【噂の新店】東京発の新しいスタイルを目指す和のオーベルジュ「オーベルジュ ときと」

石川県小松市の廃校を再生し、地域に根差したフレンチを提供する「オーベルジュ オーフ」、食肉料理人集団「エレゾ」が十勝で新たに展開するオーベルジュ「エレゾ エスプリ」、そして西荻窪から故郷群馬県川場村にオープンした、薪火肉イタリアンで話題の山村のオーベルジュ「ヴェンティノーヴェ」などなど。ここ数年、個性的なオーベルジュが相次いでオープンしている。 

オーベルジュとは、中世フランスで生まれた宿泊施設付きのレストランのこと。日本での本格的なオーベルジュの嚆矢は、1980年代に勝又登シェフが箱根に設けた「オーベルジュ・ミラドー」と言われているが、最近ではフレンチだけではなく、和のオーベルジュも出現。ホテルや旅館との違いは、宿泊よりも食に重きを置いている点だろうか。そんな流れの中、都心から離れた立川の地に、新しい和のオーベルジュが誕生した。

威風堂々とした門構え
石畳のアプローチの向こうに食房の入り口が見える

2023年4月6日にオープンした「オーベルジュ ときと」がそれだ。この“ときと”というネーミングには、幸せな“とき“とは何かと問い続ける中で、豊かな日本の文化を“鴇(とき)”のように優雅に世界へ飛び立たせたいとの願いを込めているそうで「“めぐるめぐみ“をコンセプトに、食を通して、人、地域、日本の食文化を豊かにすること目指しています」と語るのは、総合プロデューサー兼 総料理長の石井義典さん。ユニークな経歴を持つ52歳だ。

総合プロデューサー兼 総料理長の石井義典さん

まず、京都「京都吉兆嵐山本店」の副料理長として実績を積んだ後、ジュネーブ国連大使公邸料理人やN.Y.国連大使公邸料理人を務め、その後は、ロンドンの懐石料理店「UMU(ウム)」の総料理長として欧州の日本料理店で初めてミシュランの二つ星を獲得、5年間維持してきた実力の持ち主なのだ。その石井総料理長が、新境地への思いを次のように語る。「ここ『ときと』は、単なる料理旅館ではなく“東京・立川から世界へ発信する新しい料理”をコンセプトにした宿泊施設です。従来型の日本料理や日本料理旅館との差別化を図るため、敢えて“和のオーベルジュ”の名で呼ぶことにしました」

ホール席は開放的な空間。ランチもおすすめ

西国立駅から歩くこと僅か1分、どこか懐かしい雰囲気の漂う駅周辺の光景とは打って変わった壮大な日本家屋が目の前に現れる。歴史的建造物でもあった老舗料亭「無門庵」の跡地が、その一部と庭園を残しつつ、食房と茶房を兼ね備えたモダンな宿房へと生まれ変わった。風格ある冠木門をくぐれば、そこは別世界。清しい空気と静寂に包まれつつ石畳を行けば、緑の木々の向こうにメインダイニングである「食房」の入り口がうかがえる。

個室

緑の中庭に臨む「食房」は、高い天井と大きくとったガラス戸が開放感を与えるモダンシックな空間。ちょっとした集まりに最適な個室も3室用意され、さまざまなシチュエーションに応えてくれそう。ゆったりとして落ち着いた雰囲気に、時の立つのも忘れてしまうはずだ。テーブルの席数は22席。奥には宿泊者優先のカウンター席があり、テーブル席とでは、若干料理内容が異なってくる。共におまかせコースのみで、テーブル席は10品前後で31,625円、カウンター席は14品前後63,250円となっている。

宿泊者優先のカウンター席は、目の前で繰り広げられるバーフォーマンスもご馳走

料理に挑むは、先の石井総料理長をはじめとするベテラン料理人の面々。総支配人兼 料理長を務める大河原謙治さんは、石井さんと同じく京都「京都吉兆嵐山本店」で修業後、2010年には北海道「ザ・ウィンザーホテル洞爺」の「京都吉兆洞爺湖店」で料理長に就任、ミシュラン二つ星を獲得した実力を持つ。他にも、やはり「京都吉兆」で和食を学び、その後、イタリアへと渡りイタリア料理も習得した日山浩輝料理長など経験豊かなスタッフらで盤石をしいている。ここ「オーベルジュ ときと」のコンセプトを、石井総料理長は“アルティザン・キュイジーヌ”という言葉で表現する。その意図するところを次のように語ってくれた。

