目次
〈僕はこんな店で食べてきた〉
カレーはほろ苦い「背伸び」の味
小さいころ、家で母が作ってくれたカレーは「S&Bゴールデンカレー」のルーを使ったものだった。特別なアレンジをしていた記憶はないのだが、子供にとっては少し辛く、でも友人たちがよく話す「ハウスバーモントカレー」のような甘さ中心のカレーでないことが大人の味に触れたようでうれしかった。
その当時は本郷に住んでいた。文京区にはJR(当時は国鉄)も地下鉄もなく、移動するときはバス。贅沢な買い物は日本橋や銀座、ちょっとした買い物は上野というのが我が家のルールだった。上野松坂屋で買い物をしたあとに母がよく言ったのは「タクシーかバスで帰る? それともがんばって歩く?」。歩くと答えたときのご褒美は、湯島「デリー」のカレーだった。いまも同じ場所にある。
大人になってからはいつも極辛の「カシミールカレー」を頼むが、その歳では無理だろう。なにを頼んだのかは覚えていないが、子供心の楽しみは食後のコーヒーだった。
「子供は興奮するからコーヒーはダメよ」と言われ、家ではせいぜいコーヒー牛乳しか飲んだことがなかったが、ここでは最後にデミタスコーヒーが無料でついて、それを飲むことが許されたからだ(いまはそのサービスはない)。けっして旨いと思って飲んでいたとは思わないが、やはり大人の味に触れた気がして嬉しかったのだと思う。だから、カレーという料理には「背伸びしてきた」イメージがついて回った。
本場インドの味に受けた衝撃
はじめてインドに行った1980年代後半にインド料理の旨さのとりこになり、帰国してからインド料理ばかり食べていた時期がある。当時のインド料理店は北インド料理が多く、一番有名なのが銀座にあった「アショカ」だった。スタンドカレーに比べてインド料理のカレーは10倍くらいの値段の差があり、いったいなにが違うのかと考えていた。ほかには赤坂にあった「タージ」や六本木「モティ」、西麻布「嶮暮帰」、銀座「ナイルレストラン」にもよく行った。
ルーとごはんのバランスが重要
スパイス使いの妙味にはまったのは神保町の「エチオピア」だ。開店当初は喫茶店の居抜きのような内装だったが、出てくるカレーのスパイシーなこと。特にカルダモンの使い方がうまく、辛いのにさわやかな後味が心地良い。定番は「チキンの5辛」。おなかがすいているときは豆つきを頼むことも多い。ここはルー多めのオプションがあるのもうれしい。
僕がカレーを口に入れるときの流儀はたぶんほかの人よりご飯に対するルーの比率が多く、普通に食べているといつもご飯が残ってしまう。かといって最後のほうにご飯を多めにすくうのは味のバランスの観点からいってやりたくない。だから「ルー多め」を頼める店は、それだけで好きになる。
信濃町の「メーヤウ」もそう。老舗のタイカレーの店だが、慶應病院の先生方も数多く訪れ、ランチタイムはつねに行列の人気店だ。ここで頼むのも「メーヤウカレー」一択。シャバシャバした極辛のソースに鶏肉とジャガイモが入り、ご飯に浸しながら食べる。この店もルーだけを大盛りにすることができるため、若いころはそればかりだったが、最近はルーはそのままでご飯の量を減らしてもらうことのほうが多い。
南インド料理の広がり
90年代後半から東京に南インド料理店が増えてきた。南インドはITや金融の本拠地があり、東京に駐在するインド人のビジネスマンが増えてきたことが理由だと僕は思う。「バターチキン」に代表されるコクのある料理が中心な北インドと比べると、スパイシーでさらさらしたカレーが多いから、バリエーションが多いというのも人気の原因だと思う。
その典型が神谷町にできた「ニルワナム」。金融関係の仕事で来日したインド人の奥様が当初は友達に教えていたインド料理教室があまりに好評だったために店を開くことにした、というのが開店の経緯だったはず。南インド料理中心の店でなによりもうれしいのはランチのブッフェ。インド南部のさまざまな地方料理が並び、サンバルやポリヤルといった独特の料理もある。有明店、虎ノ門店もできたので、近所でランチタイムをむかえるときにはさらに利用しやすくなった。
インド料理はさらにマニアックに
最近は「インド人街」のある西葛西を中心にマニアックなインド料理店も多くなっている。そのあたりは食べログのインド料理好きレビュアーの情報に頼ることが多く、西葛西「アムダスラビー」や錦糸町「ヴェヌス サウス インディアン ダイニング 」、御徒町「ヴェジハーブサーガ」など、彼らに導かれて行った店も多い。
独自の進化を遂げるカレー
そのほか、三越前「フジヤ」、銀座「HARE」、四谷三丁目「バンダラ ランカ」など、感激したカレーは枚挙にいとまがない。最近では東新宿「サンラサー」や出張カレーユニット「マサラワーラー」にはまって、イベントをお願いしたほどだ。
「背伸び」との再会
だが白眉は恵比寿「カレーの店ボンベイ 恵比寿店」。本店の柏にはまだ行けていないが、先日恵比寿を訪れて驚いた。柏店は店主が湯島デリーで修業していたといわれるが、カレーと一緒にコーヒーをすすめてくれ(有料だけど)、そのカップの形状がまさに記憶にあったデリーのサービスコーヒーと一緒のデミタスカップだったのだ。
世界はこういうところでつながっているんだね。