【噂の新店】北新地 鮨 まつ井

高級寿司の値段は、いったいどこまで上がるのでしょう。3万円、4万円は珍しくなく、お酒を飲めば軽く5万円超え。そんな世の中ですが、このほど大阪・北新地に“価格クラッシャー”と噂される新店が登場しました。実はお初天神の雑居ビルでひっそり営業していた「鮨 Matsui はなれ」が移転リニューアル。全21品を16,500円で出すという「北新地 鮨 まつ井」は、どれほどやりすぎているのか。胃袋を空にして確かめてきました。

お初天神から北新地へ。コスパは維持できるのか⁉

前身は、お初天神裏にあった「鮨 Matsui はなれ」。東梅田の「鮨 まつ井」から派生した少し上級の店として2022年に開業し、1万円台で約20品を楽しめる寿司店として人気を集めていました。その店が2026年4月、北新地へ移転。店名も「北新地 鮨 まつ井」に改めました。

北新地で店を構えることは、経営する社長のかねてからの夢だったそうです。とはいえ、場所が変われば家賃も変わります。いよいよ値段も北新地仕様かと身構えましたが、おまかせコースは全21品で16,500円。いや、むしろこちらが心配になる価格です。

お店はビルの地下。以前よりぐっと高級感が増しています。高そ~!

カウンターに立つのは、西見明さん。東大阪市に生まれ、父親の転勤で東京へ移り、アメリカの大学で経済学を学んだという異色の経歴の持ち主です。卒業後は人形町の老舗「たぬき鮨」で魚の扱いから江戸前の仕事までを身に付け、「銀座 久兵衛」でも研鑽。寿司一筋30年ながら、堅苦しさは皆無です。帽子の下にはマンバンヘアを隠し、終始ニコニコ。高級寿司店にありがちな「いま話しかけて大丈夫でしょうか」という緊張感がありません。

東京・人形町の老舗「たぬき鮨」で基礎から学び、「銀座 久兵衛」でも修業。実力派の西見さんですが、一人で訪れても気さくに話しかけてくれます

移転を機に加わったのが「なだ万」で経験を積んだ和食料理人です。これにより、以前から評判だった握りに加え、つまみがぐっと日本料理寄りに進化しました。

コースの幕開けは、本マグロの脳天とホホ肉の炙り、明石鯛と長崎・壱岐産イサキの造り、鱧のゼリー寄せ、蒸し鮑の肝ソース。最初の4品だけでも、割烹のコースが始まったのかと思うほどです。

霜降り和牛のタタキにしか見えませんが、マグロの脳天とホホ肉。味も臭みがなく、A5ランク和牛みたいな上質感でした

見た目は霜降り和牛のようですが、口に入れると、まず脳天の濃厚な脂が舌を覆い、続いてホホ肉らしい力強い旨みが押し寄せます。表面を香ばしく炙り、自家製ポン酢で後味を軽くしているため、脂の多い部位でも重さを残しません。マグロは赤身やトロだけではないと、最初の一皿から教えられます。

弾力満点の鯛とイサキ。10日ほど熟成させています
夏にぴったりな、鱧のゼリー寄せ。出汁ベースのゼリーでオクラやトマトを閉じ込めています
肝ソースは生クリームとバターを加えてちょっと洋風に。シャリを入れてリゾット風にしてくれます

天然本マグロは脳天から中トロまで。部位ごとに表現を変えて

ここから握りに移って、アジ、マグロ、イカ。「鮨 まつ井」が以前から得意としてきたのがマグロです。つまみでも脳天とホホ肉が登場しましたが、握りでは赤身のヅケと中トロを連打。

赤身なのに口の中でとろける!という不思議な体験ができるヅケ握りです

産地はこだわっていません。「信用のできるマグロ屋さんから、その時に一番良いものをもらいます」と西見さん。この日は長崎・壱岐産の天然本マグロ。赤身、中トロと部位ごとに寝かせる日数を変え、クーラーボックスの中で毎日状態を確かめながら、握るべき瞬間を見極めます。

見るだけでおいしい、天然本マグロの中トロ。筋も少なめで美しいサシが入っています

赤身は軽くヅケに。鉄っぽさはなく、端正な酸味のシャリと重なることで、マグロの旨みがすっと太くなります。続く中トロは、見るからに艶やかな脂をたたえていますが、食べ口は驚くほど軽やか。舌の温度で脂がほどけ、その後に赤身部分の香りと酸味が残ります。

 

猫田しげる

単に高価な部位を並べるのではなく、脳天、ホホ肉、赤身、中トロと、部位ごとの脂、香り、食感を一つの流れに組み立てているんですね。マグロだけで、小さなコースが完成しています。

