教えてくれる人
マッキー牧元
株式会社味の手帖 取締役編集顧問 タベアルキスト。立ち食いそばから割烹、フレンチ、エスニック、スイーツに居酒屋まで、年間600回外食をし、料理評論、紀行、雑誌寄稿、ラジオ・テレビ出演。とんかつブームの火付役とも言える「東京とんかつ会議」のメンバー。テレビ、雑誌などでもとんかつ関連の企画に多数出演。
大分でマッキー牧元さんの心を打った2軒とは?
レストラン東洋軒
とり天の発祥とされる、大分・別府の「レストラン東洋軒」にやってきた。店に入ると、どのテーブルでも“とり天”を食べているではないか。見渡す限り、とり天、とり天、とり天である。
レストランとあるが、メニューを開けば、八宝菜、カニ玉、酢豚に青椒肉絲と王道町中華メニューが並んでいる。
元々は、明治の洋食の名店「東洋軒」の流れを汲む、天皇の料理番として宮内庁で働いていた料理人が、大正15年に中国料理の店を始めたのだという。
別府駅から離れた場所にあるのだが、土曜日ということもあり大混雑で、50分待ってようやくテーブルについた。
さて、とり天である。
おそらくもも肉を削ぎ切りし、タレに漬け込み、薄力粉と片栗粉と全卵を合わせた液に漬けて揚げたのだろう。
サクッとした衣が弾けると、むっちりとした肉に歯が食い込む。
鶏肉の優しいうまみが舌に流れる。「かぼす酢醤油とカラシを付けて食べてください」と、店員は言い残して去っていった。それもいい。
だがカラシはかぼす酢醤油に溶くのではなく、とり天をかぼす酢醤油に付けてから、カラシを付けるというやり方がいいことを発見した。
さらには、かぼす酢醤油にラー油をたらして食べても面白い。
そうしているうちに、とり天6個は瞬く間になくなってしまった。
宇佐名物の唐揚げといい、大分県人は鶏肉が大好物なのだろうか?
確かに、シンプルにおいしい。
だが、特段珍しくもないこの料理がなぜ名物になったのかはわからない。