよ。

 

異分野への挑戦は新たな情熱を注げる対象との出会い

 

――素敵な関係ですね。長年続けてきたプロテニスプレーヤーという道から、新たな分野へチャレンジされたこと、そしてこのお店そのものは伊達さんにとってどんな価値になっていますか?

 

伊:自分が心から好きで、情熱を注げる対象に出会えたという意味では、テニスと同じだなと思います。異分野への挑戦なのでまだまだ手探り状態ですが、時々お店に来たときに、お客さんに喜んでもらえている様子を直接見られるとうれしいですね。今日も、親子連れの方がいらしていて、小さなお子さんが「ママ、私の分のパンを食べないで!」と言いながら、たくさん頬張ってくれていて。そういう姿を見られると励みになります。

 

これはテニスに対してもそうでしたが、やっぱり「もっと頑張ろう」と情熱を燃やせる源になるのは「好き」「楽しい」という気持ち。好きなことであれば努力もできるし、工夫もできる。結果、いいものが提供できるはずだと思います。

プロテニスプレーヤー時代に通じる原動力は「好きだからこそ」

――「好きなことだから頑張れる」というのは、プロテニス選手時代と通じると。

 

伊:はい。でも、実は心からそう思えるようになったのは、1回目の引退をした後、2008年に復帰してからのことです。1度目の現役時代の時は、正直、テニスを心から楽しめる余裕はありませんでした。結果は出せていたけれど、「次も勝たなければいけない」というプレッシャーばかりを感じていて、テニスを楽しめていなかった。でも、一度離れて「もう一度やりたい」と思えた時は、結果が目的ではなく、純粋に「テニスを楽しむこと」を目標にできたんです。37歳での復帰に対しては「『前より勝てなくなった』と言われてもいいの?」とか「世界ランキング4位まで行った人がマイナーな試合に出たら失望されるよ」と忠告してくれる人もいました。でも、「私自身が大切にしたいことを見失わず、納得していればいい」って思ったら、周囲にどう思われるかはまったく気にならなくなりました。

 

すると、すべてのことが楽しめるようになったんです。時にはスコアも自分で変えなきゃいけない、ボール拾いもいない試合にも出ましたが、「テニスができることが幸せ」という気持ちの方が大きかった。怪我をした状態の自分がどこまでできるか、といった自分なりのチャレンジに向き合っていることが大事だと思っていました。

 

 

――そうやって挑戦を続ける伊達さんの姿に勇気をもらった人は多いと思います。

 

自分自身としては大それたことをしたつもりはなく、ただ自分自身のために勇気を出して一歩を踏み出してみただけ、という感覚なんです。でも、その“一歩”を踏み出したことによるプレゼントをたくさんいただけた気がします。それは人との出会いや世界の広がりで、お店を出せたことにもつながっています。踏み出してみないと見えない世界ってあるんですね。

 

40代も半ばを過ぎてから新しいことにチャレンジするのはもちろん不安もありますが、私はテニスでの経験を通して「結果や数字が必ずしも成功の条件ではない」ということを知っているので、とにかく自分が納得できるものを目指していきたい。10人全員から支持されなくても、そのうちの1人、2人から「ここのパンが大好き」とファンになってもらえるような店になればいい。そう思っています。

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新しい挑戦。伊達公子がドイツパンに情熱を注ぐ理由とは?(前)

 

インタビュー・文:宮本恵理子

撮影:前康輔