【シェフインタビュー・運命の食材との出会い】

名料理には名食材あり。その食材と出会ったからこそ誕生した逸品がある。気鋭の料理人たちが心血を注いで探し、辿り着いた運命の食材とはどんなものなのか。その食材との出会いから、完成に至るまでの道のり、そして食材への想いについてを語ってもらう。

「銀座レカン」の総料理長の、料理人としての本能に火をつけた牛肉―高良康之さん

 

 

「何なんだ、これ?! というのが、“ジビーフ”をまず一口頬張ったときの、印象でした」

 

銀座ミキモトビルの建て替えに伴い、新装レカンとして今年の6月に再スタートを切り、いっそう洗練され、かつパワーアップしたと評判の、「銀座レカン」の高良康之総料理長は言う。

 

 

「口の中が青い草の香りで満たされ、咀嚼するにつれて肉の味わいが顔を出す。それは、今まで食べたどんな牛肉とも違い、何かこう、太古の昔に、人間が“肉を喰らう”というのはこういう感覚だったのだろうかと思わせられるようなものでした。もう一口食べると肉としての魅力が増し、三口目はさらに。食べ終わる頃にはすっかりジビーフの虜になっていました。そして、料理人としての本能が、この肉を焼いてみたい、この肉と組してみたいと、強く頭をもたげてきたのです」

 

 

 

超稀少な完全放牧野生牛“ジビーフ”とは、どんな牛なのか?

「ジビーフ」とは、ジビエ+ビーフからできた造語。言葉そのままに、野生の中で育った牛のことである。とはいえ、自然放牧などいう生やさしいものではなく、手つかずの原野の中で生まれ、育つ牛を指す。北海道南部、様似(さまに)郡にある200haの広大な土地、そこがジビーフの生息地だ。

 

「初めて様似(さまに)を訪れたとき、飼い主いや牧場主というのでしょうか、西川奈緒子さんにいつもこのあたりにいるんですよと案内されて車を降りても、牛が見えないんです。目に入るのは一面の草原や林ばかり。あそこ、あそこと指さされ、目を凝らすと、ようやく林の中に、樹々と同化した真っ黒なアンガス牛が見えてきました」と笑う高良さん。

 

 

先ごろ話題の、牧草(飼料として人が植えたもの)を食べるグラスフェッドビーフ(牧草牛)とはまったく異なり、ジビーフはよもぎ、野草、豆がらなど、様似の大地に自然に生えているものだけを食べて育つ。もちろん牛舎はなく、林の中で寝て、昼間は草地へ出て活動する。一面雪に覆われる冬場だけ、干し草を用意するそうだ。体温調節のために冬毛に生え替わった体から氷柱が下がっているというのだから、どれだけ過酷な環境を生き抜いているのか想像に難くない。

 

自然交配、自然分娩をする牛の生命力

 

 

「ジビーフにとっては、人間は餌をくれる優しい主ではないんですね。いろいろな牧場に行きましたが、多くの牛舎では、指を近づければべろべろなめてくる。でも、ジビーフは一切、体を触らせない。自分のほうが上だという目でにらみつけてきますよ。敷地内に入ったら、まず、雄牛を探せと言われるほどです。というのは、彼は襲ってくるから。警戒心から突進してくるんです」野生と家畜の本質的な違いがよくわかる話だ。

 

どれくらい野生かということの尺度ともいえるのが、自然交配、自然分娩をしているという事実だ。ジビーフは現在70頭ほどの群れで暮らしているが、その中に1頭だけ雄がいて、季節が巡れば交尾をし、雌牛は命を宿し、自然に分娩するのだそう。臨月になり、出産の時期が近づくと、森の中に姿を隠し、誰の助けも借りずに出産をする。1週間ほどたつと、仲間のところへ戻るが、その時には仔牛は元気に跳ね回っているというから感動的だ。

