一本勝負っぷりが心配になるほど気合の入った渋二の新店

ヒップでホップでヤングでナウな通が集う渋谷二丁目、通称「渋二」。そこに最高に感度の高い店が登場した。その名も「OUT」。レッド・ツェッペリンが1979年にリリースしたアルバムから取ったその名の通り、こちらのお店は最高にロックだ。

 

メニューはトリュフパスタ一種類のみ、飲み物はシャンパンと赤ワインが一種ずつのみ、店内音楽はレッド・ツェッペリンのみ……。

 

いくらなんでも、一本気すぎやしませんか?

 

 

店内はこれまたロックな建築家、小坂竜氏(A.N.D.)が「誰にもやらせたくない、俺がやる」とロックに宣言して内装を手掛けた。事務所が近いらしく、完成後もちょくちょくレッド・ツェッペリン、トリュフパスタ、赤ワインの三位一体を堪能しているという。

 

注目の新店らしく、既に方々で「OUT」の名前の由来や「OUT」のコンセプトなどは記事になっているので、詳細はそちらを読んでいただくことにして、日本に1%しかいないという、外国人の無借金起業家である「OUT」オーナー兼マネージングディレクターであるセーラ・クレイゴ氏に話を伺ってきた。

 

――セーラさんはそもそもなぜ、東京でレストランをオープンしようと思ったのですか?

 

「東京に住んでみたかったの!(笑) というのも、もちろん理由のひとつなんだけど、何か面白いことがやりたいというのはずっと子供の頃からあって……。いつでも自分にとって一番困難なこと、何がいま自分にとっての挑戦なのか、ということを立ち止まって考えてきたんです。大学を卒業後、オーストラリアでその後ロンドンで6年間マーケティングの仕事に携わっていました。でも、大好きなことを仕事にしたいという思いが強まり、食への興味が抑えきれなくなってしまったんです。元々食べることが大好きだったし……。それで思い切って会社を辞めてイタリアのピエモンテ州にある食科学大学(The University of Gastronomic Sciences、略称: UNISG)に入学したんです」

――行動力が凄すぎます。イタリアで学んだセーラさんが、それでも日本を選んだんですね。

 

「実は共同オーナーであり、兄であるトム・クレイゴは学生時代に日本に来て、とても日本にハマったんです。その彼の話をよく聞いていた私も、学生時代に来日して、渋谷、秋葉原、浅草にとても衝撃を受けました。そして必ず再訪しようと心に決めたのです。そしてそのときは東京で何かを成し遂げたいという、野望のようなものが芽生えたのです。まさかレストランをやることになろうとは思わなかったけど(笑)。UNISGを卒業後、ロンドンに戻り1つ星を持つシェフとレストランをオープンするプロジェクトに携わったりしたのですが、何かもっとチャレンジングなことがしたいという気持ちが、またムクムクと成長し始めちゃって……。

 

しかも縦に長いイタリアと日本には多くの共通点があるんです。北から南にかけての多様な食文化にみられるように、“イタリア料理などという料理は存在しない”とよくいわれます。同じように和食も全く違います。本当に飽きない」

 

――その多様性を愛しながらもなぜ、このような一本気レストランを?

 「日本は多様な食シーンから、逆に専門性が成長する素晴らしい土壌があるんですね。ギリシャの食堂であるタベルナのようなところでは、すべてのギリシャ料理が楽しめるけれど、何か特化したメニューがあるというわけではないですよね。

 

でも日本は居酒屋にたこ焼きがあったりするけれど、たこ焼き専門店もある。ひとつのメニューが特化して専門店ができて、そしてその専門店同士が切磋琢磨して、また新しい業態が誕生したり、本当に面白いと思います。そのたこ焼き屋さんで言うと、たこ焼きバーができタコとでデートに使えるたこ焼き専門店のバーが新たにできるとか。

 

多様だからこそ高い専門性が育まれる。それって島国なのに柔軟に内外のいろんなものを取り入れて発展してきた日本の強みなんですよね。

 

そんな日本で勝負したかったんです。もっというと日本で成功できたら、どの国に行っても絶対成功できるという自信になると思ったからなんです」

「こういった券売機スタイルを取り入れたのも、とっても日本っぽいでしょ」

 

――確かに私たちは何千件のレストランから1軒を選び、その1軒にある何十種類ものメニューから選んで食事をすることが当たり前です。でもその裏で一人あたりの食料廃棄量が世界一。1秒間におにぎり8,600個が捨てられている計算です。

その中でこのお店のように選ばせない、というのはとても斬新ですね。

 

「赤ワインは一種類、パスタも一種類、というスタンスは、日本の専門店に着想を得たものです。私自身も持続可能な食と安全についての勉強をずっとしてきていたので、食べられない人がいる一方で輸入食料の半分を廃棄している国があるという一向に改善しない問題には、とても心を痛めていました。

岸田周三シェフの料理が食べたければ『カンテサンス』へ、牛丼が食べたければ『吉野家』というように、他を選ばせない、というのは何かしら一石を投じるレストラン業態なのではないかと思ったのです」

 

「お客様と、お店と、生産者が等しく平等にお互いをリスペクトして、どちらかが優位に立って誰かが泣くことがないような、そんなレストランを目指しているのです」

 

 

あれも食べたい、これも欲しい、それも食べたい、という我々の欲望を様々なレストランが叶えてくれている一方で、蓋をして見ないようにしていた暗黒部分にきちんと目を向け光を当て、持続可能なレストランのあり方を考えて、セーラさんは「OUT」をオープンさせた。

 

無謀にも思えた一本気レストランは、外国人の目から日本の食シーンを真摯に見つめ、挑戦したいという想いが生んだレストランだった。

 

 

文/鮓谷裕美子(食べログマガジン編集部)