「料理は、料理人の力だけで作られているのではありません。生産者や器作家ら食のバックグラウンドすべてをひっくるめた“職人集団”が一丸となって、初めて完成するのです」。そして、そこには、これまでの懐石料理の既成概念やルール、食材、更には器も共に、伝統へのリスペクトを持ちつつ、自由な発想で新たな日本料理にチャレンジしようという思いがみなぎっている。

甘鯛にはアクセントとして自家製の五味も添えられる

「20年ぶりに帰ってきた日本は、私にとっては外国のようでした」と石井総料理長。その日本を改めて見直す意味も込め、石井総料理長以下料理人達自ら全国を回り、生産者の元を訪れ、その目で確かめたうえで、これと見込んだ食材を日々取り寄せている。中には、規格外で市場に出回らない未利用魚を用いるなど、サステナブルな姿勢も見逃せない。

うじお あこう 薬味

フレンチを和に寄せたイノヴェーティヴ、また、和をべースに洋の技法を取り入れた和洋折衷型等々、さまざまな食の融合がある中で「オーベルジュ ときと」のそれはそのどれにも属さない、一種独特の味わいを持つ。食材へのアプローチが実に個性的なのだ。といって奇をてらっているわけではない。

例えば、“うじお”と呼ぶお造り。取材日、堀口切子の器に盛り付けられ、涼やかにお目見えしたのはアコウ(キジハタ)の刺身。よく見ると、刺身の下にうっすらと透明なソースが敷いてある。石井総料理長によれば「羅臼昆布を水出しした昆布水に塩を混ぜたものです。“旨みの塩”の意味で“うじお”と呼んでいる」のだとか。

写真手前から、昆布出汁塩のジュレと芽ねぎ、紫蘇の花と梅肉、わさびと薬味を変えて提供

刺身は醤油で食べるものという既成概念は、最早、昨今の和食店では払拭されつつあるが、塩やポン酢を添える程度。こうした昆布のソースで食べさせるという発想は、長きに渡り諸外国で外国人相手に和食を作り続けてきた料理人なればこそだろう。異国の人たちに、どうしたらおいしく食べやすい状態で提供できるか、を考えた末のアイデアだった由。僅かにとろみのあるそのソースをつけ、口にすれば、むっちりとしてボリューム感のあるアコウの旨みと食感に、昆布のソースが同化するかの如く寄り添い、重層的な味わいが味らいに染み渡る。

“日本の宝”藤原さんの生ハム コロボックル村のアスパラ

また、刺身と並び、和食のもう一つの華であるお椀も従来にない斬新なだしを用いている。なんと生ハムでだしをひいているのだ。生ハムのだしといえば、フランス南西部のスープ「ガルビュール」が有名だが、そうしたフレンチとの融合ではなく、出てきたお椀は、見るからに真っ当な煮物椀。

蓋を開ければ、椀種は、牡丹鱧の如く葛打ちにしたクエ。椀妻にグリーンアスパラガスを添え、吸い口は花山椒と仕立ては和のお椀のセオリーそのままだ。が、なぜ、生ハム?と思っていたら、これも海外での経験が為せる業だった。海外では、常に潤沢に鰹節が手に入るとは限らない。そこで、代用にと使ってみたのが生ハムだったとか。思えば、1年、2年と熟成させた生ハムは旨みの塊。塩分がある分、調整しなくてはならないそうだが、昆布だしと合わせたそれは、違和感なく和のテイストとして受け止められるから面白い。現在は長野県で作られている生ハムを使っているそうだ。

Surf & Turf No.1 シビ鮪 仔牛

そのほか、船上神経締めにしたシビマグロをフォン・ド・ボーのソースと合わせた“Surf & Turf No.1”や、甘鯛をよもぎやコリアンダーなどの香草と共に土鍋で蒸した“薬膳サウナ”etc.遊び心のあるネーミングの料理が次々と登場。多くの料理が、石井総料理長手作りの器と共にお目見えし、目と舌を楽しませてくれる。

薬膳サウナ くじ 香味野菜

「伝統的な日本料理をそのままコピーすることが懐石料理とは言えません。自分のできうる限りの才量で、目の前の人を喜ばせる——。そのおもてなしの心こそ懐石料理と言えるのではないでしょうか」。石井総料理長のこの一言が心に響く癒やしのひとときをぜひ。

※価格は税・サービス料込

撮影:佐藤 潮

取材:森脇慶子

文:森脇慶子、食べログマガジン編集部