【第二回】 浅草『尾張屋』の巻

 

師匠、蕎麦の粋な食べ方教えてください

芸歴はざっと数えて半世紀。その年月もさることながら、通った蕎麦屋の店数も、指折り数えてみようものなら指がつる。そんな人後に落ちない蕎麦食いの圓龍師匠にお供して、蕎麦屋を巡る第二回。まずは前回宿題とした、蕎麦の粋な食べ方についてうかがうことから、そろそろと。

 

「蕎麦の粋な食べ方ですか? それは好きに食べればいいんです」

 

なにごとも形から入ろうとする門前小僧の質問を軽くいなして、師匠が言うにはこうである。

 

「(冷たい蕎麦は)つゆにあまりつけちゃいけないとかよく言いますけど、それは昔の蕎麦つゆがしょっぱかったからなんですね。そういうつゆだと、蕎麦を半分くらいつけて食べるのがちょうどよかった。でも今のつゆはもうちょっと薄くて、甘くなってますからね。それなら、蕎麦を全部つけて食べる方が美味しいですよ。ただ、今でも昔流の濃くてしょっぱいつゆで出す店もありますよ。そういう時は、ちょっとつけて食べるといいですね。おつゆの味を見ながらね」

 

 

「すする音だって、ことさらに立てなくていいんです。蕎麦は音を立てて食べるものだという決まりはなくて、ちょっと品が悪いけど、長いものだから音を立ててすすっても構わないという程度のもので。まぁ、落語の場合は、大きな音ですする仕草をしますけど(笑)。そういえば昔、五代目の柳家小さん師匠が『時そば』を演った後、近くの蕎麦屋へ食べに行ったら、寄席からお客さんがついて来ちゃったらしくてね。実際にどのくらい音を立てて蕎麦を食べるのか、注目の的になったらしいです。その後『なんだかよ、蕎麦を食った気がしねえよな』って、ぼやいてましたけど(笑)」

花巻とは、どんな蕎麦?

さて、その五代目小さん師匠の十八番のひとつでもあった『時そば』には、「しっぽく」と「花巻」という温かい蕎麦が出てくる。前者は噺の中で、かまぼこなどの練り物が入ったものと知れるが、後者は具材については触れずじまいにされるのがほとんどだ。そこで、今回はあまたの落語家が通いつめ、品書きに花巻の名がある浅草の老舗、『尾張屋』へお邪魔して、実際に検証してみることに。

 

「花巻は、かけ蕎麦の上に海苔を載せたものなんです。昔、浅草海苔のことを磯の花と呼んでいたので、そこからの命名でしょうね」

 

そう教えてくれたのは、幕末創業の『尾張屋』本店で、厨を任されて20年という高田さんだ。

 

 

待つことほんの数分で運ばれてきた花巻の丼は、漆塗りの蓋で閉じられている。そしてその蓋を開けるやいなや、海苔の香りが辺りに強く漂った。

 

 

「江戸時代の蕎麦の屋台は、練り物や海苔といった、あらかじめ用意しておいた簡単な具材を載せて出すことが多かったんです。だから落語にも、そういう蕎麦が出てくるわけです。それにしても、こちらの花巻は立派ですね。刻んだ海苔を散らす店はよくあるんですけど」

 

 

圓龍師匠がそう言う通り、蕎麦の上には折り紙かといわんばかりの大きな海苔が、蕎麦を覆い尽くすようにして何枚も載せられている。そしてその一枚ごとが、いっそう高い香りを放つよう、軽く炙られているという寸法だ。

 

 

「この、香りで驚かせる趣向がいいですね。『どうです、ちょっと違うでしょう?』ってね。いい海苔を使ってますよ。時間が経っても海苔がグズグズに崩れないんだから、驚きますね」

だしをおごった江戸の蕎麦

『尾張屋』の花巻は海苔のほか、だしの香りにも悩殺される。高田さんにたずねると、だしは鰹節だけで引くという。

 

「鰹節をおごったな」――『時そば』に出てくる、上等な鰹節を贅沢に使っただしを褒める言い回しが頭をよぎる中、参考に見せてもらったその鰹の焼き節は、かなりの厚削りであった。

 

「これを3.6kg、1時間半煮出して三斗のだしを毎日取ります。創業以来、不変の製法です」

 

 

 

惜しげなくおごったそのだしに、こちらも昔から継ぎ足しながら守られてきたかえしを入れて、尾張屋のつゆが作られる。

 

「今時、鰹節だけでだしを取るのは珍しいですよ。そしてこちらの花巻は、あったかい蕎麦なのに、わさびがついてくるのも珍しい」

 

そう言って、丼に添えられた薬味皿から本わさびをひとつまみして、風味の変化を楽しむ師匠。高田さんいわく、このわさびも含めて、創業当時から変わらぬ『尾張屋』の花巻の出し方だという。

食べ方指南、もう一度

ちなみに『尾張屋』の蕎麦は、さらさらで色の白い更科粉の次に挽く一番粉を使った、二八の手打ちだ。一番粉はつなぎが難しいというが、白さにこだわっているという。

 

 

「白くて長いのが、江戸の蕎麦の特徴ですから。冷たい蕎麦も今度、是非」

 

そう話す高田さんに、参考までにお店に通う噺家の方々の冷たい蕎麦の食べ方をたずねてみると、「皆さん、割とつゆにたっぷりつけてお召し上がりに(笑)」と教えてくれた。

 

 

「そういえば、麺は歯で噛み切らず、一度で口に入りきる量だけすするのが、きれいに見える食べ方だそうですよ」

 

そう付け加えるのは、圓龍師匠だ。

 

「この間、テレビでギャル曽根がそう言ってましたから。もっともあの人の場合、どちらかといえばラーメンをすすることの方が多いんでしょうけど」

 

そう言ってニヤリと笑う師匠の前で、白くて長い江戸蕎麦を切らずにすすれたかといえば、それはなかなか難しい相談なのだった。

 

<著者プロフィール>

瀬尾 英男

編集者・ライター。1971年生まれ。
「エスクァイア日本版」など複数の雑誌編集部を経て、フリーランス。著書に『ボタニカ問答帖』(京阪神エルマガジン社)。

 

撮影:浅井 広美