淡路島のアジ。こんなに脂ののったアジはなかなかお目にかかれません

もはや握りの域を超えた、スペシャリテと言うべき鮎の一品

21品の中で最も驚かされたのが、鮎の握りです。鮎を焼いて酢飯にのせる。文字にすれば簡単ですが、その裏側にはちょっとどうかしているんじゃと言いたくなるほどの手間が隠れています。

見えないですが鮎のペーストが間に入っています。この鮎ペーストだけでも売れそうです

さばいた鮎を塩水で締め、5時間ほど干し、鮎の頭や骨から取った出汁に3日漬けた後、炭火で焼き上げて握りに。これだけでも十分手間がかかっていますが、シャリとの間に挟まれているものがまた凄い。頭と骨を取り除き、肝や内臓まで生かして、白ワインなどと共にフードプロセッサーにかけた鮎のペーストです。

 

猫田しげる

西見さんは「あん肝奈良漬け添え」や「フグ白子焼き」といった酒肴を作るのが得意。瓶詰めにして販売してほしいです。

炭火で焼いた身は表面が香ばしく、中はふっくら。そこへ内臓のほろ苦さを含んだ濃密なペーストと酢飯が重なり、口の中で鮎一尾の風景が完成します。清流を思わせる香り、身の甘み、炭の香ばしさ、肝の苦み。鮎の塩焼きとフレンチの魚料理と寿司を、一口の中に押し込んだような一貫です。コースの途中で何食わぬ顔をして出てきますが、これだけでスペシャリテとして一皿を張れる完成度。

鮎の前には土瓶蒸しが登場。この日はフカヒレとスッポン。心配になるほどの高級食材オンパレードです
ちなみに、西見さんは英語がペラペラ。インバウンドにも強いですね!

「いつもそばにいた煮詰めです」。30年間、連れて歩いた穴子の煮詰めをご開帳

太刀魚の西京焼きを挟み、終盤には九十九里産の煮ハマグリ、熊本産の車海老と、江戸前らしい仕事を施した握りが畳みかけます。そして、西見さんが「この店でようやくできました」と話すのが煮穴子です。

前の店では鰻を握っていたので出番がなかった穴子煮詰め。30年分のエキスが凝縮しています

穴子に塗る煮詰めは、修業時代から約30年にわたって継ぎ足してきたもの。店や住まいが変わるたびに、絶やさぬよう大切に持ち運んできたそうです。調味料を保存してきたというより、自身の寿司職人としての時間を丸ごと「連れて歩いた」と言う方が近いでしょう。

 

猫田しげる

自宅の冷蔵庫に眠らせていた穴子の煮詰め。「友達が来た時、たまに煮詰めで穴子握ったりしました」。家に煮詰め貯蔵している人、珍しいですよね(笑)!

お初天神時代は鰻を出していたため、その煮詰めも鰻を使ったものでした。北新地への移転後、対馬産の上質な穴子を仕入れることができるようになり、煮穴子をデビューさせることができたといいます。

ふっくらと煮上げた身は、箸を入れる前から崩れそうなほどやわらか。口に運べば、ほとんど噛む必要もなくほどけます。そこへ30年ものの煮詰めが加わり、穴子の甘みと白身魚らしい香りが幾重にも膨らみます。濃厚なのにタレの味だけが残らず、最後まで主役は穴子。まさに“飲める穴子”です。

これも江戸前のカステラ風玉子焼き
 

猫田しげる

ちなみに入荷次第ではコースの中にコハダが入ることも。有名な「ヨコ井酢」を使うので角が立たず、まろやかな締め具合。コハダ好きにはたまりません。

芝海老を使った玉子焼き、鳥取・湖山池産シジミの味噌汁、かんぴょう巻き、洋梨のグラニテまで食べ終えれば、満腹を通り越して「参りました」と白旗を揚げたくなります。

実際、客からは「大将、やりすぎやで」「北新地でこの値段、アカンやろ」と逆クレームが入るそう。なかには「接待に使うには安すぎて格好がつかない」と言う人までいるのだとか。なんとも贅沢な苦情です。

物凄く香りの良い出汁が取れる湖山池のシジミ。ほっとしますねえ

教えてくれた人

猫田しげる

20年以上、グルメ誌、旅行本、レシピ本などの編集・ライター業に従事。各地を転々とした挙句、現在は関西在住。「FRIDAYデジタル」などのweb媒体で記事執筆。めったに更新しない猫田しげるの食ブログ 「クセの強い店が好きだ!」。

※価格は税込。

文:猫田しげる
撮影:ハリー中西