〈おいしい歴史を訪ねて〉

歴史があるところには、城跡や建造物や信仰への思いなど人が集まり生活した痕跡が数多くある。訪れた土地の、史跡・酒蔵・陶芸・食を通して、その土地の歴史を感じる。そんな歴史の偶然(必然?)から生まれた美味が交差する場所を、気鋭のフォトグラファー小平尚典が切り取り、届ける。モットーは、「歴史あるところに、おいしいものあり」。

第3回 関ヶ原の合戦と家康と味噌

関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康は、それから300年という長い江戸時代を構築する。

 

言い伝えられるところによると、徳川家康はどうも太り気味で健康を意識してか、戦国時代でも粗食だったらしい。たぶん、麦飯と故郷三河の八丁味噌が使われている味噌おにぎりを食べたんだろうなあ。

 

一方、石田三成は何を食べていたのか。共に西軍で奮戦し、親友でもあった大谷刑部がふるまったのが、臼で挽いて細かくした米を粥にした「割粥」であったそう。これは豊臣秀吉の好物でもあったと聞く。なんとなく、味噌の方が消化も良く栄養価もあるように思える。ここぞというときに力も出たのだろう。

 

天下分け目の合戦を勝利に導いたひとつの要因は味噌かもしれない。ということで今回のテーマは「家康と味噌」。

 

尾張〜稲葉〜墨俣〜大垣〜関ヶ原と美濃路コースを選んだ。

まずは、味噌串カツで、旅の先陣を切る

「黄金屋」

地元でも大人気の串カツのお店へ。串カツといえば大阪のイメージもあるが、味噌をつけて食べるのが“名古屋流”。店によってタレの味わいが異なるので、いろんな店を食べ歩き自分のお気に入りを見つけたい。今回紹介するのは「黄金屋」。秘伝のタレが地元の人の胃袋を掴んではなさない。

体裁は居酒屋なので、メニューはさまざま。シロもおいしかったし、くだけたサービスもいい。地元の人にも大変人気で、店内は活気にあふれている。

翌朝は敵を知るため秀吉生誕の地である豊国神社へ

関ヶ原の合戦とは、安土桃山時代の慶長5年9月15日(1600年10月21日)に美濃国不破郡関ヶ原で行われた野戦のことだ。西に豊臣秀吉の意を酌んだ石田三成が笹尾山を陣地とし、南の松尾山に小早川秀秋、東の南宮山の頂上には毛利秀元の主力がおり、西軍は南宮山の南側裏を迂回して進む。その下の桃配山に徳川家康がいたが、東軍は南宮川の正面を進軍する。東軍、西軍の彼らはニアミスを繰り返し、雨の中天下分け目の命をかけた緊迫感があった。歴史的影響をもたらす一大合戦としてのダイナミズムに加え、知恵と武力の攻防をひもとくと実に面白い。

岐阜城に立ち寄り、15時のおやつで味噌パワーをいただく

次に訪れたのは、かつては稲葉山城と称していた、岐阜城。長良川の鵜飼も楽しんだ。

少し下にくだって荷席稲荷大明神へ。いろんな串カツ&どて焼き屋が並び賑わうこの界隈で、15時のおやつ。食べるのはもちろん味噌料理。

稲荷神社周辺の近く、千代保稲荷近辺にある串揚げのお店

小腹が空いたときに食べる味噌とくるみのおにぎりは絶品。腹持ちもいい。家康に勝利をもたらしたのはこの日本のスーパーフードかもしれない。

伊吹山を見ながら、いざ関ヶ原へ

最終目的地の関ヶ原古戦場。徳川家の葵の御紋と三成の旗印「大一大万大吉」がたなびいている。

「関ヶ原の戦い」とは何だったのか? 石田三成と小早川秀秋、徳川家康と秀吉との関係、愛憎、性格などの分析や考察を交えながら散歩をした。人は多種多様で、その状況次第で考えも変わるし、一方で良い人でも角度を変えると悪い人になる。今の時代でも立場が変われば見聞や価値観が違うのと同じだ。

 

家康は好奇心旺盛で食通だったらしい。各地で家康が好んだ食べ物があると聞く。彼の味噌以外の食文化も探してみたい。

 

写真・文:小平尚典