〈今夜の自腹飯〉

予算内でおいしいものが食べたい!
インバウンドや食材の高騰で、外食の価格は年々上がっている。一人30,000円以上の寿司やフレンチもどんどん増えているが、毎月行くのは厳しい。デートや仲間の集まりで、「おいしいものを食べたいとき」に使えるハイコスパなお店とは?

クリエイティブなひと皿を、心待ちにする幸福な時間

北参道駅から徒歩4分、小さなビルの階段を上がった2階にカウンター席だけの小ぢんまりとしたイタリア料理店「ボトルス(Botrus)」はある。キッチンに立つのは、オーナーシェフの稲川信太郎さん。南イタリアの星付きリストランテでの修業を基礎に、自由な発想でつくる料理をリーズナブルな価格で提供している。

たったひとりで店を切り盛りする若手シェフ

オーナーシェフの稲川信太郎さん。

店主の稲川信太郎さんは、35歳の若き料理人。調理だけでなく、ワインのペアリングまでひとりで行っている。

 

料理をはじめたのは24歳。グラナダグループの「イゾラ」で働いたことをきっかけにイタリア料理に目覚め、27歳で単身イタリアへ渡った。南イタリアを中心にまわり、カンパニア州ではミシュラン一つ星店で、プーリア州ではオリーブ畑に囲まれた小さな村のリストランテで、カラブリア州では自然豊かなリゾート地の有名店で修業を重ねた。約2年半の経験を積み、帰国後は品川の「アロマクラシコ」の料理長に就任。2018年6月、自身の店となる「ボトルス」を立ち上げた。

白を基調とした内観は、イタリア・プーリア州の外壁に石灰を塗った「白い街」にインスパイアされている。全11席。

店をオープンするにあたり考えたのは「自分ひとりだけで、どこまでできるかを試す」こと。すべて自家製にこだわり、手打ちパスタやソースはもちろんパンも手作り。その代わりに、ディナータイムは6,000円のコースのみに絞った。ワインのペアリングも自身で行うことで料理人としての世界観をゲストに丁寧に伝えていく。

素材を幾重にも重ねた前菜は、食べ進めるたび新鮮な驚きがある

冷たい前菜「岩塩でマリネした鴨と無花果 焦がしクルミとニンニク」。クリーミーなソース、噛むほどにコクを増す鴨、無花果の甘み、そして香ばしいクルミとニンニクの食感が絶妙に絡み合う。

この日の前菜である「岩塩でマリネした鴨と無花果 焦がしクルミとニンニク」は、同店を象徴するひと皿。

 

モッツァレラチーズと生クリームを和えてトリュフオイルで香りづけした白いソースに、自家製・鴨の生ハムと無花果のコンポートをのせる。オリーブオイルで軽く焦がしたクルミとニンニク、赤いハーブのアマランサスを散らし、さらにパルミジャーノとサマートリュフを贅沢に削る。まわりに添えた黒いソースは15年熟成のバルサミコを煮詰め、無花果の煮汁で軽くのばしたものだ。

 

「ソースや素材を重ねていくのが、うちのスタイルです。完璧なソースをつくり、どこを食べても均一に仕上げるのがフランス料理なら、食べ進めるうちに味わいが変化するところがイタリア料理のおもしろさだと考えています。きれいな球体ではなく、輪郭が凸凹しているほうが好みなんです」と稲川シェフ。

オマール海老のラビオリと、ナッツ3種の香りと食感が絡む

生地から自家製の手打ちパスタ「オマール海老のラビオリ そのスーゴと3種のナッツ」。

詰め物系のパスタは稲川シェフのスペシャリテ。

 

海老のすり身を詰めたラビオリに、海老の殻と味噌をブランデーと白ワインで煮出したダシとトマトソースを合わせた「オマール海老のラビオリ そのスーゴと3種のナッツ」は絶品。

 

メニュー名から、3種類のナッツを散らしたパスタを想像するが、アーモンドミルクを煮詰めた白いソース、緑色のピスタチオオイル、そして薄くスライスしたマカダミアナッツを重ねて仕上げている。ナッツひとつとっても、ミルク、オイル、スライスという異なる素材で攻めるところが稲川シェフならではの発想だ。

