一見、何屋かわからないお店に潜むのは……
「ムーグルモン」。ユニークな店名はフランス語で、“牛がモウ〜と鳴くこと”を意味する言葉だとか。今年の2月、バレンタインデーにオープンした同店は、その名の通り、熟成牛肉とヴァンナチュールに特化したビストロだ。場所は井の頭線西永福。比較的地味な場所にありながら、名うての肉ラバー達が、連日⁉︎入れ替わり立ち替わり訪れる、今、話題の一軒だ。
その訳は、オーナーシェフ・中森隆司さんの出自と扱う牛肉にある。御年35歳にして独立を果たした中森シェフ。その彼の修業先が、神楽坂「アンティカ オステリア カルネヤ」と六本木「祥瑞(しょんずい)」。そう、肉ラバー垂涎の名店二軒で腕を磨いた強者なのだ。しかも!である。店で扱う牛肉は、一流料理人達から熱いラブコールを受けている二大希少熟成肉店、滋賀県「サカエヤ」と北海道「エレゾ社」の肉が中心とあらば、グルマン達の注視を浴びるのも当然だろう。
2004年、大阪・あべのの辻調理師専門学校を卒業した中森さんは、神戸のピッツェリアで働いた後、21歳で上京。イタリアンやフレンチ、スパニッシュの店などを経験して肉イタリアンの雄「アンティカ オステリア カルネヤ」に入る。26〜27歳頃のことだ。肉に興味があってのことなのかと思いきや「飲食の求人情報誌で募集していたのをたまたま見かけて」といかにも素っ気ない。だが、肉焼きのスペシャリストとして名高い高山いさ己シェフのもとで3年間、部位や肉質などいろいろなタイプの肉に触れ、焼き方をはじめとする様々な肉のノウハウを学ぶうち、気がつけば肉の面白さに、どっぷりとはまっていったそうだ。
続く「祥瑞」ではシェフを任され、更に肉焼きに邁進。塊肉をいかに効率よく焼くかを、自ら工夫していったとか。「なんといっても、数をこなせたのは良い勉強になったと思います」とは中森シェフ。「サカエヤ」の牛肉とも、ここで出会うことになる。
西永福駅から徒歩3分。路地裏に佇むその店は、全面ガラス張り。外から中の様子は丸見えながら、一見して何の店なのかよく分からない。段差のあるカウンターのみの店内はいたって簡素だ。余計な装飾品は一切なく、必要最低限のしつらいといった体なのだが、それがかえって、ステーク・フリットをはじめとするシンプルなメニューと巧みにシンクロ。店全体の雰囲気に統一感を与えている。黒板に書かれた他の料理も、「短角牛のリエット」や「マッシュルームのオムレツ」、「ラディッキオとアンチョビのサラダ」等々、いずれも実に単純明快だ。
肉と付き合い続けたシェフが編み出した、独特の焼き方
席に座ると、まず、その日の塊肉が木のボードに載せられて登場する。最低200g前後から大きいものでは600gを超す塊にカットした大小さまざまな牛肉が並ぶさまは、実に圧巻! 思わず歓声が上がる瞬間だ。
取材日は、「エレゾ社」の北海道・短角牛と「サカエヤ」の岩手県雫石・短角牛の2種類。前者はランプ、後者はサーロインで、いずれも、20日間ほどねかせているとか。どの肉塊にも、グラム数が書かれた透明なプレートが置かれており、客は肉を見ながら、お腹の空き具合と相談しつつ、好みの肉と量を選ぶわけだ。
中森シェフによれば「肉をおいしく焼くには、版の大きさよりもまず厚さが大切」だそうで、理想の厚さは約3〜4㎝。出来るだけ大きな塊で焼くこともおいしく焼き上げるためのセオリーの一つ。なるほど、どの牛肉もオォ!と思うほど肉厚にカットされている。
肉の焼き方も一種独特だ。本来は、最初に肉の表面をフライパンでざっと焼き固める。そして、それからオーブンに入れ、ゆっくりじんわり火を入れていく――これが、いわゆる昔ながらのオーソドックスな焼き方だろう。
しかし、中森シェフの場合はその真逆で、肉をオーブンに入れる方が先。手を入れておける程度の温かさにしたオーブンの中に、約20〜30分入れておくというのだ。中森シェフ曰く「火を入れるというより、肉をゆっくり常温に戻すための仕事」で、肉塊がほんのり温まったら、最後にフライパンで仕上げにかかる。たっぷりのグレープシードオイルをアツアツに熱し、絶えず肉塊にかけ回しながら、揚げ焼きの要領で一気呵成に焼き上げていく。フレンチでいう「アロゼ」の手法だ。肉塊から一瞬たりとも目を離さず、一心に油をかける中森シェフの眼差しは真剣そのもの。僅かな肉の表情の変化も見逃すまいと、まるで肉の声を聞き取ろうとしているかのようだ。
聞けば、「『祥瑞』の厨房ではフライパンしか使えず、如何に効率よく焼くかを考えた」。焼き上げていくうち、辺り一面、肉の焼ける芳ばしい香りが立ち込め、いやが上にも食欲を刺激する。焼き上げたら休ませず、すぐにカットして提供するのも中森流。肉の水分量に気を遣い、赤身と脂身のバランスの良い肉を選んでいるそうだ。
「熟成させた肉は、水分が飛んでいるのでそれほど休ませなくても大丈夫。焼きたての肉ならではの勢いのある旨味、香りをストレートに味わって欲しいですね」。盛り付けもダイナミックな牛肉は、周りは焦げ目がつくほどしっかりと焼き付けてありながら、中は鮮やかな深紅色。血の滴る肉塊は見るからに野性味にあふれ、その焼きたてにかぶりつけば、ガシッと歯の入る適度な歯ごたえと弾力が、肉を喰らう快感を掻き立てる。噛みしめるうち、じわじわと滲み出る鉄分の旨味も滋味深く、僅かに感じる脂の甘さの余韻が後を引く。黒毛和牛のそれと違い、1人2〜300gはいける軽さも魅力だろう。
肉以外のメニューも、多くはないがいずれも魅力的。ラディッキオ(チコリーの仲間。フランス語ではトレビス)のほろ苦さとアンチョビの塩味が絶妙な組み合わせの「ラディッキオとアンチョビのサラダ」や、あっさりしたコンビーフのような「短角牛のリエット」などをつまみつつ、肉が焼きあがるのを待つのが得策。肉のお供には、常時40種以上が揃うヴァンナチュールを是非! 締めには、太麺パスタも用意されている。