「食べログ 百名店」パン部門で高い評価を得た、全国上位100軒のパン屋さん。そのラインナップをもとに、パンラボの池田浩明さんが、今知っておきたいパンをとりまくキーワードを選出。その解説とともに、関連するパン屋さんを紹介します。
Keyword 02 「小麦」
第2回となる今回のテーマは「小麦」。
かつて「国産小麦でパンはできない」がパン業界の常識だった。
国産小麦はアメリカやカナダの小麦(外麦)にくらべてふくらむ力が弱いというのが理由。
だが、それも過去のものになった。
品種改良が進み、日本にもパンに向く品種がどんどん出てきた。
また、身近で作られる国産小麦は、どこの土地で、どんな生産者によって作られたかがたどることができ、テロワール(土地の味)をパンに表現できることも魅力。
いま、素材を大事にするパン職人ほど、国産小麦を選ぶようになってきている。
神奈川・伊勢原「ムール ア・ラ ムール」
国産小麦を使ったパンのパイオニアとなった伝説のパン職人が、ブノワトンの高橋幸夫さん。
彼は、東洋最大級の石臼を6台並べた製粉工場ミルパワージャパンを建て、惜しくも早逝した。
その遺志を継いだのが、本杉正和さん。
ミルパワージャパンの工場長であり、ブノワトンの店舗を引き継いだムール ア・ラ ムールのシェフを務める。
近隣の生産者から集めたニシノカオリなどの小麦に最高の製粉をほどこして作られる「湘南小麦」。
1分間に9~12回転という超低速で挽き、小麦の風味を余さず閉じ込める。
挽きたての湘南小麦から作られるムール ア・ラ ムールのパン。
石臼バゲットはシンプルに湘南小麦の香りを楽しめる。
皮の香ばしさは強烈に鼻腔に食い込んで、記憶に爪痕を残さずにおかない。
「黒い食パン」は、小麦の「ふすま」の濃厚なるおいしさと食べやすさを高次元で両立させる。
都心から少し離れた場所にあるが、この小麦の聖地を訪れて決して損はない。
東京・代々木八幡「365日」
日本でパンといえば、外国のパンをずっとお手本に、それにどこまで近づけるかを競ってきた。
使う材料は外国の小麦が最上とされた。
杉窪章匡シェフはそうではない。
彼の鋭敏な舌は国産小麦を選び、その品種の個性を活かし、日本人の口に合ったまったく新たなパンを作りだす。
2013年12月、「365日」がオープンするや、あらゆる雑誌のパン特集で巻頭を飾るなど話題騒然、パンシーンが国産小麦へと塗り替わるメルクマールとなった。
たとえば、ソンプルサン(写真上・手前)は、日本の至宝・北海道産キタノカオリの、バターのような甘さ、しなやかさを見事に表現する。
オーガニックなど選び抜いた国産素材を使って、具材もすべて手作り。
豚をワインで煮込み、良質なオリーブオイルをかけて焼かれるカレーパン(写真上)は、やさしいコクと華やかな風味が特徴。
オーガニックの十勝産小豆にじっくりと火を入れた白あんぱんのあんこは実にフルーティ。
素材の持ち味がきちんと引き出されたとき、パンはこんなにおいしくなるんだと感動する。
愛知・名古屋「テーラ・テール」
国産小麦のムーブメントは全国へ波及し、地産地消のパン作りが各地で根付きつつある。
中京地区での代表は、365日・杉窪章匡シェフがプロデュースしたこの店。
地元で栽培される小麦に光が当てられ、新たなおいしさが発見されている。
「風土」は、三重県の八風(はっぷう)農園が育てた古代小麦「ディンケル」を使用。
栗のように甘く濃厚な小麦の風味を、たっぷりの水分によって食べやすいものにしている。
愛知県で今年デビューしたパン用小麦「ゆめあかり」を使った「ハイジ」も加水を多くしてのぷるぷる食感。
きしめんやういろうなど名古屋人の好きな食感に通じるところがある。
2階はカフェスペース。
かりかりとふにゃりが同居する新食感バンズを使ったつくねハンバーガーに、ぷにゅっとしてちゅるりと溶ける新食感パンケーキ。
最先端の技で作りだすどこにもない新しい料理が、朝昼晩それぞれのシーンに合わせて食べられる。
京都・下鴨「ナカガワ小麦店」
店に入った瞬間、清らかですがすがしい香りを嗅ぐ。
石臼で北米産オーガニック小麦を自家製粉して使用。
それは、「小麦店」という店名のように、パンの素材である小麦を大切に考えるからこそ。
パン・コンプレは自家製粉した全粒粉100%のパン。
まるでカカオのような甘さ、ほろ苦さをこのパンの皮から感じる。
シナモンロールでは、香り高き全粒粉とオーガニックシナモンのすーっと高貴な香りがコラボレーションする。
全粒粉のパン以外にも、ハイレベルなパンが目白押し。
たとえばトースト・モンターニュ(山型食パン)はあまりにやわらかいため、つかんだだけで指の跡がつき、自重でふにゃっと曲がってしまう。
きちんとパンが並び整えられた店内や接客もすばらしい。
京都に行ったら必ず訪れたい一軒だ。
東京・南大沢「チクテベーカリー」
パン酵母(イースト)を使わず、すべて自家培養発酵種で作られる。
風味に満ち、ごつごつして愛らしいパンを求めて、多摩ニュータウンの団地の一角に行列ができている。
自然の力を借りて大地から素材を作り出す人たちへのリスペクト、パンを食べてくれる人への愛情。
北村千里シェフのパンから痛切に感じるのはそれらのことだ。
昨年(2016)、小麦の大生産地・北海道十勝が歴史的な不作に見舞われた。
小麦は穂発芽(畑で立ったまま発芽してしまう現象。生地の物性が悪くなる)し、商品として出荷できない事態に。
そんな小麦を、自然栽培の小麦農家・中川さんからあえて取り寄せ、北村さんはパンを作った。
そして今年(2017)、中川さんは無事小麦を収穫。
今年度産の中川さんの小麦で作るnoah(大型のブリオッシュ)やシュトーレン(季節限定。数量限定のため連日開店前から行列ができた)には、収穫のよろこびがあふれていた。
小麦は自然のものなので不作の年も、豊作の年もある。
それでも変わらずに寄り添う姿勢は、生産者にとってありがたいもの。
この日本に安全でおいしい小麦を広げていくためにきっと貢献することだろう。
次回へ続く。
PROFILE
池田浩明(いけだ・ひろあき)
ブレッドギーク(パンおたく)、パンライター。パンの研究所「パンラボ」主宰。パンを食べまくり、パンを書きまくる。主な著者に『パンラボ』(白夜書房)、『パンの雑誌』(ガイドワークス)など。
http://panlabo.jugem.jp/
twitter/@ikedahiloaki