オープン当初から愛され続けている逸品

〈続く店には理由がある〉

日本にはおいしい店が数多くあり、その分生き残りも熾烈だ。飲食店の閉店率は1年目で約3割、2年目で約5割、5年目で約8割と言われている。
では10年以上続く飲食店にはどんな魅力があるのか? いろんな店を食べ歩いてきた食通には、お客さんがリピートしたくなる“とっておき”の秘密が見えてくるようだ。

今回はフードジャーナリストの小松宏子さんが、オープン38周年を迎えたフレンチレストラン「シェ・イノ」の魅力に迫る。

教えてくれる人

小松宏子

祖母が料理研究家の家庭に生まれる。広告代理店勤務を経て、フードジャーナリストとして活動。各国の料理から食材や器まで、“食”まわりの記事を執筆している。料理書の編集や執筆も多く手がけ、『茶懐石に学ぶ日日の料理』(後藤加寿子著・文化出版局)では仏グルマン料理本大賞「特別文化遺産賞」、第2回辻静雄食文化賞受賞。Instagram:@hiroko_mainichi_gohan

日本フランス料理界のレジェンド

重厚なエントランスに胸が高鳴る

1984年オープン、日本のフランス料理史にその名を残す、井上 旭氏がオープンした、言わずと知れた名店だ。「銀座レカン」の料理長、「ドゥ・ロアンヌ」を経た創業者である井上氏は、惜しまれながら、昨年11月に逝去されたが、そのスピリッツは脈々と受け継がれ、正統派のフランス料理とワイン好きを、いまだに虜にしている。ウェイティングバーを抜けてダイニングに案内されると、その壮麗な内観や調度品に圧倒されるも、ハレの日の感覚に、高揚感を覚える。

贅沢にスペースをとったウェイティングバー

歳の差シェフのコンビネーションが、料理をより面白くする

右が古賀純二氏、左が手島純也氏

料理長を務めるのは、18歳で、創業時の「シェ・イノ」に入店し、生え抜きで今も腕を振るう、古賀純二氏。現在の明治京橋ビルに移転したのが、2004年。それ以来、料理長を務め、今年、取締役会長/総料理長に就任した。

調理姿にもベテランの風格が漂う

というのも、今年10月、和歌山の「オテル・ド・ヨシノ」から手島純也氏が移籍し、料理長に就任したからだ。現在は、厨房に二人が並びたち、料理を高めあっている。

これからのシェ・イノを支える手島氏

突然の移籍と感じるかもしれないが、実は、料理人としてのキャリアを始めた甲府の「レストラン キャセロール」時代、毎週休業日にシェ・イノに通って、修業をしたのだそうだ。また、オテル・ド・ヨシノ時代には、古賀氏とのコラボレーションイベントをしたこともあるという。当然、生前の井上氏もよく知る間柄で、その高い技術と人柄に惚れ込んで、最終的に今回の入店に至った。

変えていいものと、変えてはいけないもの

サービスの質がそのテーブルの満足度を左右する需要な役割を持つ

1997年よりサービスを務めてきた、代表取締役社長/総支配人の伊東賢児氏は「井上という後ろ盾がなくなった今、我々は、継承に加え、融合という道を選んだのです」と言う。38年という長い歴史を名店として生き抜いてきたレストランは、そう多くはない。その理由を伊東氏に聞くと「変えていいものと変えてはいけないものの線引きをしっかりすること」との答えが返ってきた。

変わってはいけないことは、意外にもサービスの質の高さだった。井上氏もサービスを非常に重要視していたという。おいしいものを出すのはあたりまえ、その先に、いかにお客様に喜んでもらうかが大切なのだから、と。

豊富なアラカルトメニュー

今ではおまかせのコース料理を出す店がほとんどだが、シェ・イノでは、頑としてアラカルトメニューを大切にしている。もちろんムニュ デギュスタシオンと呼ばれるコースメニューも用意しているが、基本はフランスの文化である、アラカルトだ。つまり、お客様に食べたいものを食べていただくスタイル。また、デギュスタシオンであっても、メニューを差し替えるなど、お客様の要望に応えていくというのが、シェ・イノのポリシーなのだ。「型をしっかり学ぶが、型は作らず、型破りに」がサービスの訓示と伊東氏は言う。

変化というより、進化

スペシャリテの「仔羊のパイ包み焼き マリアカラス風」

一方、料理に関しては、今も燦然と輝く「仔羊のパイ包み焼き マリアカラス風」など、創業時からのメニューもいくつも残っているが、時代に即し、お客様の要望に応えながら、少しずつ変わってきているのだという。例えば、マリアカラス風では、ペリグーソースが添えられるが、バターと生クリームの量を減らし、酒を多く加えて煮詰めることによってコクを出しているそうだ。火入れも以前は、ジャストの焼き上がりで供していたが、それだと食べ終わる頃には肉汁が抜けてしまうので、より浅めに火を入れ、最後までロゼの状態が楽しめるように改良されている。変化というより、進化という言葉の方がふさわしいだろう。伝統を守り継ぐというのはそういうことなのだと思う。