【シェフインタビュー・運命の食材との出会い】

名料理には名食材あり。その食材と出会ったからこそ誕生した逸品がある。気鋭の料理人たちが心血を注いで探し、辿り着いた運命の食材とはどんなものなのか。その食材との出会いから、完成に至るまでの道のり、そして食材への想いについてを語ってもらう。

名割烹「かんだ」が惚れ込んだ究極のコシヒカリ—神田裕行さん

土鍋のふたを取ると、ぷーんと香ばしく、どこか懐かしい、米のいい香りが漂う。透明感のあるつややかな炊き上がりに、さっくりとしゃもじを入れると、湯気とともにもっちりと密度のある飯粒が顔を出す。思わず、ごくりとのどがなる。

 

 

これこそが、名割烹「かんだ」が、精魂込めて炊き上げる白飯だ。

 

“料理人たるもの、真剣に美味しいご飯を炊くことに向き合わなければならない”

炊き上がりを一文字によそった飯碗を手にとり、一口頬張れば、口いっぱいに米の旨みが広がり、噛むほどに、優しい甘みが増す。そして、飲み込んだあとにも、いつまでも澄んだ美味しい余韻が続く。

 

「日本人にとって、白いご飯というのは根源的なものなんです」と主人・神田裕行さんは言う。毎年豊作を祈願し、収穫後は神に供えたその米が、日本人の命をつないできた。物質的な豊かさであると同時に、精神的な支柱を表すものでもある。

 

「ですから、料理人たるもの、真剣に、美味しいご飯を炊くことに向き合わなければならない」のだとも。

 

神田さんが出会い、惚れ込み、10年間使い続けているのは、新潟県は南魚沼郡の鈴木清さんが無農薬で作るコシヒカリだ。きっかけは、雑誌『自遊人』の編集長が来店したときのことに遡る。時は新米の季節で、おのずと米の話になった。『自遊人』は編集部を新潟におき、自らも農業に関わり、近隣の生産者の農作物を販売するなど、先進的な取り組みをしている雑誌だ。編集長が熱く語る米の話に魅了され、『自遊人』が扱う米を全部食べ比べてみようと、神田さんは現地へ赴いた。

 

「驚いたことに、10種類の米の味が全部違うんですよ。つまり、田んぼによって異なるということ。それは土壌そのものの違いにも、また使用する水の違いにもよれば、もちろん、育て方による違いでもあるのですね。ワインにおけるテロワールしかり、米がいかに繊細な農産物であるかが、よくわかりました。そして、圧倒的に美味しいと思ったのが鈴木清さんのお米でした。香りがよく、甘みがあるのに透明感がある、とってもきれいな味が印象に残りました」と神田さん。

 

南魚沼郡に位置する田んぼを訪れたのは、稲の刈り取りもすっかり終わった初冬の頃。

 

「鈴木さんの田んぼだけ、草が生え放題でした。何も生えていない田んぼもあるというのに。そして何より驚いたのが、タニシの死骸がたくさん転がっていたこと。タニシというのは、生態系の中でも、最も農薬に弱いとされる生物。そのタニシがいるということは、農薬を使っていないという証です。これはすごいと思いましたね。鈴木さんの米づくりの矜持を見る思いでした」

 

“素晴らしい米を守っていくことに、料理人である自分が役に立てるなら本望です”

田んぼがあるのは、南魚沼郡の中でもピンポイントで美味しい米ができると言われる、旧塩沢町の大沢というエリアだ。砂土壌と粘土質の混じった土地に豊富な湧水が流れこんでいる。その清水が米の甘みを作るのだそうだ。

 

 しかし、最高の土壌を備えていても、農薬の力を借りずに米を作るのは人間の仕事だ。実際にそれをやり抜くには想像を絶する手間がかかる。田植えの際には、労力節減のために耕運機を使って、苗を植えていくのだが、 “ポット苗”を使うとなると、5cmの苗までしか植えられない。ところがその段階の稲では、除草剤を噴霧しないと、半分以上は枯れてしまうのだという。鈴木さん曰く、13cmまで育てて田植えをすれば、除草剤がなくとも自力で育っていける。もちろん、刈り取りまでの長い工程にはさまざまな手入れが必要であるが、何よりこの段階が、無農薬で育てられるかどうかの分岐点なのだという。

 

