〈味な町寿司〉Vol.1

いま、東京は空前の寿司バブルである。半年先まで予約の取れない店や、おまかせのコースが3万円超えの高級店は当たり前。オリンピックに向けてインバウンド需要は高まるばかりで、訪れる外国人ゲストのなかには10万円以上するシャンパンをポンポン空ける猛者もいるという。

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価格高騰、予約困難にはもちろん理由がある。凛とした空間で職人の手仕事が凝縮された旬味を堪能するのだと思えば、その“対価”について四の五の言うのは野暮というものだろう。

 

だが、地に足のついた仕事で地元の人々から長く愛され続けている町の寿司店の存在も忘れてはならない。一見、間口が狭いようで店主の懐は広く、とっつきにくいようでいて人にも財布にもやさしい。回転することもさせることもなく、客主体で店の時間が流れていく。2019年の東京でそんな優良な“町の寿司店”に出合えることを心から喜ばしく思う。

〈私的優良な町寿司の共通点〉

◯創業は優に20年超え

◯間口が狭い(中の様子が見えない)

◯予約なしでもふらりと入ることができる(時間帯によっては1本電話を)

◯入口横に出前(仕入れ)用のバイクがある率が高め

◯カウンターにガラスのショーケースがある

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◯お会計は飲んで食べて5,000円強(つまんで飲みすぎると7,000~8,000円くらいになることも)

◯テレビではおもに相撲か野球中継を放映(ルールがあまりわからなくてもぼんやり眺めてしまう)。店主はプロ野球ファン率が高め

◯店主はぶっきらぼう、もしくは気さく。どちらのタイプも人情深く、常連客との絆が強い。マニュアル接客とは無縁

“商売繁盛の神様”の街で、64年目を迎える町寿司の神

寿司文|東京・恵比寿

かねてから「町寿司企画がやりたい!」と切望していたところ、有難いことに食べログマガジンの編集Hさんから「ぜひ、やりましょう」と声をかけていただいた。

食のライターという職業柄、エリアを問わず飲み食いする機会が多いのだが、ある日、どこの町でも昔ながらの寿司店を見かけることに気が付いた。かつては個人店が軒を連ねていたと思われる商店街や閑静な住宅地、幹線道路沿いなどにぽつんと佇む店構えに心惹かれ、思いきって暖簾をくぐる、というのを繰り返すうちにどんどん町寿司の魅力にハマっていった。

 

多くの町寿司は外観からは中の様子がわからないことが多く、ネットの情報量も少ない。自分の足で訪れて初めて、その店の“真価”がわかるというのも冒険心をくすぐられるポイントだ。前もって予約をしなくても門前払いされることはほとんどないが、常連客がほとんどの店内に足を踏み入れるときのちょっとした緊張感もクセになる。

「かつお」300円

カウンターに座り、まずは瓶ビールをお願いする。そのときの気分でつまみを食べ、ビールから焼酎に移行。この焼酎の“盛り”の良さも重要で、グラスになみなみと注いでくれるお店に出合うとちょっとうれしい気分になる。

 

握りは基本的にお好みで好きなネタを堪能し、最後は巻物で締める。その間、常連のお客さんと店主のやり取りやテレビの野球中継を眺めながらぼんやりしていると「日常の幸せ、ここにあり」と実感するのだ。

「いわし」400円

下町のゆるやかな雰囲気が流れる町寿司もいいが、都心でもそうした穴場店を見つけることができる。なかでも、その代表格と言えるのが、恵比寿の「寿司文」だ。駅から歩くこと約1分。何度も前を通っているはずなのに、初めて訪れたのはここ最近のことだ。

 

聞けば、飲食店の新陳代謝が激しい恵比寿に店を構えたのは63年前のこと。東京で10年続く飲食店は1%未満といわれているが、その数字から見ても“恵比寿の奇跡”というにほかならない。

大将の水岡保信さんは生まれも育ちも恵比寿という生粋の都会っ子で、浅草の寿司店で修業を積み、25歳のときに実家の寿司文を継いだという。町寿司の店主にはちょっととっつきにくいタイプも多いが、水岡さんは物腰柔らか。店内はカウンター主体のざっかけない雰囲気だ。

「恵比寿丼」1,000円

訪れた金曜の19時過ぎは7割くらいの客入りで、あらかじめ電話を入れておいてよかったとホッとする。恵比寿によく行くという編集のHさんによれば、ここの名物はランチの恵比寿丼で、これを目がけて訪れる人で昼間は大混雑するのだとか。

 

白身の魚にサーモンやかんぴょう、その上にはいくらがどっさり。それを酢飯と一緒に海苔に包んで食べる恵比寿丼の値段はなんと税込1,000円! 限定10食というから競争率はかなり高いはず。

「もともとは僕ら家族のまかないだったんです。子供のころ、親父がよく休憩時間に持って帰ってきてくれてね。それが寿司好きになったきっかけなのかな」と水岡さんは話す。

「七福納豆ばくだん」1,200円
七福納豆ばくだんは、手巻き寿司のようにして食べるお客さんもいるのだとか

夜は夜で、握りや巻物のほかに七福納豆ばくだん、旬魚の炙りなどお酒がすすむつまみが充実。21時を過ぎても、近くで飲んでいたと思われるスーツ姿のビジネスマンが続々と来店する。

「赤貝」時価

近所の焼鳥店の店主が常連客のために鶏そぼろ丼のお土産を差し入れにくるという場面にも遭遇し、「このゆるい感じが町寿司の醍醐味なんだよなぁ」と、ついほっこり。

 

つまみ5種をふたりで分け、握り7巻、お酒(たぶん瓶ビール1本と焼酎8杯くらい)でお会計はひとり約6,000円。心もお腹も満たされた帰り道で見た恵比寿像はいつにも増して福々しかった。

 

※価格はすべて税込。また、価格は今後変更する可能性があります

 

 

写真:鈴木拓也 文:小寺慶子