「精進料理」の基礎を築いたのは、曹洞宗の両祖と呼ばれる道元禅師と瑩山禅師であると言われている。その曹洞宗の大本山である總持寺(横浜市鶴見区)では、月に一度、写経・写仏をすることで心を落ち着かせ、昼食に精進料理をいただく「写経の会」なる催しを行っている。

感謝の心を持って、食材に対して“命をいただく”ことを意識しながら食す精進料理は、ただ食べるだけでは終わらない“食事+α”という昨今のトレンドの観点から見ても、大きな発見があるのではないか?

 

前編では実際に参加した「写経の会」のレポートを、後編では今から700年も昔にただ食べるだけではない食事が誕生した背景、そして写経や精進料理がどのような効果をもたらすのか、曹洞宗大本山總持寺・花和浩明老師にお話をお伺いした――。

精進料理を食べることも修行の一つである

曹洞宗大本山總持寺 花和浩明老師

 

――初めて「写経の会」に参加させていただきましたが、たくさんの方が参加されていること驚きました。

 

昼食に精進料理を食べていただく「写経の会」という形式になってからは、すでに開催回数は150回を超えています。毎月、多くの方々に参加していただき、最近では若い女性の参加者も増えてきています。我を忘れて集中し、仏様のお言葉を書写する間は、浮世の雑念は払われていきます。 書いたことで徳を積めるわけですから、 老若男女に響くものがあるのだと思います。

 

――なぜ写経と精進料理をセットに催そうと?

 

短時間とは言え、曹洞宗の禅の教えをできるだけ体験していただきたいとの思いからです。曹洞宗には、「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」という教えがあります。行とは、一般的な動作や所作をはじめ何かをすること……言うなれば写経もその一つでしょう。住は一定の場所にとどまり心を安んじる。坐とは坐る(すわる)ことを意味し坐禅などを行うこと。そして、 臥はふせるという意味ですから体を横にして寝ること。そして、それぞれについて無心に徹すること。つまり一日24時間、日常生活すべてが曹洞宗の仏僧にとって修行の場という意味です。そうすることで“我を立てない”、己をコントロールすることができるようになるのです。

――坐禅やお経を唱えることなどが修行だと思っていましたが、曹洞宗では食べることや掃除をすることなども修行であると?

 

その通りです。そのため曹洞宗では、規律や作法にならった行動を重んじています。精進料理の食べ方を体験していただいたのでお分かりになると思うのですが、曹洞宗の修行僧はもっと複雑な作法に則って食事をいただきます。箸の上げ下げから、応量器(禅宗の僧が使用する個人用の食器)を包む袱紗(ふくさ)の取り扱い方など、細かい所作に至るまで規範があります。食事の作法を習得するだけでも、一週間は費やさなければ覚えきることができないほどです。修行僧全員が一律に所作を行うため、その動作は大変美しく、茶道などにも影響を与えたと言われているほどです。

シンプルなことにこそ手間ひまをかけなければならない

――決められた所作を行うことで己を高めていくというのは、スポーツ選手のルーティンに通ずるものがあるというか。複雑な規律の中のほんの一例にすぎない程度の所作ではあるものの、僕自身、実際に食事を食べる前と後の所作を体験して、ただ食べるだけではない洗練されたものを感じました。

 

道元禅師が中国(宋)へ修行に渡った際に、そこで見た精緻な作法に大変感銘を受けたと言われています。その後曹洞宗では、規律や作法について「清規」として成文化されました。道元禅師の『永平清規』、瑩山禅師の『瑩山清規』に説かれた規律や作法は何も変わることなく、現在に至るまで約700年間続いているというわけです。一説によれば、日本に歯磨きを伝えたのも曹洞宗と言われているんですよ(笑)。

 

――そうなんですか!? 700年も前の教えが今も生き続けているとは……

 

もちろん技術の発達など、当時はなかったものが存在する現代ですから、環境が現代的になっている部分はあります。ですが、規範や教えは当時のままです。精進料理に関しても大きな変化はありません。旬の野菜を使って、素材そのものを活かす考え方は変わりません。精進料理を食すことは、はるか昔の日本人の食卓を知る機会でもあると言えるでしょう。

動物性の食材を一切使用しない(卵やバターなどもNG)曹洞宗の精進料理。主に昆布と干し椎茸で出汁を取る。

 

「写経の会」では、客人用として精進料理を作っているため華やかに見えますが、普段の私たちの食事は一汁一菜のように質素なものです。ですが、ごま豆腐は弱火で長時間練らなければ、歯ごたえのあるごま豆腐にはなりません。煮物にしても、5つの野菜があるならば、それぞれ出汁を作り塩加減なども変えてお皿に盛っています。煮物だからと、一緒くたにまとめて煮るということはしません。

 

――たしかに、煮物は一つ一つ味が絶妙に違っていて、人参、なす、湯葉など素材の味が活かされていて美味しかったです。なすはさわやかさを感じるほどで、とても涼しげな味わいでした。ごま豆腐も濃厚で食べ応えがある……精進料理って満腹感がないようなイメージがあったのですが、その分料理が一つ一つ丁寧なので、とても満足感を覚える料理なのですね。

 

最低限のもので、どう満たされるか。シンプルなことにこそ手間ひまをかける、そういう教えが徹底されているんです。

 

――シンプルの中に美しさを追求したスティーブ・ジョブズが、なにゆえ曹洞宗に心酔したのか、少し分かったような気がします。「神は細部に宿る」とは聞いたことがありましたが、禅も細部に宿っているといいますか。

 

 

時代が変わっても、変わらないものがあります。「写経の会」を通じて、約700年前の規範や知恵に触れることで、日本人が古来大事にしていた考え方や感覚を再認識する機会になっていただけたら幸いです。原風景、心の故郷に帰ったような気持ちになると仰る方も多いんですよ。

 

――動物性の食材を一切使わない精進料理は、今後、さまざまな分野からより高い関心を集めそうですね。

 

今から数年前、精進料理の料理長にあたる“典座老師”が、料理の研究をするために總持寺の修行僧たちにまかないを作ってあげたことがありました。修行僧たちは、いつもとは違う食事に興味津々で、その美味しさに驚いていたのですが、実はその料理はすべて普段の精進料理に使われる食材から出た余りの部分で作られていたんです。 典座老師は、「余りだと思っていたものが立派な食材になる。無駄にしてはいけないよ」と仰っていました。食材を敬って使えば、無駄になるものはないんですよね。

 

【写経の会 概要】

開催日:毎月25日(要予約・20日締め切り) ※25日以外の場合あり

定員:100名

参加費:3,500円(当日支払/精進料理の昼食付き)

持参品:小筆・文鎮・硯

※簡易硯・手本・半紙・墨の用意あり

 

取材・文:我妻弘崇(アジョンス・ドゥ・原生林)