人生のさまざまな出会いや経験がつながり、生まれたレストラン

本田:お客さんは、最初から来てくれている?
本岡:最初から来てくださったのは、やはり「ビオス」時代のお客様です。僕がシェフになってから「ビオス」のリピート率がすごく良くなったんです。月に1回は必ず来るお客様が二十数組いらっしゃいました。
本田:それはすごい。なんでそうなったの?
本岡:毎日のように料理を変えていたからだと思います。不安だったからというのもあるんですけど、常に生み出し続けないと成長が止まっちゃうと考えていました。「ビオス」も野菜を作っていましたから、ぜいたくに野菜を使えて、毎日、一つの野菜から何種類も料理を作っていました。料理漬けの3年間で、そこでどれだけ料理の幅を貯金できるかが大切だと思っていたんです。お客様も1週間に1回、2週間に1回必ず来る方々がいらして、その方たちと勝負するみたいな感覚ですよね。メニューの中には失敗作もあったり、まとまりが悪いと思うものもあったりしたんですけど、そこも踏まえてお客様に育てていただいたと思っています。温かい目で見守ってくださったお客様は、今でもこちらに来てくださいます。
本田:それは強いな。だから、東京から行けるとこだったら、別にどこでやってもお客さんが来てくれていたんだ。そんなお客さんを23歳から26歳にかけて掴んだというのがすごいね。
本岡:環境が良かったと思います。23歳で東京でやっていたら、たぶんくじけていたと思います。畑があって、山野草があって、オーナーにも本当に自由にさせてもらいました。料理に関しては、一切、口を出されたことはありませんでした。
本田:そこまで頑張ったから、お客さんも付いてきてくれた。いきなり、ここでやってもお客さん持ってないときついもんね。知ってもらうまでに時間が経っちゃう。
本岡:広告費や宣伝費も一切なく、本当に何にもしてないんです。SNSもあんまり更新していないですね。本当に口コミで、昔ながらでやろうというので、予約も電話のみです。「ビオス」のオーナーが言っていたことは、地方でやるには損益分岐点をどれだけ下げられるか。ですから、固定費をできるだけ削減して、その分、お客様に還元したいと思っています。それが功を奏したと思います。

本田:この家はあんまりいじってない?
本岡:電気系統の配線を新しくして、一からキッチンを作ったぐらいです。テーブルなどはヨーロッパのアンティークとか少しいいものを入れました。
本田:やってきたことやルーツとか、そういうものが全部うまい具合につながった。スティーブ・ジョブズが言った言葉に「Connecting the dots(点と点をつなぐ)」というのがあってさ。彼も子供の頃から、いろんなことをやっていた。例えばカリグラフィー。何の役に立つんだみたいな感じだったけど、マッキントッシュを作った時、フォント作成にそのカリグラフィーが役に立った。点としてやってきたことがつながって、今がある。まさにそういう感じだよね。「ビオス」でもシェフを“やらされている”という感覚だったら、お客さんは付かない。とことんやったからお客さんを掴んだ。
本岡:本当に運が良かったとずっと思っています。

本田:コースはどういう感じで考えているの?
本岡:これまで一人で作れる量が限られるので、品数を減らしていましたが、今月から新しいスタッフが入ったので、フィンガーフードを一気に5種類ぐらい増やして、最後に出すミニャルディーズも増やしました。多皿にはあまりしたくないんです。「シェ・イノ」の手島さんがおっしゃっていたんですが、多皿は、食べている時は楽しいけど、一皿の印象が薄くなることがある。もっと食べたいと思った時に、一口で終わっちゃったりするのが寂しい。その通りだと思っていて、このお皿がおいしいと思ったら、食べるのが好きなので2口3口、もう一口食べたいと思っちゃう。なので、オープン当初はポーションをある程度大きくして、皿数を減らしていました。だけど、畑のものを楽しんでいただきたいので、この9月からは、フィンガーフードのような小さくてテンポよく食べられるものを最初に一気に出して、その後の皿数は抑えるというコースになります。
本田:良かったね、シェフが増えて。
本岡:3年前にオープンする時に入る予定だったんですけど、彼に池尻大橋のワインバルでシェフをやらないかという話がきて。そんな機会ないから行っておいでって快く送り出したんです。3年経って、やっぱり一緒に働きたいとなって「KAM」で一緒にやることになりました。すごい力をつけてきて、何でもできるんです。
本田:アシスタントというよりはパートナーという感じ。
本岡:力強いパートナーで、僕の自由度が増えたかなという感じがします。