年に1回、食べログユーザーからの投票で決まる「The Tabelog Award」。全国に星の数ほどある飲食店から選び抜かれる受賞店の魅力を伝えるとともに、店主の行きつけの店をご紹介。和牛肉割烹「肉屋 田中」店主が、自信をもっておすすめする名店とは?

〈一流の行きつけ〉Vol.9

和牛肉割烹「肉屋 田中」銀座

高評価を獲得した全国の店の中から、さらに食べログユーザーたちの投票によって決定する「The Tabelog Award」。どの受賞店も食通たちの熱い支持によって選ばれただけに、甲乙付け難い店ばかりだ。

当連載では一流店のエッセンスを感じてもらうべく、受賞店の魅力やこだわりとあわせて店主が通う行きつけの店を紹介する。

第9回は2021年、2022年と2年連続でSilverを受賞した「肉屋 田中」。オーナーシェフの田中覚氏に話を伺った。

肉に人生を捧げ、肉と共に生きる料理人

写真:お店から

最高級の和牛を贅沢に使ったコース料理で客人を魅了する「肉屋 田中」。オーナーであり、料理人として腕を振るう田中覚氏は、牛飼いの家畜商であった祖父、精肉店を営んでいた父をもつという、3代前から牛肉と深い縁で結ばれている人物である。

初めて包丁を握ったのは3歳のとき。父の姿を真似たそうだ。「勉強でほめられることはないけれども、肉を上手にさばくとほめてくれる。肉をさばけないとバカにされる。そんな家で育ちました」と振り返る。

6歳になると親とともに初めて肉牛の競りに立ち合った。小学生のときには肉の解体を手伝いはじめ、中学に入学すると叔父の経営する食肉工場で骨抜きなどの本格的な技術を習得していった。そうして高校に通いながら、若くして肉を扱う職人となる。成人を迎えるとともに父から精肉店の経営を譲り受け、22歳のときに「焼肉田中」をオープン。田中氏は愛知・岐阜・滋賀を中心に、肉をメインとする飲食店の経営を拡大していく中で、徐々に和牛に魅せられていった。

写真:お店から

「私の出身は岐阜県揖斐郡大野町というところ。誰も知らないような片田舎です。父から譲り受けた精肉店はブランド和牛なんて扱えませんでした。それが私のコンプレックスだったのかもしれないですね」

田中氏は生きることと肉を扱うことを切り離せない人生を歩んだ。そして和牛の魅力に憑りつかれながら、牛肉を扱う人間として「日本一」を志したのである。

肉師・たなかさとるの名声を掲げ肉割烹の最高峰へ

「東京に足を運んだのは学生の頃の修学旅行以来ありませんでした。銀座に出店するなんて思ってもいませんでしたよ」と田中氏は言う。「肉屋 田中」を開いたのは2019年のこと。野村不動産が銀座に建設した新しいビルに出店することを乞われたうえでの東京進出であった。

オールバックGOGOGO
出典:オールバックGOGOGOさん

「肉屋 田中」は、和牛をさまざまな料理に仕立てる肉割烹である。店は国内外でデザインプロジェクトを手がける森田恭通氏が手がけた。お品書きはおまかせのコースのみ。前菜から、お造り、椀物、焼物、季節のお肉料理、ステーキ、〆のご飯、季節の水物など、10品〜11品ほどが提供される。アワビやマツタケといった四季折々の食材とともに、神戸牛や特産松阪牛など、純但馬系長期飼育の銘柄牛を贅沢に堪能できる店として食通の称賛を集める。

yoshimurakei
出典:yoshimurakeiさん

入手困難な和牛が「肉屋 田中」に集まる理由

和牛の買い付けは田中氏自らが行う。松阪牛、神戸牛、近江牛、飛騨牛、山形牛。各地から選ばれるブランド和牛をさらに厳選し、これぞという一頭を落札するのだ。田中氏はこう語る。

「その日、日本を代表する最もおいしい肉を扱います。比喩表現ではなく“日本一”の和牛です。和牛の競りは生易しい世界ではありません。力を持つ者のみが最高の和牛を買えるのです。力を持つとは何か。一つは扱う物量のことですね。量を多く扱う者が力を持ちます。そして何より、生産者からのゆるぎない信頼がなくてはいけません。私はときに、損をしてでも最高の和牛を買い続けてきました。生産者は丁寧に手間を惜しまずに牛を育てています。田中覚なら買ってくれるだろう、田中覚に買ってほしいと思いながら牛を育てているのです。私も牛舎に立つと涙があふれてきます。もう、ありがたくて、ありがたくて……」

pateknautilus40
出典:pateknautilus40さん

「肉屋 田中」が、にわかに沸いた和牛ブームに乗る店と一線を画す理由はここにある。生産者との確かな絆、競り市場で名を轟かせる力は、昨日、今日では決して手にできないものなのだ。