〈和菓子と巡る、京都さんぽ〉
四季折々の顔を見せる名所を訪れたり、その季節ならではの和菓子を食べて職人さんたちの声を聞いてみたり……。ガイドブックでは知り得ない京都に出会う旅にでかけてみませんか。
あなたの知らない京都について、京都在住の和菓子ライフデザイナー、小倉夢桜さんに案内していただきましょう。
其の十八 お客さんに何代にも渡って愛され続ける和菓子店「亀屋則克」
通りが東西と南北で直交している京都市街地。特に市街地中心部は、規則正しく碁盤の目のように縦と横の通りが並んでいます。その通りの一つ「三条通」は、京都市の主要な東西の通りとして多くの人々が行き交います。
その中でも烏丸三条あたりから寺町三条までは、明治、大正時代に建造された多くの歴史的建造物が、現在も利用されながら保存されています。
国の重要文化財である旧日本銀行京都支店をはじめ、国の登録有形文化財・旧家邊徳時計店、市の有形登録文化財・旧京都郵便電信局などを見ることができます。
レトロ建築が好きな方にとっては、きっと魅力的なエリアではないでしょうか。また新旧の飲食店や服飾店などが数多く立ち並び、新たな賑わいを見せています。
甘いもので、ひとやすみ。
三条通から堺町通を北へすぐ、右手に黒い暖簾が印象的な和菓子店が目に飛び込んできます。
暖簾がなければ、和菓子屋とはわからない京都らしい外観。その外観から、ご贔屓のお客さんの心をしっかりと掴んで営まれていることを感じられるお店、御菓子司「亀屋則克(かめやのりかつ)」です。
気になる店内には、壁一面に飾られた木型の数々。木型がお店の歴史を物語ってくれています。昔ながらの座売り(※)のスタイルで、和菓子を販売されているお店です。
※売り子が店内の畳に座り、来客があると畳に上げて、商品を見せる販売方法。昔ながらの呉服店などによく見られる。
お店の歴史は、初代が大正時代に当時の京都で三大亀屋と評された「亀屋良則」(後に廃業)で修業の後、大正末期に舞鶴で別家として開業。その後、昭和のはじめに独立して以来、現在まで暖簾を守り続けてこられました。
「別家の際には、本家からの厳しい決まりがあって、京都市内では店を開くことが出来んかったようです」と話してくださったのが御年67歳、3代目のご主人です。
ご主人は、2018年の京都市伝統産業技術功労者(京の名匠)を受賞されました。大学を卒業後すぐに店を継いだご主人。当時は、店にいた優秀な番頭さんの仕事ぶりを見て仕事を覚えたそうです。
「とにかく、忙しかった」と懐かしそうに語るご主人。「多くのお菓子を作るのに必死やったんで、お菓子作りの技術は、数をこなして身につきました」
そのご主人が和菓子を作る際にこだわっていることが、「昔からの味を守っていくことに尽きます。今の時代は、あっさりとした甘さが受け入れられていることは理解していますが、今までご贔屓にしていただいているお客さんが納得する味を変えるわけにはいきません」
ご主人と会話をしている間に幾度となく発された「味を変えない」というキーワード。味を守ることに使命感をもって、今までお店を営まれてきたことをうかがい知ることができます。
こちらのお店の代表銘菓である「浜土産(はまづと)」。5月中旬から9月中旬まで販売されるこちらのお菓子は、京ブランド認定食品として、多くの方に買い求められています。
初代が考案し、変えることなく、現在まで受け継いできたお菓子です。海がない京都市内で、海の風情を感じられます。檜葉とハマグリの組み合わせに、潮干狩りに出かけた夏の思い出がよみがえる涼菓です。
美しいハマグリの貝殻の中に閉じ込められた琥珀色の寒天。寒天の中には、一粒の味噌風味の浜納豆が入っており、甘みとともに独特の塩気が広がってきます。
ハマグリは、対となる貝殻としか組み合わせることができないため、昔より夫婦和合、夫婦円満の象徴とされてきました。そのため、江戸時代にはハマグリを使用した「貝合わせの儀」という婚礼儀式が執り行われました。
現在でもハマグリは、縁起物として扱われています。お祝いの贈り物としても喜ばれるお菓子です。
グラニュー糖のみを特別に挽いた粉砂糖と水のみで作られた干菓子。数多く所持されている、山桜の木から作られた木型を使用して作ります。
近年は、木型職人さんが少なくなり、木型を一つ作るのにも時間とお金がかかり大変なんだそうです。そんな貴重な木型から生まれる小さな干菓子は、縁起物や四季をモチーフにしたものです。まるでそこには、日本の美が凝縮されたかのよう。
こちらの干菓子は、大人はもちろんのこと、小さなお子さんも喜んで食べてくれるそうです。3ヶ月ほど日持ちがするのでお土産としても気軽にお買い求めできるお菓子です。
ほかにも、四季折々の上生菓子が一年を通じて販売されています。こちらのお店の上生菓子の意匠は特徴的なものが多く、和菓子の世界がぐっと広がります。
今でも現役でお菓子作りをされている3代目のご主人ですが、4代目となる息子さんが修行を終えて店に戻り活躍されています。
「今は、お菓子を朝に作って、それ以降は息子に任せてます。もう、いつ引退しても安心やと思ってます」と笑顔で話すご主人。
「息子さんに期待することはありますか」と質問したところ、「日保ちをするお菓子であったり、新しい意匠のお菓子を作ってほしいと思ってます。私は不器用やから、お菓子作りはほとんどが木型を使用してましたが、息子は器用なんで指先を使ったお菓子をもっと作ってほしいと思ってます」。
その4代目の息子さんは、現在33歳。「まだまだ父の足元にも及びませんが、お店を継いでも味が変わったとお客様に言われることがないように味を守っていきたいと思います」
その意識は、3代目から教えられてきたものではなく、小さい頃から和菓子屋の息子として暮らし、育ってきて自然と育まれてきたものだそうです。
「お客様もおじいちゃん、おばあちゃんから娘さん、息子さん、お孫さんへと味を受け継いでくださっています。お孫さんが『おばあちゃんが好きだった、この味や!』などと言ってくださった時は、菓子屋冥利に尽きます。ただ、味を変えることはありませんが、お店のイメージはもっと親しみやすいようにしていきたいとは思っています。妻が和菓子好きなので、妻の意見も聞き入れながらお店を守っていきたいと思います」
異常気象などにより、原材料自体の変化が起こっている昨今。味を守り続けていくことが本当に難しい時代となってきています。そういった問題にも対応していきながら味を守っていこうとする3代目のご主人と4代目の息子さん。いつまでも変わらぬ味を守り続けていただきたいお店です。