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〈僕はこんな店で食べてきた〉
地味飯が今、ふたたび脚光を浴びるワケ
前回の連載で、東京のうなぎの復権について記したが、ここ数年、うなぎにとどまらず焼鳥や天ぷらなどこれまで革新性をあまり論じられてこなかった地味な食分野に光があたるようになってきた。
理由のひとつは、メディアが派手なジャンルをさんざん掘り尽くして順番が回ってきたということもあるだろう。「なんだ、そんなことか」といわれればそれまでだが、メディアなんてそんなものだとも思う。
だがそれと同時に、調理技術、料理科学の発達によって、従来は「狭い」と思われていた料理ジャンルでも、もっと幅広い工夫が出来ることがわかってきたということも大きいと思う。
そうしたジャンルのひとつに「おでん」もある。そしておでんには、個人的になつかしい思い出がある。
「おでん」には誰しもストーリーがある
私が育った文京区本郷には「呑喜」という昔からのおでん屋があった。創業明治20年、東京大学の前に店を構え、おでんダネの大根やフクロはこの店がオリジナルといわれている。大きな丸い鍋の中に濃い目の甘みの効いた関東風の汁が仕込まれ、焼き豆腐やはんぺんなど20種類ほどの季節のおでんが浮かんでいる。
子供の頃は、親にいわれてお金と鍋を持って買いに行ったことを覚えている。かつては冠婚葬祭のときに出張おでんもやっていたと当時、祖母から聞いた。
酒が飲める年代になったら、ビールはそこそこにして、ぬる燗につけたキンシ正宗で季節物と定番のおでんをいくつかつまみ、茶めしで締め、1時間足らずで席を離れた。お勘定は驚くほどリーズナブルだった。
だが、呑喜は店主の急逝で2015年の年末に突然閉店してしまった。私はほんの数週間前に訪れ、店主の元気な姿を拝見していただけに、その報を聞いて驚いた。かつて南極越冬隊隊長が大ファンで、南極基地におでんを持ち込んだという伝説があるほどの東京山の手の老舗がまたひとつ消えたわけだ。
が、そのいっぽうで新しいおでん屋も続々と誕生している。
繊細なだしを味わう「煮ばなおでん」
荒木町にある「福の川いしだ」は長年、築地の昆布問屋に勤めた主人だけに、だしにこだわったおでんとおばんざいを供する。
なかでも「煮ばなおでん」と名づけられた、数種類の昆布を使った繊細なだしでさっと煮付けた炊き合わせのようなおでんが名物。カウンターに大皿でのったおばんざいと一緒に、日本酒を傾けながら食べるのが楽しい。
新潮流はおでん「プラスα」の楽しみがある店
「麻布十番すぎ乃」は奈良から東京に進出した店。店に入るとカウンターにおでん鍋が鎮座し、関西風の薄い色のだしで煮込まれたおでんが浮かぶ。
これからの季節、おでんはちょっとという向きには、そのだしを使った豚しゃぶもいい。
おでんの旨さで2015年にミシュランのビブグルマンに輝き、有名になったのが神田小川町「おでん・小料理 狩の川」で、おでんはもちろん、日本料理の経験を生かした酒肴がいい。
これからの季節はハモを使ったおでん、鍋がうまくなる。
歴史を感じる銀座の老舗
もともとおでんはじっくり腰を落ち着かせて食べるというよりも、ちょこっとつまんでさっと引き上げる種類の食べ物。だから日本一の繁華街銀座には歴史のある店がいくつもある。
たとえば1967年に出版された東京のグルメガイドの嚆矢『東京いい店うまい店』のおでんの項には、「やす幸」「お多幸 銀座八丁目店」「やま平」が紹介されているが、前2店はいまも健在だ。
ともに東京おでんの双璧だが、やす幸はうす味のだし、お多幸は生粋の東京風のだしとスタイルは対照的だ。両店16時から開店し、早めの時間からサラリーマンが楽しそうにおでんをつまんでいるし、18時をまわるとホステスの同伴もちらほら現れ、20時を越えるとさっと引き上げる。同伴のタイムリミットは20時半で、遅刻は罰金になるからだが、これも銀座ならではの風物詩だ。
昭和にトリップする一軒家
老舗の部類に入るが、代々木上原と東北沢の中間地点あたりにある「おかめ」も面白い。古い一軒家で、中に入るとまさに昭和のおでん屋。
2階は座敷、1階のカウンターのほうが風情がある。こちらもだしはうすい色で、一品料理も豊富だ。
おでんは夏場に弱いといわれるが、おでん屋さんに聞くと、たしかに夏場はおでんの売り上げは下がるが、そもそもおでんは単価が低く、他の料理や酒で稼ぐのが基本だから、さほど大きな影響はないとのこと。
激辛の担々麺を汗かきながら食べるが如く、熱々のおでんをふーふー言いながら食べるのも夏の楽しみかもしれない。