「初めて目にした原野、そして聞いた命の話、牛という動物が1万年前に農耕用に人間に飼われ始めたとき、それはきっとこんな姿だったに違いないと思わせる手つかずの自然の風景。なんとも印象的で心に刻まれました」

 

北海道の原野でアンガス牛を育てるようになったわけ

畜産家である西川奈緒子さんが、日本で唯一の林間放牧をするようになった経緯を聞いてみると、

 

「西川さんはお父さんの代から、牧場経営者として、アンガスやヘレンフォードを育てていたようです。自身は牧場をやる為に獣医になろうと大学へ通い、跡を継ぎました。ご主人は大学の研究室で出会われたそうです。順風満帆に見えた家業も、BSEや口蹄疫での発生、牛肉偽装など次々起こる問題で牛肉消費量は半減し、枝肉価格も下落し、辛い目に遭われたそうです。そして手放せなかったのが、純粋なアンガス牛の雌8頭と雄1頭だったとか。そのとき、西川さんの中にある研究者魂が、牛を原野に放ったのです。このローストビーフの味わいこそが、多くの苦労が報われた結果なのだと思います」と、高良さんは教えてくれた。

アンガス×黒毛和種のF1クロスを育てていましたが、最終的にアンガス牛にいき着いたのは、「食の安全」そしてアンガス牛がいちばん子育てが上手だからだそうだ。北海道の大地ではきつねや熊など、天敵も多く、様似での林間放牧は子育ての高い成功率が必須条件だったから。

 

月に1頭のみ出荷。ジビーフが超稀少といわれる所以

この世に生を受けて25か月くらいがたつと、西川さんがそれぞれの牛の個体をチェックする。ほどよく肉がついてきたことを見極め、屠畜場に送る。それが大体、1カ月に1頭。その肉はほぼ、行先が決まっている。

 

 

「ジビーフは、“うちのお客さんが食べたがっているんですよ、来月送ってくださいね”“はいわかりました”というわけにはいきません。従来の食材と料理人とはまったく異なる在り方を構築しています。いわば、牛と自然の関係の中に人間がお邪魔する、そんなイメージですね。ハンターが仕留めることによる一期一会の命をいただくジビエとはまた異なり、もっと深い意味において、人間が命をつないできたその源にある農耕を支えてきた牛の命をありがたくいただく…。もちろん命に優劣はないわけですが、料理人としては、よりその重みを受け止めて、心してその肉を生かしてやりたい、そんな思いにかられます」

 

後編は、料理人としての高良シェフが、ジビーフをどのように生かして、一皿の料理に仕上げるのかを解説。また、素材は生産者と消費者だけの関係で成り立つものではなく、その間に入り、牛という生き物から精肉へと転換させる、業者の存在があることも忘れてはならない。高良シェフが信頼してやまない精肉店、滋賀県「さかえや」の心意気も紹介する。

 

高良康之:1967年、東京都生まれ。ホテルメトロポリタンの洗い場からスタートし、1989年に渡仏して2年間修業。ランド地方の2ツ星「パン・アデュール・エ・ファンタジー」でシェフから多大な影響をうける。帰国後、「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」副料理長、「南部亭」料理長、上野「ブラッスリーレカン」料理長を経て、2007年「銀座レカン」料理長に就任、現在に至る。銀座レカンのクローズ中の2年間で、各地の生産者を訪ね、日ごろの感謝を述べるとともに至宝の食材探しに注力した。

 

 

取材・文:小松宏子

祖母が料理研究家の家庭に生まれる。広告代理店勤務を経て、フードジャーナリストとして活動。各国の料理から食材や器まで、“食”まわりの記事を執筆している。料理書の編集や執筆も多く手がけ、『茶懐石に学ぶ日日の料理』(後藤加寿子著・文化出版局)では仏グルマン料理本大賞「特別文化遺産賞」、第2回辻静雄食文化賞受賞。

撮影:小野広幸