【噂の新店】「赤坂 ひめの」
今や、焼き鳥界の大派閥と言っても過言ではない“鳥しき一門”。そこからまた一つ、期待の新星が誕生した。今年2月オープンした「赤坂 ひめの」は、「鳥しき」で5年間修業、後半の2年間は「鳥かぜ」の店長を任された姫野正裕さんが満を持して始めた待望の一軒。その思いをこう熱く語る。

「今年で僕も49歳。50歳までにはなんとか店を持ちたいと思ってとにかく無我夢中で頑張りました。焼き鳥って一度焼き始めたら途中で味見はできない。ガチンコの一発勝負なんです。でも、そこが楽しい。焼き上がりのここだ!という一瞬を見極める時のゾクゾク感はたまりませんね」
焼き鳥に人生をかけているとまで言い切る姫野さんだが、それも彼が駆け抜けてきたその型破りな生路を聞けば、納得がいく。

大阪・泉大津に生まれた姫野さん。若い時からアメリカ文化に憧れ、スケボーとストリートファッションに夢中になった高校時代、思いあまって高校を中退。17歳でファッションの世界に飛び込み、洋服の仕入れのため、カリフォルニアやロサンゼルスなどアメリカ各地を回る日々だったとか。9年ほど経った頃、このまま続けても頭打ちかもしれない、と思い退職。もう一度、自分は何をしたいのか、何に向いているのかを考えるべく、沖縄へ向かった。
こうして、自分探しの1年を過ごすうち、やっぱり自分は人が好きなんだ、と思い至った姫野さん。今度は接客業を目指して帰阪。たまたま出会った知人の紹介で、東京・銀座の有名クラブで働くことに。ここで4年勤めた後、2軒のクラブを回り、合計13年間を銀座で過ごすも、若い頃からの“いつか経営者になりたい”との思いを捨てきれず、夜の世界を後にする。

そして、新たに目指したのが“焼き鳥”だった由。時に姫野さん43歳。料理の道に進もうにも、和食やフレンチでは遅きに失する。だが、焼き鳥なら間に合うかもしれない、そう思ったのだとか。事実、焼き鳥職人には他業種からの転職組が多い。「鳥しき」の池川さんも然り。面接の際には、50歳までには独立したい旨を池川さんに伝えたという。それから5年。追い回しから始まり、串打ち、焼きとステップアップしていった姫野さん、独立前には当時会員制だった(現在は予約制)中目黒の焼き鳥店「鳥かぜ」を任され、腕を振るうほどに。

溜池山王駅から歩いて10分ほど。表通りから一歩路地に入ったビルの1階に「赤坂 ひめの」はある。黒い扉の横に「赤坂 ひめの」と書かれた小さな表札はあるものの、それと知らなければ通りすぎてしまうこと必至。ここも会員制?と思わせるような密やかさだ。

伊藤若冲が描いた鶏の絵画がインパクトを与える店内は、全体的に黒とグレーのモノトーンで統一され、シックな今時の焼き鳥店の趣。カウンター横には、池川親方から贈られたという大きな団扇が額に納められ、飾られている。いわば、免許皆伝の証。加えて、姫野さんの親方に対する敬意と感謝の表れでもある。

最近の焼き鳥店の定石通り、焼き鳥は16,940円のコースのみの展開ながら、そこは池川親方をリスペクトする姫野さん。「一品料理的なものは出さず、串一筋を貫いていきます。やっぱり(うちは)焼き鳥屋なんで」ときっぱり。

扱う鶏は、鳥しきと同じ伊達鶏のほか、宮崎の「妻地鶏」と高知の「土佐ジロー」を使用。伊達鶏は、身質が柔らかくうまみもあって食べやすい万人向けの鶏。一方、土佐ジローは、どこか雉や山鳥に似た独特の風味が特徴。身もしっかりとして野生味があり、噛み締めるうまさがある。自然に近い環境で飼育された妻地鶏は、肉の味が濃い。と三者三様。味わいの違いを食べ比べられるのも楽しみだ。

コースの幕開けに登場したのは土佐ジロー。2時間ほど昆布〆にして、独特のクセを和らげた後、串に刺さずに提供。みっしりと肉質の詰まった食感は、恵まれた環境の中、ストレスなく飼育されていればこそだろう。

噛み締めるほどに滲み出る野生味溢れるうまみは「ジビエのような味わいです」と語る姫野さんの言葉を実感させる。ミネラルバランスの良い田野屋紫蘭の完全天日塩で味わえば、より滋味深い味わいとなる。

野菜串を挟み、妻地鶏の胸肉と腿肉が続けて登場。パリッとした皮にふっくらと焼けた胸肉にはわさびを、一方パリパリの皮と身の間から肉汁が迸るジューシーな腿肉には柚子胡椒をと、肉の特質に合わせた薬味の使い方も心憎い。しっかり焼き切ればこそのアクティブなおいしさは、修業先のDNAを彷彿とさせる。

新じゃがいもの後、合鴨が出て、姫野さんにとって思い入れの深い一串、伊達鶏の腿肉が目の前に置かれた。「鳥しき」のシグネチャーとして知られる、通称“かしわ”である。同じ腿肉でも、伊達鶏と妻地鶏の腿では串の打ち方を変えている。姫野さんによれば、伊達鶏は地鶏と違って皮が柔らかいそうで、ミルフィーユのように重ねて串に刺し、ボリューム感を持たせているのだ。

味付けはタレ。身と身、身と皮の間に潜む肉汁がタレの甘みと相まって、これぞ焼き鳥!という満足感を与えてくれる。その後、大黒しめじ、ハツ、肩肉、レバーと続き串は終了。

〆には鶏スープで炊いたシンプルな鶏めしが舌を落ちつかせ、最後に出される土佐ジローの卵のアイスクリームで人心地つく頃には、お腹も心も満たされているに違いない。
※価格はすべて税、サービス料込