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お菓子の歴史を語らせたら右に出るものはいない! といっても過言ではない、お菓子の歴史研究家・猫井登先生が、現在のトレンドを追いつつ、そのスイーツについて歴史を教えてくれちゃうという、一度で二度おいしいこの連載。今回は、旬真っ只中のスイーツ「モンブラン」を特集! モンブランの歴史のおさらいから、今年注目のモンブランまで、栗指数高めでお届けします。
【猫井登のスイーツ探訪・特別編】「モンブラン」
モンブランの起源はフランスやイタリアの家庭料理?
モンブランは、直訳すると「白い山」の意味を持つ。諸説あるが、アルプス山脈のモンブラン峰周辺地域である、フランス・サヴォワ地方やイタリア・ピエモンテ州などで食べられていた家庭菓子が原型と言われる※1。これは、地元で採れた栗をやわらかく煮てペースト状にしたものに、泡立てた生クリームをのせた素朴なもの。イタリアでは「モンテ・ビアンコ(白い山)」と呼ばれている。このお菓子がフランス・パリに伝わり、洗練され、現在見られるモンブランができたのではと考えられている。
※1 一般的には、雪山を模しており、上部は雪の積もった部分を、下部は山の地肌を表現していると言われるが、雪山とその麓に広がる栗林を表現しているという説もある。
モンブランは、日本ではフランス菓子店の定番として知られ、フランスにおいても、どの店でも売っているポピュラーなお菓子だと思ってしまうが、まずパリでは、モンブランを初めて売り出したとされる「アンジェリーナ」以外では、比較的高級な菓子店でしか見かけない。
パリ以外でモンブランが見られるのは、モンブラン峰の麓にあるシャモニー。アルザス地方やローヌ地方でも類似のお菓子が見られるが、これらの地方では「トルシュ・オー・マロン(Torche aux marrons)=栗の松明(たいまつ)」と呼ぶ。スイスでも見られるが「ヴェルミチェッリ(Vermicelli)=イタリアの極細パスタ」と呼ばれる。
フランスのサヴォワ地方、イタリアのピエモンテ州、そしてスイス……。地図を広げて見ると、かつてサヴォイア家が治めていた地域と重なることがわかる。サヴォイア家と言えば、第二次世界大戦直後までイタリアに君臨した王家。11世紀に、ブルゴーニュ公国の有力な家臣の一人であるウンベルト1世を始祖としてアルプス地方のサヴォワ(サボイア Savoia)におこり、13世紀から15世紀にかけてピエモンテ地方に領土を広げ、現在のフランス、イタリア、スイスにまたがる地域を治めていた。
要約すれば、モンブランは、もともと地元の特産品である栗を使った、フランスのサヴォワ地方、イタリアのピエモンテ州辺りで作られていた家庭菓子であったが、サヴォイア家が治めていた地域やその周辺に、形や名称を変えながら広がっていったということだ。
なぜ黄色いモンブランと茶色いモンブランを見かけるの? 日本のモンブランの歴史
その1 黄色いモンブラン
現在、東京・自由が丘に店を構える「モンブラン」の初代店主・迫田千万億(さこた ちまお)さんが、1933年にフランス・シャモニーを旅行した際に食したお菓子に感動し、日本人の口に合うように工夫し作り上げた「モンブラン」が全国的に広がった。これが現在も見られる「黄色いモンブラン」の原型だ。
構造的には、カステラ生地に栗の甘露煮を埋め込み、カスタードクリームを絞り込んだものを土台にして、周囲にバタークリームを、中央に生クリームをこんもりと、その上に栗のクリームを絞る。てっぺんに白いメレンゲを飾り、完成。
栗のクリームが黄色いのは、渋皮を取り除いてから甘露煮にしたものをペーストにしているから。日本人はふんわりとした生地を好むため、土台をカステラ生地にし、当時栗と言えば栗きんとんで、黄色いイメージだったので、それに合わせて甘露煮のペーストにしたとも言われる。