修業先のオマージュを感じるつまみと握り

毎朝、蛸の状態を見ながら味の調整をする

つまみが数種類供された後に握りとなり、握りの合間にもつまみを挟む「おまかせコース」27,500円〜には、修業先の親方へのオマージュを感じさせます。

本日は佐島で獲れた蛸

こちらは寿司屋の定番のつまみ、煮蛸。通常ならそのまま炊くところですが、香林さんは初めにバラして冷凍し、繊維を壊します。それから番茶で煮て、最後に出汁と醤油で味を含ませると、シコシコとやわらかさが共存した独特の食感に仕上がります。これはたまりません!

鰆の松前漬け

長野親方から受け継いだのは鰆を松前漬けにした握り。切り付けして3〜4分ほどタレに漬けた鰆は、熟成したようなねっとり感が楽しめます。京都の特別栽培米「コシヒカリ」に、米酢と少量の赤酢に甜菜糖と塩を加えた独自の配合酢を使用した酢飯は粒が主張しながらもタネと一体となってほどけます。

かいわれ大根

「寿司勇」譲りのかいわれ大根の握りは、香林さんのシグネチャーとも言えるほど人気の一貫となりました。厚めの昆布を濡らして塩を振り、かいわれ大根を並べて上から塩を振り別の昆布で挟み重石をのせて3日ほどおきます。ほんのりピリ辛で口直しにもぴったり! つまみで食べたいと言われることも多いそう。これはお代わり必須です。

春子鯛

本日の春子鯛は鹿児島出水から。やわらかく熟成かかったかのようにむっちりしているのですが「まったく寝かせてないです。数時間前に仕込みしました」と香林さん。江戸前は少し寝かせて使うことが多いですが、“良いタネは余計なことをしない”が香林さんの流儀です。

たかべ

今が旬のたかべは塩焼きや皮目を炙ってつまみにすることが多いですが、香林さんは握ります。脂がのって甘みがあり中トロを彷彿とさせるたかべはこの酢飯との相性が抜群!

昆布巻き

「昆布巻きは80歳を過ぎても現役で握っている函館「鮨金分店」の戸嶋親方に教わりました。親方の昆布巻きはもっと太いのですが、東京なら細巻きがいいよと言っていただいたので僕は細巻きにしました」と香林さん。口中で昆布と雲丹の風味が混ざり合い、頬が緩みます。

巻き簀の端をうまく使って形を整える

もうひとつ、こちらの名物が握りの後半に供される棒寿司です。「海味」の棒寿司からヒントを得て、香林さん独自の作り方で旬の食材を重ねています。見た目も味にも心が揺さぶられる棒寿司です。

カマス棒寿司

本日の主役はカマス。手で酢飯を長方形に作り胡麻をふりかけ、大葉、炭火で焼いたカマスを重ねます。巻き簾で形を整え、白板昆布をのせたら振り柚子して切り分けます。レアに焼き上げたカマスはしっとりふっくら。この食感を最大限に生かすのは握りでも押し寿司でもなく、この棒寿司なのだと思わせます。

すべては客の笑顔のために!

「楽しく食べてもらえるのが一番うれしい」

40歳になったことと結婚を機に独立を決めた香林さん。店は妻である女将さんと二人三脚で切り盛りします。一番大切にしているのは客一人一人と向き合い、誰もが笑顔で店を出てもらうこと。「寿司ブームのせいか寿司職人が崇められていますが、僕は偉いわけでも何でもなくただの寿司屋なので違和感があります。心から願うのはうちに来たことを単純に楽しんでもらいたい。それは海外からのお客様に対しても同じで、会話ができるように英語も勉強しています。まだ身振り手振りが多いですが、それがおかしいのか笑ってもらえたりして。ピンとした空気感も良いとは思うのですが、僕は笑顔が絶えない店でありたいと思っています」と語ります。

麻の葉の文様は家族の幸福や繁栄を願う思いが込められている

だから味や食材だけでなく、空間造りにもこだわりました。苗字からわかるようにルーツが金沢の「香林坊」にある香林さんがどうしてもインテリアに入れたかったのは「組子細工」です。釘を使わず木を組み付けて作る「組子」は繊細で美しく、木材が持つやわらかな質感と陰影の妙が印象的。自然と心が和みます。

店名入りの寿司ダネ箱、お櫃、ワインクーラー

器は箱根宮の下の骨董店から時間をかけて集めてもらった室町〜江戸時代のものが多く、金継ぎしながら大切に使っています。酒器は江戸切子、道具は1887年創業の「桶栄」の4代目結桶師、川又栄風作の逸品をそろえました。「手入れはものすごく大変ですが、寿司の発祥と同じ時代のものを使うことが大切だと考えます」と女将さん。

幸福を呼び込む「シーサー」の置物も愛らしい

「仕入れ先は鮪と海老以外はほぼオープン準備期間にメモを片手に豊洲市場を一軒一軒回り自身で開拓しました。今も毎日市場へ通い自分の目で食材を確かめ、仲買人とコミュニケーションを取っています。また、組子と同じく金沢からも直送しているそう。

150年守ってきたぬか床は母方から

寿司の歴史や自身のルーツ、修業先の親方や父の教え、器や組子など古き佳き伝統を重んじながら、グローバルな考えや新しいものを取り入れる柔軟さも併せ持つ香林さんの握る一貫には、確かに誰をも笑顔にさせる力があります。

※価格は税込


文:高橋綾子、食べログマガジン編集部 撮影:溝口智彦