「それを聞いて、田植えは僕たちで手伝いますよ、とすぐに申し出ました。日本の財産である、素晴らしい米を守っていくことに、料理人である自分が少なからず役に立てるなら本望ですから。早速、NPO法人を立ち上げ、「カンテサンス」の岸田周三さんなどを誘って、鈴木さんの田んぼの田植えを手伝う段取りを組みました」。翌年の田植えから、10年間、神田さんは欠かさず援助を続けている。

 

「最初は大変でしたが、今となっては1年に一度の楽しいイベントとして定着しています。自然に触れることも、農業の現場を肌で知ることも大切ですから、今年も5月の最終週に、スタッフ全員で行きました」。

“新米の時期神々しい味わい。他には何も要らないほどです”

稲を収穫したあとは、はさがけして天日乾燥させる。そのときに、茎の中にある水分が米へと到達して、小さな一粒一粒の中にぎゅっと凝縮して蓄えられるのだそう。つまり、新米で届いたときには、植物そのものが持つ水分がまだ米粒の中に残っている状態なのである。だから新米を炊く場合、研いだあとに米に浸水させる必要がなく、米そのものの水分で炊き上げられる。新米の美味しさは格別だ。炊き上がりのぴかぴかと輝くつやも全く違う。

 

「コースの締めに、土鍋で炊いた白いご飯を出すのは、実は新米の時期だけ。そのときの神々しい味わいというのは全く別ものですから。香の物や、ましてやうなぎなどのご飯の友は、美味しすぎる余韻の邪魔になってしまうくらいです。何もいらない、米だけが究極のご馳走。今日撮影したのは、一年の中では力が落ちてきている夏の米だから、たれを塗って焼いたうなぎと香の物を添えましたが」と神田さんは言う。これでやや力が落ちた米だというのだから恐れ入る。新米の時期が今から楽しみだが、米が日本人にとって特別の存在であるということが改めてよくわかる話でもある。

“鈴木さんのお米と出会って、扱っている素材すべてを見直すきっかけになりました”

「鈴木さんのお米に出会った10年前は、店を立ち上げて3年目。何かと忙しく、産地を訪ねて生産者に会うということがなかなかできずにいました。築地まかせにしていたかもしれません。それが、鈴木さんの米に出会うことで一新させられました。より厳しい目で素材を選び抜くという姿勢、そして、生産者を思って、真剣に素材と向き合うという姿勢を改めて教えられたのです。結果、扱っている素材すべてを見直すきっかけにもなりました」と当時を振り返る。

 

南魚沼郡というと、米の名産地として広く知られ、多くの人は、米づくりに最も適した土地だと思っている。ところが、そのイメージとは逆に、その昔は、米づくりの北端であり、豪雪地帯、米をつくるには最も過酷な環境だった。しかし、だからこそ、土づくりから始まり、田植え、草むしり、稲刈りと何倍も手をかけてやることで他に負けないよい米を作ってきた。食材はなんでもそう。

 

たとえば、大間のまぐろがそうであるように、過酷な環境をくぐりぬけることで、初めて美味しさが頂点に達するのだという。「厳しい自然に抗わず、自然に寄り添い、耐え、その中で美味しい米を作る。この南魚沼の米づくりが、本当によい素材とは何なのか、ということを教えてくれました」

 

一方、地球の温暖化は深刻で、南魚沼においても例外ではなく、今や、そこは最も過酷な地ではなくなってきている。朝夕の寒暖差が、米の中に甘みや旨みを蓄えさせるのに不可欠だが、南魚沼の中でも平地ではそれが叶わなくなってきているという。鈴木さんも、その現実を憂え、田んぼを敢えて厳しい環境である山間部の棚田に移行し始めている。日々の農作業という意味では、格段に大変であっても、過酷な環境を求めるにはこれしかないのだそう。神田さんたち応援団も、ここ2,3年は棚田での田植えに精を出している。曰く「我々が料理を作ってお客様に提供し、喜んでいただけるのも、よい食材があってこそ。地球の環境が激変している今、微々たる力でも、できることをやり、生産者のモノづくりの一助になれればと思っています。料理人がそれを率先して世の中に発信することにも、また、意味があることと思います」

 

究極の米との出会いは、神田さんの生き方にまでも影響を及ぼした。素材の力は計り知れない。

 

 

神田裕行●1963年徳島生まれ。大阪で日本料理の修業を始め、1986年パリに渡り、日本料理店の料理長に就任し、広い料理感を身に着けると同時にフランス人シェフとの交流を深める。1991年帰国後、徳島の「青柳」などを経て、2004東京・元麻布に「かんだ」をオープン、現在に至る。

 

 

撮影:石渡 朋