竹中平蔵(たけなか へいぞう) 1951年和歌山県生まれ。博士(経済学)。一橋大学経済学部を卒業後、日本開発銀行入行。ハーバード大学、慶應義塾大学で教鞭を執った後、’01年小泉内閣の経済財政政策担当大臣などを歴任。現在は、慶應義塾大学名誉教授、東洋大学国際地域学部教授、(株)パソナグループ取締役会長、オリックス(株)社外取締役などを兼職。

昨今話題の“自分を変える最強の食事”って本当にあるんですか!?

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「自分を変える最強の食事術なんて本当にあるんですか?」。超知識人であると同時に、数々の超一流と接してきた竹中平蔵さんに、セレブの食事術をはじめ、大臣時代の食生活、そして「なぜ国会議員は料亭が好きなのか?」を直撃。機知に富んだお話は、「日本の食生活は二極化に向かう。」という未来まで予見する形に――。

 

 

―― 今日は竹中さんの「食」についていろいろとお話を聞かせていただければと思います。最初にどうしても聞きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?

 

 

竹中、以下・竹 どうぞ、どうぞ。

 

―― 昨今、『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』をはじめとした、“超一流の食事術に学べ”的な本が話題を集めています。いわく、超一流の食事術を実践すれば「年収がアップする」とか「自分が変わる」、「成功に近づく」なんていわれているわけですが、いやさすがにそれは……と。知識人であり、数々の超一流と接してきた竹中さんに、「本当にそんなことってあるのでしょうか?」とお聞きしたくて。

 

 

 ははははは! なるほど(笑)。まず、エピソードとエビデンスは違うということを認識しなければいけません。エピソードは自分や誰かの体験談。対して、エビデンスは科学的、統計的に裏付けのあるものです。エピソードだけをまねしても、効果があるかはわかりません。ですから、まずはエビデンスがあるものを取り入れる。その上で自分にフィットするか否かを見極めてほしい。我々経済学者はエビデンスを重視するので、エビデンスがないものを実践しても、他者にその効果が表れるかどうかはわからない(笑)。

 

 

―― ですよね~。超一流の食事術をまねただけで、みんなが超一流になれたら苦労しないですよ。あらためて竹中さんからそのお言葉を聞けて、胸がスッとしました。

 

 

 ですが、エピソードの力を侮ってはいけませんよ。例えば、トランプ大統領。彼の政策はエビデンスのないエピソードばかりですが、多くのアメリカ国民が彼を支持した。エピソードが大きな力を持っていることを示した範例といえるでしょう。大切なのはエピソードとエビデンスを使い分けること。食事術をはじめ、自己啓発的な実践術などは自分にとってフィットするものをチョイスすることが大事。うのみにするのは良くないですが、参考にするのはとても良いことですよ。

 

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―― な、なるほど。侮ってはいけないわけですね。竹中さんご自身は、“竹中流食事術”のような食に対するルーティンや決まり事などはお持ちなのでしょうか?

 

 

 「○○をしたから必ず体調が向上する。」といったエビデンスに基づいて生活を送ることはないですね。それこそ自身のエピソードとして、心に残っていることを心掛けているくらい。3年前に他界した父に、長生きの秘訣を聞いたことがあったのですが、「毎日お母ちゃんが美味しい物を作ってくれたからや。」と。自分にとって大切なエピソードを心掛けてご飯を食べるくらいです。

 

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―― 素敵なお話ですね。エピソードはエピソードでも、自分にとって意味があることは良いことであると。竹中さんが子どもの頃に好きだった食べ物って何でしょう?

 

 

 母親が作るひじきの煮物ですね。私は和歌山という地方都市で育ちましたから、やはり地の物にとても愛着があります。私にとって自分の原体験となったエピソードは、今でも自分を形成する上で欠かせないところがある。子どもの頃に母親からいわれた「腹八分目、医者いらず。」という言葉は、今でも思い出します。食べることは大事ですが、食べたことによって自分の生産性を上げられるかも大事。「腹八分目」は、数少ない自分の食事術といえるかもしれません。そうそう、首相官邸では昼食の会議というものがあるのですが、どんなメニューが出ると思いますか?

