フードライター・森脇慶子が注目の店として訪れたのは、東京・西荻窪のイタリア料理店「オステリア トレ パッツィ」。早くも地元の人に愛されるこの店の人気の理由とは?
【森脇慶子のココに注目 第28回】「オステリア トレ パッツィ」
気取らず、それでいて気の利いたおいしい店が点在する西荻の街。個人経営の個性的な飲食店が似合う独特な文化のにおいを漂わせるこの街にまたひとつ、地元密着型の素敵なイタリア料理店がオープンした。
開店日は、コロナ禍の緊急事態宣言が解除されて間もない6月7日。駅の南口、西荻のランドマーク的存在である「こけし屋」の少し先に店を構え、早くも賑わいを見せているのが、件の「オステリア トレ パッツィ」だ。
「うちは店名通りのオステリア。お客さんの好きなように飲んで食べてもらえればいい。アラカルトのみにしているのも気軽にいらして頂きたいから。前菜やパスタ一皿とワインでも全然OK。遅い時間でしたら、ワインバーとしての利用も大歓迎です」とのうれしいひと言は、厨房で一人腕を振るうオーナーシェフの松原達志さん。
一方、サービスを一手に引き受け共に店を切り盛りするのは、ソムリエの資格を持つ弟の松原憲作さんだ。この店に来て、まず最初に感嘆させられるのは、彼ら松原兄弟の見事に息の合った連携プレーだ。
松原兄の、焦らずそつなく料理を仕上げていくスピードとお手並もあっぱれなら、出来上がった料理を間髪を容れず客席まで運び、なおかつドリンクの有無にも目ざとく配慮する松原弟の隅々まで行き届いた目配りもお見事。その淀みなく流れるような2人の動きは、見ていて気持ちがいいほどだ。それも、ともに吉祥寺の人気店で、片や料理長、片や店長を務めてきた一騎当千の強者と聞けば合点がいく。
さて、手書きのメニューに目をやれば、今度は魅力的な料理の数々に食指が動く。「長谷川農産マッシュルームのサラダ」や「長崎白イカのスペルト小麦のサラダ」などのさっぱり系サラダから「牛タンのカツレツ」といった揚げものに「トリッパと白インゲン豆のトマト煮込み」のような煮込み料理まで幅広いラインアップに心が躍る。
一皿を2人で充分楽しめるだけの量がしっかりあるのも良心的だ。また、パスタにしても、手打ちと乾麺の2タイプを用意する周到さ!
僅かに小技を利かせた前菜類に対し、メインは「熊本黒毛和牛ランプのタリアータ」や「岩手白金豚ロースの低温ロースト」と素材をストレートに提供。メリハリのついたメニュー構成にも、百戦錬磨である松原シェフのセンスが窺える。
マッシュルームのサラダをいただいた後オーダーしたのは、気になっていた「牛タンのカツレツ」。定番化しつつある人気メニューだそうで、柔らかくなるまで煮込んだ牛タンにパン粉をつけ、カラリと揚げたもの。文字通りのカツレツだ。
松原シェフによれば「牛タンは、玉ねぎや人参などのクズ野菜と共に、皮が剥けるようになるまで水から約7時間ほど煮込んでいます。いわば、“ボリート”ですね。それをカツにしてみたわけです。なので、ソースもボリートにつきものの、サルサヴェルデを添えています」とのこと。
“ボリート”とは、大きな肉を野菜と共に煮込んだピエモンテ州の郷土料理。イタリア風おでんといったニュアンスの一品だ。大胆にカットされた肉厚の牛タンにかぶりつけば、パン粉のサクッとした歯触りに対し、牛タンのほどけるようにソフトな食感に意表を突かれる。噛みしめるほどに肉の繊維から滲み出る肉汁は、タン特有の旨味に溢れ、ジンワリと味蕾を潤していく。
また、イタリア版モツ煮込みといった体の「ギアラとうずら豆の煮込み」も、ホルモン好きなら外せない佳品。ギアラは国産のフレッシュなものを用い、4〜5回茹でこぼして臭みを取り除いてから、白ワインと水で更に2時間、柔らかくなるまでじっくりと煮込んでいく。このとき、浮いてきた脂を綺麗に取り除くのが、コクがありつつもアッサリめに仕上げるコツ。
味付けは塩、胡椒とシンプルながら、ギアラの旨味がうずら豆の煮汁に溶け込み、双方が相まって実に滋味溢れる味わい。決して派手ではないが、心にしみるおいしさだ。手打ちパスタのピチを使用した「猪のラグーソース」の煮込み加減も絶妙で、どうやら松原シェフ、煮込み料理はお手のもののようだ。
だが、松原シェフによれば、自身のスペシャリテは“カチョ・エ・ペペ”なのだとか。カチョ(チーズ)とペペ(胡椒)のみの、シンプルながら奥の深いローマを代表するパスタのひとつだ。
松原シェフがしみじみと語る。「6年前、ローマの下町にあるトラットリア『ダ・フェリーチェ』で食べたカチョ・エ・ペペが衝撃的においしくて。何とかその味を自分で再現したいと、あれこれ試行錯誤したんです」と。
ポイントはチーズと胡椒の量。そして、いかにソースを手早く乳化させパスタに絡めるか、そのタイミングにある。チーズが少ないとコクがなく、多すぎれば今度は口の中でボソボソしてしまう。要はバランス。これが全てなのだ。
パスタはもちろんトンナレッリ。断面が正方形をした卵麺で、カチョ・エ・ペペの定番パスタだ。そしてチーズは常套通りペコリーノ・ロマーノ。だが、パルミジャーノチーズを少し加えて旨味をプラス。「『ダ・フェリーチェ』で教わった味の秘訣です」と松原シェフ。思い入れの深い一皿ゆえ、季節を問わずオンメニューしていくつもりだそうだ。
一番最初の修業先、表参道「エトゥルスキ」では、お菓子担当だった松原シェフだけにデザートも隠れた自信作。中でもおすすめは、「ティラミス」。卵黄とシロップを泡立てるパータボンブをベースにしているそれは、ふわりとした食感はそのままに、濃厚なおいしさが特徴だ。
おまかせのコースは、この店にはない。その日のお腹と気分に合わせ、今日は何を食べようか〜と、メニューを眺めながら頭の中でシミュレーションしてはあれこれと悩む。そう、おいしいひとときは、このときから既に始まっている。そんな、今では数少なくなってきたレストランでの楽しみを、思い出させてくれる注目店である。
※価格はすべて税抜