繊細な火入れにより、さくら色に染まった「えこめ牛」

さくら色の牛肉が美しい「えこめ牛のオーブン焼き マルサラ酒とぶどうのソース」。

「えこめ牛のオーブン焼き マルサラ酒とぶどうのソース」がこの日のメイン。

 

熊本県の大自然のなかでのびのびと育った「えこめ牛」は、サシが少なくヘルシー。その分、火入れによっては肉が硬くなってしまうが、肉を休ませながら40分かけ余熱で火を入れることで見事なさくら色に仕上げている。噛み応えもあり、赤身肉のおいしさが際立つ。

 

ソースは、牛、豚、鹿の骨を香味野菜と共に赤ワインで2日間煮込んだフォン・ド・ボーに、マルサラ酒とぶどうの果肉を加えハチミツで味を調えたもの。ホワイトバルサミコの泡をあしらい酸味をプラスしている。

全7品のコースに、6種のペアリングで9,800円

白いカウンターテーブルを活かし、彩りのある和食器に料理を盛り込む。

今回紹介したのは、あくまで⼀例。アミューズ、冷前菜、温前菜、⼿打ちパスタ2種、メイン料理、デザー ト、⾷後のカッフェと⼩菓⼦、さらに⾃家製パン約6種を楽しんで6,000円。とても良⼼的な価格設定だ。

 

満腹になる量だが、決して重くはない。食べ疲れることのない軽やかな仕上がりも、稲川シェフのモットーのひとつ。オーガニック食材を中心に使い、肉も脂の少ないヘルシーなものを選ぶ。バターなどの油脂分も控えめで、ニンニクのみじん切りで香りを出すような仕立てはしない。女性ファンが多いのもうなずける。

スプマンテ、白、赤、ロゼ、オレンジワインから、稲川シェフの視点で選んだ1杯をペアリングする。

ワインのペアリングは3種で2,500円、4種で3,300円、6種(ハーフ)で3,800円、6種(フル)で4,800円。ひと皿ごとにワインを合わせる6種のハーフペアリングをつけても10,000円以下という驚きのコストパフォーマンスだ。ハーフといっても、思いのほかしっかりグラスに注がれるため十分に飲める。

 

稲川シェフのワインセレクトの基準は「自分の料理に合うもの」。自然派ワイン(ヴァン・ナチュール)も多く、流通の少ない掘り出しものもある。ソムリエとは異なる料理人ならではの視点が新しく、ワイン好きの人も楽しめる。

 

「この料理にこのワインと決めているわけではなく、その日の気分によっても変わります」と稲川シェフ。

 

次はどんなひと皿とワインで楽しませてくれるのか、期待に胸を膨らませる時間は最高に幸せだ。

理想のひと皿を追い求め、イタリア料理の道を勇往邁進する

「朝起きてから、ずっと新しい料理のことを考え続けている」と稲川シェフは話す。

「ひとりだけの店なのに、手のかかる料理ばかりですね」と問いかけると、「調理を手間だと感じるなら、料理人をやめたほうがいい」と答える。店の評判は上々だが、稲川シェフは満足していない。

 

「自分が想像していたより、できていないのが現実です。才能のある人なら思い通りのひと皿を一発で完成させられるのでしょうが、自分は実際に作ってみて『これはイケる』『これはダメだ』と判断するしかありません。その上で試作を重ね、お客様に提供できるレベルに上げていく作業の繰り返しです」

 

このストイックな姿勢がどこから来るのか不思議に思うが、実は稲川シェフ、18歳から22歳までプロボクサーだったという異色の経歴を持つ。自分の腕ひとつで勝負するというスタイルにも合点がいく。

 

理想に到達する日が来るのか、もしくは高みを目指し続けるのか。いずれにしても、この若き料理人が世間を席巻する日は遠くないだろう。今から注目しておいて間違いはない。

小さなビルの2階にひっそりと佇む「ボトルス」は、自分だけのお気に入りにしたくなる隠れ家。
【本日のお会計】

■食事
コース料理 6,000円
アミューズ、冷前菜、温前菜、手打ちパスタ2種、メイン料理、デザート、食後のカッフェと小菓子、自家製パン

■ドリンク
ワインペアリング4種 3,300円

合計 9,300円

※価格はすべて税抜

 

取材・文:梶野佐智子(grooo)
撮影:玉川博之