 

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―― 何でしょう??

 

 

 僕が大臣だった当時は、ものすごく質素な料理。ご飯とおみそ汁と小鉢1~2品程度。まるで朝ごはんのようなメニューなんですよ。これは本当によくできていて、お昼過ぎから地元に帰省してあいさつ回りをする国会議員も多数いる。地元でご飯を勧められることも多いでしょうから、昼ごはんを軽くすることでバランスを取れるようにしているんですね。腹八分はいろいろなところで活かされている(笑)。腹八分に加え、規則正しい食事を取ることが、当たり前とはいえ肝心なことだと思いますね。

重責から解かれたときにやりたかったこと

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―― 多忙を極めたであろう大臣時代も、規則正しい食事を取ることはできたのでしょうか?

 

 

 相手に合わせる機会も多いので、なかなか難しかったですね。例えば20時に料亭で会談の予定が入っていたとしましょう。18時くらいに小腹がすいてしまったときは軽く食べて、その後の料亭のご飯をあまり食べないようにして、調節していましたね。

 

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―― 料亭のご飯を食べないというのは、なんだかもったいない気も……。

 

 

 “もったいない”と考えないことが大事。「もったいない」と考えてしまうと、違うマインドでご飯を食べることになる。子どもの頃に学校の先生から、「もったいないから給食は全部食べなさい。」っていわれていたけど、子ども心に「それは絶対に間違っている!」と思っていた(笑)。確かに、残すことは世界の食糧不足や飢餓問題を考えれば“Waste”であるだろうけど、無理をして食べることが本人のためになるかどうかは別問題。食事に関しては、時に“残す勇気”もあってしかるべきだと思います。

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―― ついついもったいないと食べてしまうのは、貧乏根性から抜け出せない一因かもしれません(苦笑)。

 

 

 気付くことができれば、いくらでも軌道修正は可能です。私は人生における“スイッチング”がとても大切だと思うんです。 40代ぐらいまでは睡眠時間を削ってでも、できるだけたくさんの成果を出したいと思っていました。ところが50歳になってすぐに大臣を経験して、「これではいけない」と考えを改め直した。どんなに高熱であろうが、国会には這ってでも行かなければいけません。“休むことができない恐怖”という状況下に身を置いたときに、睡眠時間を削ることや食事に対する考え方を一新したんですね。

 

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―― 自分の状況に応じて、生活を改め直す“スイッチング”が大事であると。

 

 

 その通り。「何を最優先にするか?」という優先順位を変える発想を持たなければならない。皆さんも人生の中で、スイッチングを求められるシーンが絶対にあるはず。

 

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―― 重責ゆえにさまざまな拘束があったと思うのですが、そこから解かれたときに「これを食べてやるぞ!」みたいな食べ物ってあったのでしょうか?

 

 

 食べ物はなかったのですが、「24時間、カラオケで歌い続けるぞ!」ということと、「六本木にあるケントスというライブハウスで好きなだけツイストを踊ってやるぞ!」とは心に決めていた。でも、まだ実現していないんだよね(笑)。いま思い返しても、本当に公人の世界は大変だった。大臣になった直後に、「公人になった以上、人権はないと思ってください。」と釘を刺されたこともあったくらい。程なくして、その意味がわかりましたね(苦笑)。小泉(純一郎)さんも「なった人じゃないとわからない。」としみじみ言っていました。

 

 

―― 「人権がないと思え。」はすごいですね……(苦笑)。好きな物を食べることもはばかられるような?

