前回は「一人飲み」のお作法を教えていただきました。後編では、タベアルキスト・マッキー牧元さんの若者時代のリアルエピソードをご紹介。
外食力の鍛え方〜客上手になろう〜
出典:bottanさん
僕がひとり酒を始めたのは、二十代半ばだった。初めての店に選んだのは、入谷の「鍵屋」である。
息を整え、暖簾をくぐると、楓の厚いカウンターには、品を漂わせた年配の独酌客が、ずらりと座っていた。僕は勇気を搾り、その一角に席を下ろした。
みなさんが自分の時間に浸りながら、ゆったりと酒を楽しんでいる。店への愛着を、無言の中に押し抱えて、静かに飲む。姿勢がよく、行儀がよく、無駄口をたたかず、注文の間がよく、ご自身の酒量を守っている。そして、さりげなく来ては、さりげなく飲み、さりげなく帰る。一流の呑兵衛たちが、黙々と、人生の喜びを歌っている。そんな雰囲気だった。
若造の僕は、明らかに異端者である。しかし常連客たちは、「この若造が」という視線も素振りも見せず、自分のペースで飲んでらっしゃる。アウェー感に僕は小さくなりながら、静かに飲んでいた。いつかこの場所で飲むことが似合うかっこいい男になろうと。
「大人の作法」なる本は何冊も出ていて、読めば参考にはなるが、実際学べるのは、老舗居酒屋で若いうちから一人飲みをすることではないだろうか。素敵な大人をそっと観察することが、自分自身も素敵な大人へ育っていくことではないだろうか。
若いうちから熱湯に飛び込んだものだけが、人間を磨けると思う。ただし若くとも紳士の矜持を携え、きちんとした身なりで出かける。そして「自分だけの時間」を楽しむ術を学ぶのだ。
出典:マーヤパパさん
当然、注文を通す以外は、何も喋らない。すると、頭の中に様々なことが思い巡ってくる。男も女も、1日の中で一人になれる時間は、大切だと思う。すべてのしがらみから解放され、考えを深める(別に考えなくとも良い)。さりげなく、年配独酌客の仕草や作法も学ぶことができる。
隣は、三つ揃いのスーツを着た白髪のご老人だった。親指と人差し指で挟んだ盃を口に運ぶ姿が美しい。名人の踊りのような、淀みのない凛とした佇まいに、酒を飲んできた年月が感じられる。
ふと手元を見ると、盃が違うではないか。鍵屋のぐい飲みは、底に蛇の目が描かれたものなのだが、ご老人のそれは、古伊万里風である。やがてご老人は、「お勘定してください」と、声をかけた。
するとどうだろう。ポケットから白いハンカチを取り出すと、丁寧に盃を包んで、ポケットに戻した。マイ盃なのだった。しかしその様は、すべてが飄然として嫌みがない。
人生の楽しみ方を知っている。この紳士がまさにそうだった。二人以上で出かけていたら、カウンターは遠慮して、小上がりのテーブルで飲んでいただろうから、こんなことも気づかない。
出典:ポクトさん
鍵屋では、味噌豆で少しやって、長年の糠床で漬けられたお新香で、季節に触れ、たたみいわしに冷奴か湯豆腐といく。それからもつなべやくりからで一本。都合三本を、ぬる燗で飲む。
普通は菊正だが、厳しい日が続くと、辛い大関の熱燗で心を引き締め、悲しいことがあった時は、櫻正宗で和らげる。
年代物の銅壺でつけた酒は、精神の揉みほぐし方が違う。優しく、脳の奥底を包む、包容力が大きい。
ああ、書いているうちに、また行きたくなってきた。また必ず近いうちに行こう。一人で。
マッキー牧元オススメの老舗居酒屋
「慣れてきたらここへ行け!」難易度★★『鍵屋』
「若者アウェー度高め。上級者向け」難易度★★★『江戸一』