〈僕はこんな店で食べてきた〉
1985年、中華料理に目覚めた
僕が意識的に食べ始めた中華料理の店は原宿「福禄寿飯店」が最初だった。1985年前後のことだ。
当時、原宿で週に数回アルバイトをしており、その合間に食べる店を探していて、この店をみつけた。原宿は当時から若者の街として有名だったが、美味しい店はほとんどなく、通ったのはここと裏にある天丼屋ぐらいだった(カウンターフレンチの店が一軒あったが、高くて当時は手が出なかった)。
福禄寿飯店は原宿の交差点にあり、「クリエイターのトキワ荘」と呼ばれた、糸井重里をはじめ数多くのコピーライターや写真家などの事務所があった「セントラルアパート」の1階の中華料理店だ。
上海や香港で育ち、東京にやってきた中国人女性がオーナーだったため上海料理が得意で、なかでも僕が好きなのは五目焼きそばだった。見た目はスタンダードなあんかけ焼きそばだが、福禄寿が特異なのは、肉類は豚の内臓が主だったこと。マメ(腎臓)や腸などが入っていて、その食感がしょうゆ味のあんにとても合ったのだ。
1970年代に出されたグルメガイドを読んでいると東京の中国料理店は、上海料理と北京料理、四川料理がとても多い。
上海は銀座「東京飯店」「維新號」、赤坂「山王飯店」「樓外樓飯店」など、北京は西麻布「北海園」、六本木「香妃園」、新橋「北京飯店」など、四川は目黒「香港園」、新橋「四川飯店」など、実は土着の料理をしっかりと出す店が多かった。
もともと日本における中国料理研究は北京料理から始まったことや、戦後に本土から東京に住み着いた中国人が店を始めて成功したため、地方の大都市の料理を出す店が多かったのだろう。ヌーベルシノワが日本にも輸入され、薄味の広東料理が流行ったのはホテル内中華が全盛となった1980年代に入ってからのことだ。
福禄寿は学生の分際にはちょっと高い店だったが、豚の内臓のあんに魅せられ、月に数回は通ったし、社会人になってもしばしば訪れた。
が、福禄寿は20世紀の終わりに閉店。オーナーが食品商社にかわって原宿や西麻布で復活を試みたが、うまくいかなかったのか、いまはない。
その後、豚の内臓焼きそばがどうしても食べたくなって、ほうぼうに聞いて回ったところ見つけたのが日本橋「雲楼」だった。しかも、ここは福禄寿飯店の料理人の修業先だったという不思議な縁まであった。
雲楼も上海料理店で、福禄寿よりもカジュアルながら、しっかりとしたボリュームで美味しい焼きそばを出した。が、その雲楼もいまはない。赤坂樓外樓飯店にも豚の内臓入り焼きそばはあったが、この店も7月に閉店してしまった。
こうして食べ歩き初期の頃の中華料理の思い出が内臓系からはじまったせいか、いまでも中国の地方料理への関心は深い。
中国郷土料理店の台頭
一時期、香港にはまって広東料理をずいぶん食べこんだが、地方に目を向けると中国は広く、文化も深い。もっともこの方面には僕をはるかに凌駕する先輩諸氏がいるから、彼らの情報を頼りにさせてもらっている面もあるのだが、最近は郷土料理の店が多くなっているから初心者も簡単に入門できる。
その嚆矢となったのは赤坂「黒猫夜」だろう。オーナーにお目にかかったことはないが、中国飲食関係の商社が始めた飲食部門だと聞いている。鴨の舌や山羊肉をはじめて食べたのもこの店だ。いまや六本木や銀座にも進出、通販や農業にまで手を伸ばしている。僕も最近はご無沙汰だが、思い出すと土鍋ご飯など現地の料理が中心のランチにでかける。
ここ数年でもっとも人気の郷土料理店といえば白金「蓮香」。シェフの小山内耕也さんは麻布十番にあった「ナポレオンフィッシュ」のシェフを経て独立した。
雲南省や広西省などの少数民族が作る発酵調味料を使用した、日本ではお目にかかれない料理を作ろうと、精力的に中国へも出かけ新しい調味料や食材を仕入れて来る小山内さん。ここをおとずれるたびにマニアックな発酵調味料の使い方を知り、中華料理の奥深さを再確認する。
この半年で急速に人気を得たのは、黒猫夜を経て蓮香でも修業をしていた水岡孝和さんが出した荒木町「南三」。雲南・湖南・台南という南方3地域を合わせた料理を出すという意気込みでつけられた店名だ。
水岡さんも小山内さん同様、頻繁に南方地方を旅して新しい味を探してくるが、どちらかというと、水岡さんの料理のほうがはじめての人に馴染みやすいと思うのは僕だけだろうか。
小山内さんの料理が中国の郷土料理を表現しようとしているのに対し、水岡さんはそれを水岡流の哲学で再解釈することでわかりやすい料理になっている。それはどちらがいいという話ではないのだが。
今、一番の注目株
そしていま、僕にとって一番の注目株は豊島区要町の「福萬苑 鼓楼」だ。
黒猫夜と並んで中国の地方料理を紹介、黒酢豚や棒餃子など数々のヒット料理を生み出した「際コーポレーション」のなかでも北京など東北方面の料理に特化していた赤坂「白碗竹快樓」のシェフを務めた白石淳さんが独立した店だ。
ランチは町の中華と同じようなメニューだが、時間があれば夜の料理も出してくれる。そして夜は羊料理や火鍋など北京料理を中心にした郷土料理が楽しめる。
この3店はいずれも日本人料理人の手による店だが、下町を中心に中国人料理人が出す新しい郷土料理店もたくさんできている。こう見ていくと、80年代以降のライトな広東料理、香港料理全盛時代から今は、それ以前の状況に戻った感じもするが、内実は違う。
以前は本土の食材が手に入らず、似たような材料や調味料を使って似せた料理を作ってきたのに対し、いまは食材も調味料も時差なく手に入るから、本当に同じ料理を味わうことができる。
40年で料理はこんなにも変わるものかとあらためて思う所以である。