〈おいしい歴史を訪ねて〉

歴史があるところには、城跡や建造物や信仰への思いなど人が集まり生活した痕跡が数多くある。訪れた土地の、史跡・酒蔵・陶芸・食を通して、その土地の歴史を感じる。そんな歴史の偶然(必然?)から生まれた美味が交差する場所を、気鋭のフォトグラファー小平尚典が切り取り、届ける。モットーは、「歴史あるところに、おいしいものあり」

第7回 伊勢の名物「赤福」と、隠れたソウルフード「鶏の網焼き」

伊勢神宮は、全国の神社の大本営、総本山である。日本各地にある津々浦々の神社、近所の氏神さまは、例えるなら支店や出張所みたいなもの。鳥居をくぐればみんなつながっている。

 

その名前からして神格の違いを窺わせる。なにしろ「神社」ではなく「神宮」である。『日本書紀』のなかで、「神宮」と呼ばれているのは、伊勢と出雲と石上の三つだけだそうだ。

 

内宮と外宮が有名な伊勢神宮だが、本来は他にも数多くの別宮、摂社、末社などを含む、神社の集合体である。このうち内宮は天照大神を祀り、三種の神器の鏡を御神体とする。一方、外宮の祭神である豊受大神は、もともと食物神で、現在でも朝夕に食事(水、飯、塩)を天照大神に差し上げるのが、大切な神事とされている。

伊勢神宮に向かうため、先ずはここを渡らなければ。宇治橋から見た五十鈴川はとても神秘的で綺麗だ。

伊勢名物「赤福」は、参拝帰りのお楽しみ。

鳥居の意味を正しく理解したい。これは一種の結界、ここから先は神様の場所であることを示すもの。ときどき鳥居の外側を通り抜ける人を見かけるが、ちゃんと潜らないといけません。神域に足を踏み入れるのだから、入るときと出るときには頭を下げる。また、参道の真ん中を歩かないのが礼儀。真ん中は神様が通られる道です。

手水で手を洗い、口を漱ぐことも忘れずに。これは一種の禊と考えたい。手を洗うのは身体を浄めるため、口を漱ぐのは魂を浄めるため。心と身体を浄めた者に、神様は降りてきてくださるといわれる。

内宮のメイン会場。ここからは撮影禁止です。身も心も引き締まる荘厳な空気。ぜひ訪れてみてください。

参拝後は「赤福」をおともに休憩

赤福 本店

混雑の中、参拝を終え、流れのようにおかげ横丁方面へ。
久しぶりに赤福が食べたくなり、本店に行く。

これはおいしそうだ。

「赤福」の公式サイトによると、「赤心慶福」という言葉から赤福が生まれたそう。「赤子のようないつわりのないまごころを持って自分や他人の幸せを喜ぶ」という意味で、神宮参拝者の心のあり様を表わした言葉だそう。これは、参拝後のおやつにぴったりだ。ただ、少し食べ方が難しくあんこだけになったり中のお餅が引っ付いたりとややこしい。せっかくおいしいものなのにと思って調べてみたら、YouTubeにそのコツが紹介されていた。簡単にいうとそれぞれのブロックを付属の木のヘラで確実に一つ一つ区切ってそれを底からすくうようにすると良いそうだ。

松阪の知られざるソウルフード、鶏の網焼き

鶏金

宿泊先へ戻る道中、東松阪駅前でウロウロしていたらここを見つけた。リーズナブルでおいしい鶏焼肉こそ、我々庶民の味方だ。

若鶏の肉を網で焼いて塩と味噌ダレの二種類でいただく。うまい! それに合わせるはキンミヤ焼酎。甘酸っぱい梅のエキスを少し垂らして飲むのが、ご当地の流儀。郷に入っては郷に従え。いやいやたまりません。

「松阪」で焼肉を食べるのであれば、それはそれはおいしい牛肉が待っているでしょう。しかし、毎日食べるのでは家計が持ちません。そこで鶏肉の出番なんですが、それだけではなく「豆味噌(赤味噌)」を中心とした味付けがぴったり、その豆味噌を鶏肉に漬け込んで焼くと実にうまいんです。これの方がヘルシーで毎日食べても飽きない。松阪に行くなら、この隠れた名品鶏肉の網焼きを食べて欲しい。

 

※現在は閉店しております

 

松阪市の鳥料理のお店>

 

帰り道、伊勢神宮の神秘的で神聖な境内の木々を思い出した。
時間が許すなら、外宮から内宮への参詣もおすすめしたい。

予期せずおいしいものに巡りあえたのは、ご神徳あってのことと思わざるをえません。とはいえ、食べることばかり考えていたら神様ご立腹になるようなことは、ないですよね!?

 

写真・文:小平尚典