〈食を制す者、ビジネスを制す〉

秋晴れの週末、ダムを見に行ってみる

黒部ダムの巨大さに圧倒される

最近、観光地などで巨大な建造物を見ると、なぜか感動するようになった。自分が毎夜パソコンに向かってちまちまと仕事をしているせいもあるが、とくに巨大な橋梁やダムを見ていると、その巨大さに圧倒され、どうやってこんな巨大なものを人間がつくることができたのか。土木建設エンジニアや作業員らの底力に尊敬の念を抱いてしまうのである。

 

とりわけ、私が感動したのが黒部ダムだ。黒部ダムは言わずと知れた立山黒部アルペンルートの見せ場の一つである。この観光ルートは半日近くをかけてケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバスなどを乗り継いでいくが、驚くのは、こんなに険しい自然にどうやって人が分け入り、どのようにダムをつくり上げたのかということだ。その過程を想像するたびに、自然と人間との闘いに思いを馳せてしまうのである。山中にダムをつくるには、資材を運搬するルートをつくらなければならないし、そのルートをつくるためにはトンネルを通すことも必要になってくる。その仕事の難しさに表現者たちも触発されてきた。作家の吉村昭は、その過程で人命がどんどん失われていくトンネル工事の苛酷さを『高熱隧道』(新潮文庫)で描き、映画では、三船敏郎、石原裕次郎が『黒部の太陽』としてダムの難工事極まる現場を再現している。

怒られてばかりの男が総責任者に

この黒部ダム建設の総責任者を務めたのが、関西電力会長や関経連会長を務めた太田垣士郎という人物だった。1894(明治27)年生まれ。京大卒業後、信託銀行から、31歳で阪急電鉄に転職。旧制高校、帝大というコースを歩んだ太田垣は当時のエリートであったが、30代に入って車掌などの現場業務から始めるという遅いスタートを切った。仕事では阪急グループの創業者である小林一三に目をかけられたが、いつも怒られてばかりだったという。

 

仕事では失敗を繰り返し、幾度かの左遷も経験している。36歳で本体の電鉄から子会社のバス部門に出向させられたり、百貨店部門の営業部長心得として栄転したときも、一年後には営業部次長に格下げになったりした。その時期は人知れず悩み、気を紛らわすために旅行に行ったり、座禅も始めたりしたという。できないことを要求され、苦しみから逃れようと思い、ますます深みにはまる。夜も眠れない日々。旅行や座禅は追い詰められた末の現実逃避でもあった。

 

ただ、上司からの叱責にもめげず、地道に仕事をこなしていったことが幸いした。その愚直なまでの真面目さを評価したのが、小林一三だった。50代で本社に戻った太田垣は、その後、急速にスピード出世を遂げ、52歳で阪急電鉄の社長に就任。その後、阪急の出資先であった関西電力のトップに就任し、現在、黒部ダムと呼ばれる黒部川第四発電所(クロヨン)の建設に立ち向かうのである。そのころも隠忍自重の日々を過ごした。膨大な資金繰り、人身事故、工事遅延……。そうした社内外からのプレッシャーを一身に受け止め、文句ひとつ言わなかったという。それを支えたのが、30~40代の左遷時代を耐えた強靭な精神力だった。ちなみに興味のある人は、彼の評伝『胆斗の人 太田垣士郎 黒四(クロヨン)で龍になった男』(文藝春秋)が最近発売されたので、ぜひ読んでみてほしい。

ここに来たらカレーライスを選ぶ理由

出典:えーまんさん

立山黒部アルペンルートは、富山県と長野県を結んでいるため、そのどちらからも入ることができる。全線の営業期間は11月末まで。今は紅葉のシーズンを迎えている。昔は東京から富山まで行くには飛行機を使うことが多かったが、今なら東京から新幹線でも2時間半で行くことができる。

 

黒部ダムを見学した際に、ぜひ食べてほしいのが、「黒部ダムレストハウス」の「黒部ダムカレー」だ。ライスをダムに見立て、黒部湖の色をグリーンカレーで表した辛口のカレーで、価格は1,080円。ちなみに黒部ダムカツカレーは1,340円となる。どちらもライスの側にポテトサラダとラッキョウが付いている。

 

まずはビールで乾杯し、乾いた喉を潤してから、カレーに突入。ゆっくりとライスを崩しながら、“ダム”を決壊させると、グリーンカレーが流れ込んでくる。その一瞬を楽しむために食べるようなものだが、長い観光ルートを経てダムまで来ることができた達成感とダムカレーの趣向は、大いに満足感を与えてくれるはずだ。また富山駅では「ますのすし」弁当もぜひ買ってほしい。文字通り、鱒の押し寿司で富山の名物料理だ。

 

今年は台風も多く、晴天の日も少なかった。でも、これからは秋晴れの季節がやってくる。そんなときは少し遠出をしてみるといいかもしれない。この時期の陽射しはやさしく、どこへ行っても気持ちがいい。狭い部屋で細かい仕事をしていると、またリアルな巨大な建造物に圧倒されたくなってくる。そうやって圧倒されていると、なぜか気分もスカッとしてくるのだ。