〈食を制する者、ビジネスを制す〉

ラーメンの名店「八雲」で教わったこと

何もせず、ある日突然何かをできるようになる人はいない

3月も半ば、春の訪れを感じる今日この頃、新たな道を歩むための準備をしている人も少なくないだろう。新たな道を歩み始めるときは、大きな期待がある一方で、不安も抱く。どうすれば仕事がうまくいくのか。自分の力をどう向上させればいいのか。これから悩むこともあるはずだ。そんなときは自分を長い目で観察することが必要になってくる。

 

よく何かを成し遂げるには、少なくとも10年以上の歳月が必要だと言われる。テレビなどを観ていると、天才少年少女が紹介されるときがあるが、彼らも実は幼いころから鍛錬を積んでいるからこそ、天才と呼ばれるのである。何もせずにある日突然、何かを成し遂げる人などいない。

鍛錬を積むことはなかなかつらいものだ。人間は何かと易きに流れてしまう。サボりたい気持ちになりがちだし、追い詰められれば逃げたくもなる。

一角の人物になるということは、それだけ忍耐強く、克己心をもって自分を誘惑から律し、一つのことをコツコツと続けてきた結果なのである。しかし、やみくもに努力しても何かを成し遂げることは難しい。では、どうすればいいのか。

一つは自分が選んだ分野の状況を把握し、そこにどんなライバルがいるのかを研究することだ。本当の天才ではないかぎり、一流と言われる人たちのほとんどは、一流の批評家でもある。先日引退を表明したイチロー選手はまず自分が今どんな状況にあって、何が足りないのか。今、球団は何を必要としているのか。自分と並ぶライバル選手は誰なのか、よく知っていたはずだ。

どんな分野であれ、自分の実力や状況を見極めながら、どこを攻めていけばいいのか、自分の強みはどこにあるのかをまずは認識しなければならない。

 

ときには方向転換して自分の居場所を変えてみる

そこから鍛錬が始まる。まさにトライアンドエラーの繰り返しだ。その過程の中で、運が生まれ、チャンスが訪れる。しかし、修業を続けても結果に結びつかない場合もある。むしろそちらのほうが大半だ。そのときは方向転換してみるのも、一つの打開策だ。自分のいる場所を変えてみる。そこからまた違うものが見えてくるかもしれない。

例えば、セブンイレブン・ジャパンを立ち上げ、コンビニのビジネスモデルを確立したセブン&アイ・ホールディングス前会長の鈴木敏文氏は、かつて出版流通大手トーハンのサラリーマンだった。トーハン時代には出版科学研究所に籍をおき、読者がどんな本をなぜ買うのかを研究していたという。それが消費者心理を探る、つまり、小売を統計心理学でとらえる後年の鈴木氏の強みにつながっていくのである。しかも本の流通はもともと単品管理されてきたのだが、これをコンビニの商品管理に応用することで、小売を「仮説」と「検証」で考える鈴木氏独自の方法論が生まれるのである。

また、スタジオジブリ代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫氏は宮崎駿アニメの生みの親として知られる著名な人物だが、もともとは出版社の編集者だった。編集者もプロデューサーも基本的には同じ機能をもっている。企画、制作、宣伝、営業を統括し、様々な分野の人をつなぎ合わせて、一つの記事や作品をつくっていく。自らもクリエイティブでありながら、さらにクリエイティブな人を補佐する。一見、出版から映画へと違う分野に移ったように見えるが、やっている仕事の基本軸はぶれていないのである。

こうした方向転換ができる適齢期は3040代の時期になる。だから、まだ20代の人であれば、結果を出していないからと心配する必要はないし、3040代の人はこれから自分の能力が開花していくと考えればいい。

脱サラして開業。行きつけのラーメン店

 

その意味で、例えば、ラーメン店のオーナーは脱サラや異なる職業を経て始める人が少なくない。そもそもラーメンの市場は大きい。ラーメンを嫌いな人は少ないし、比較的低予算で開業できるというメリットもある。おいしいラーメンをつくれば、必ず客が付く。もちろん消える店も確かに多いが、ほかの飲食店に比べて成功する確率は高い。

私がよく行くラーメン店に池尻の名店「八雲」がある。店主は確かアパレル関係の仕事を経て修業後、ラーメン店を開業したと聞く。いくつか店舗の移転を繰り返しているが、私は中目黒に店があった15年前くらいから、ずっと通い続けている。

この店で、ぜひお薦めしたいのが、「特製ワンタン麺(黒だし)」だ。中細麺に醤油系スープ、肉ワンタンと海老ワンタンが3個ずつ入った、いわゆる、「支那そば」だ。もともとは「黒だし」だけだったが、池尻に店を移転してから「白だし」を開発。どちらもうまいし、各だしをミックスすることもできる。

特製ワンタン麺に味玉をプラス(出典:ぴーたんたんさん

店主は寡黙で、麺とワンタンを茹でて、器に盛ることを繰り返すのみ。だが、そこに気迫を感じる。その姿を見ながら、自分のラーメンが出てくるのを待つ。出てくるまではとても待ち遠しいけれど、店主の所作を見ながら、おいしいラーメンを食べたいということに意識を集中させていく。そして自分の目の前に、待ちに待ったラーメンがやってくると、まずスープを飲む。心が弾んでくる。やはりうまい。そこから麺をすすり、肉ワンタン、麺、海老ワンタンと交互に攻め、チャーシュー、メンマでワンクッション入れる。この繰り返しが至福のときだ。これをもう15年くらい繰り返している。10年以上、きちんと仕事を続ければ必ず成果は出る。私はそのことを「八雲」から教わった。