 

 

 多かれ少なかれありましたね。ニューヨーク出張の際に1時間だけ時間が空いたので、かつてニューヨークに住んでいたときに好んで通っていた「めんちゃんこ亭」を訪れたことがありました。ところが後日、週刊誌に「竹中のニューヨーク出張に空白の1時間がある。このとき竹中はユダヤ系資本と会っていた可能性がある!」と書かれていた。思い出のラーメンを食べに行っていただけだよ!(笑)

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―― はははははっ! ラーメン屋の店主がユダヤ系資本というわけじゃないですよね!?

 

 

 そんな感じには見えなかった(笑)。思い出の味がまさかユダヤ系資本になるとはねぇ。“あることないこと”どころか、“ないことないこと”書かれる世界。一方で、スタッフや秘書官に恵まれたことは大きな財産でした。「大臣、今日は大丈夫ですから何か美味しいものでも食べに行ってください。」なんていわれるとうれしかったなぁ。 ※現在「めんちゃんこ亭」ニューヨーク店は閉店

食生活は「生産の理論」と「消費の理論」の二極化に進む

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―― 国家議員の皆さんが料亭を選ぶのも、そういったプライバシー保護が徹底されているからなのでしょうか?

 

 

 それまでホテルの会議室などを利用していた私からすると、料亭というのは非常に配慮が行き届いた空間であると感じました。外で待っている記者はもちろん、他の部屋にいる人を含め、絶対に人と合わせないように配慮する。くつろいだ中でも、腹を割ってきちんと話ができるようになっている。歴史の中で紡がれていった文化なのでしょう。食だけでなく、落ち着きやくつろぎなども含めて、すべてがセットになっている世界。例えば、私はお酒が飲めないのですが、皆さんがウイスキーのソーダ割りを飲んでいれば、それに見えるようにジンジャーエールを、皆さんが赤ワインをたしなんでいるときはぶどうジュースを持ってきてくれるんですね。疎外感を感じさせないような演出には感心させられましたね。

 

でもね、食事というのは、「どこで食べるか」「何を食べるか」よりも「誰と食べるか」が一番重要だと思います。大衆居酒屋でB級グルメを食べようとも、心の許せる相手と話しているのであればこんなに愉快なことはありません。逆に、どれだけ高級な料亭に行こうとも、気が合わない人と顔を合わせていれば食事も美味しくは感じない。そのなかでもよく好んで行っていたご褒美の一皿は、「とうふ屋うかい」。
秘書官たちが「もうここはやっておきますから、休んでください! 美味しいものでも食べてきてください!」と……。そういうときに、お豆腐が食べたいな、と。やはりシンプルなものをじっくり味わいながら、人間同士の「ああ、いいなあ」と思えるような時間が楽しめたら、他は何もいらない。

 

 

 

―― たしかにその通りですよね。本当に良い時間を過ごせたかどうかが大事だと思います。

 

 

 時代とともに食の在り方も変わっていくでしょう。その中で食生活はどう変わっていくのか? 劇作家であり経済産業省参与なども務めた山崎正和さんが、物事の考え方には「生産の理論」と「消費の理論」があると仰っています。

 

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―― 「生産の理論」と「消費の理論」?

 

 

 「生産の理論」は、簡単に言えば可能な限り効率化を図ること。カップラーメンなどはその典型ですね。対して、「消費の理論」はできるだけ無駄に時間を掛けてやるという試み。懐石料理などに代表される、ひと品ずつ提供し、器も愛でて時間を使って楽しもうという発想。現在、日本の食生活はふたつの理論に基づいて、どんどん二極化していると思います。お手軽に済ませたい人がいる一方で、あえて手間暇を掛けて楽しみたいという人がいる。良い食の時間の過ごし方も、「生産の理論」と「消費の理論」とリンクしながら、ライフスタイルとして作られていくでしょう。

 

 

―― 「生産の理論」は都会的ですが、「消費の理論」を考えていくと、地方にしかできない“強み”も見えてきますね。

 

 

 仰る通り。地方には、良い素材がたくさんあってゆったりとできる場所もある。日本のハイクオリティーな食材は、そのほとんどが地方で収穫、漁獲されるわけです。各地の生産者がいるからこそ、我々は多種多様な日本のグルメを楽しむことができる。第一次産業である農畜産物、水産物の生産に加え、食品加工(第二次産業)を行ったものを観光や流通(第三次産業)を通じて発信する第六次産業を、「生産の理論」や「消費の理論」と組み合わせていけばもっと可能性は広がるでしょう。例えば、日本にはシアターレストランのようなものが少ないですよね。音楽を聴きながら友人と語り合ってゆっくり食事を楽しめるような場所は、もっと増えてもいいと思いますよ。

 

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―― 大人が時間を掛けて楽しめる場所が少ない?

 

 

 イタリアに、『ロミオとジュリエット』の舞台となったヴェローナという街があります。この街では昔の円形闘技場を使用して、夏に野外オペラを大々的に開催します。演目によっては、本物の象などが登場し、その迫力と娯楽性の高さに感嘆します。「消費の理論」に基づいたレストランや舞台装置を作ることで、滞在時間が長くなり、お金を落とす機会も増える。回遊率を増やすことを意識した、食と娯楽をミックスした施設が日本には足りない。

 

 

―― 日本は効率性、つまり回転率を重視する飲食店は多いけど、回遊率を重視する飲食店やエンタメは限られていますね。

 

 

 日本のB級グルメって、ある意味では「生産の理論」に近い発想の食べ物なんですよね。そういったものが外国人から大人気というのは面白い。ふたつの理論は、普遍的に好まれる傾向にあるからこそ、日本に「消費の理論」の施設や娯楽が増えれば、数多くの外国人が足を運ぶと思います。彼らが歌舞伎や相撲のような長時間楽しめるパフォーミングアートやスポーツを好むのは、伝統に加え、「消費の理論」的な娯楽だからだと思うんですよ。

 

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―― 確かに、お弁当を食べながら“観る(見る)”のが歌舞伎であり、相撲ですね。

 

 

 歌舞伎は、政府が歌舞伎という文化を奨励したから今があるのではなく、歌舞伎そのものが時代とともに変化していくことを恐れなかったから今がある。伝統と呼ばれるものに必要なことは、“コンテンポラリー・インタープリテーション(今日的な解釈)”。日本の食の未来を考えていくときに、伝統的に農業や漁業というものがあるからこそ、今日的な解釈をなおざりにしてはいけないと思いますね。

 

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―― SNS文化が隆盛しているとはいえ、地方のB級グルメがあの手この手で発信され、毎年話題を集めているのも、結果的に“今日的な解釈”のたまものかもしれない……座して死を待っていても美味しさは届けられない。

 

 

 日本のB級グルメは“安くて美味しい”という品質が備わっているから、まだまだ可能性を秘めている。私自身、ラーメン、とんかつ、コンビニのレジ横にあるチキン、そしてカレーライス……大好きですね~。政治家になったとき、カレーライスが極めて機能的な食べ物だということがわかったんですよ。

 

 

―― どういうことですか??

 

 

 片手で食べられる!(笑)  カレーライスは、書類や資料を見ながら片手で食べることができ、しかも行儀が悪いように映らない。政治家って昼食にカレーライスを選ぶ人が多いんだけど、一番便利で美味しいからだと思うなぁ。

 

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―― (笑)。最後の質問をさせてください。予算1万円以内で最後の晩餐を食べるとしたら、何を食べますでしょうか?

 

 

 和歌山の「玉林園」のグリーンソフトというソフトクリームと、「ナカタのパン」のひき茶パン(旧「イズミヤ」のひき茶パン)を買って食べます。最後に食べるとなると、子どもの頃に大好きだった原体験の味を楽しみたい。父親、母親、家族、そして故郷があるからいまの私がある。「竹中は改革派だ。」なんていろいろといわれますが、私はとても保守的な人間なんですよ(笑)。