〈僕はこんな店で食べてきた〉

 炊き込みご飯の功罪

日本料理の最後に炊き込みご飯が出るようになったのはいつごろからだろう。きっと僕が知る前にも、そういう店はあったんだろうけれど、僕の記憶では西麻布にあった割烹「つくし」で食べたのが最初だった。
高麗橋吉兆で修業した三角秀さんが大将で、関西風に食いきり料理を出して最後に土鍋で20分くらいかけてお客様ごとに炊いたごはんが名物だった。季節ごとに具材は変わったが、うにをこれでもかというほどのせたうにご飯が名物で、「あの土鍋がわれわれが頼んだやつだな」と思いながら待つのがとても楽しかった。まだ20代のときだ。

 

もっとも僕自身は炊き込みご飯よりも「はりはり風鍋」のほうが好きだった。関西が本場のはりはり鍋はくじらと壬生菜を使った鍋で、東京では四の橋にある「うずら」という日本料理店のそれが有名だが、三角さんはくじらは高いからと壬生菜とお揚げで代用。だが、香り立つ出汁が美味しく、お揚げの油分で出汁にコクが加わり、何杯でも食べられそうな鍋だった。
「つくし」はめでたく繁盛し、西麻布に三階建てのビルを作り、多数の支店も出した。つくし以外は、どれも日常使いできる日本料理店で、時代を先取りした店展開だったが、残念なことに三角さんは急逝し、1990年代後半につくしもなくなってしまった。

が、彼の弟子たちは健在だ。つくしのあったビルの地下にある「酒処やまね」の山根健次さんもそう。当初はつくしのデフュージョン版として位置していたが、いまは土鍋にこだわった料理屋として独自の道を歩いている。特にランチが美味しいと評判で、焼魚、煮魚、かき揚げ、刺身定食などに大きな羽釜で炊き上げられたつやつやなご飯がつく。しかも、昆布の佃煮、しじみの佃煮、生卵が食べ放題だから、いくらでもおかわりしたくなるというものだ。

酒処やまね 出典:二日酔い飯さん

そのほか、女性料理人の丁寧な仕事が人気の西麻布「眞由膳」、昼はやまねと同じように定食が評判の広尾「つくしんぼ」、焼鳥と土鍋ご飯で有名な中目黒「いふう」など、どこも酒のあとの土鍋ご飯が名物で、三角さんのDNAは確実に継承されているな、とうれしくなる。きっと大きなお腹をさすりながら、三角さんも喜んでいることだろう。

 

だが、日本料理のコースという観点から見ると、僕は炊き込みご飯は好きというわけではない。というのも、炊き込みご飯は美味し過ぎるからだ。

僕は日本料理を食べるときにはいつも中学時代の水泳部の夏休み泊り込み合宿を思い出す。きっとスポーツ系はどこも同じようなことをしたと思うが、最初はアップとして50メートル50本。それで身体を慣らしてから本番の練習に入り、夕方にクールダウンとして400メートルを5本ほど泳いで、激しい練習をした体をもとに戻す。
けっして運動が得意ではなかった僕には厳しすぎる練習だったが、本番の練習のあとにゆっくりとした運動をするというプログラムは、日本料理のコースにも似ているように感じるのだ。

 

前菜、先付け、飯蒸といったものは胃をならすためのもの。その後、美味しいものが続いた後には胃をもとに戻すためにやさしいもので〆る、というのが日本料理の伝統だと、僕は思っている。
そう考えると、炊き込みご飯は味が濃いし、美味しすぎ、それまでに食べた繊細な料理の思い出を壊してしまう気がするのだ。せっかく美味しいものを味わったのに、その記憶が消去され、炊き込みご飯の味だけが残るのはあまりにももったいない。

そんなことを思い始めたのは、1990年代後半、いまは虎ノ門にある「と村」が赤坂にあった時代に食べていたころだ。と村の最後は、ご飯にじゃこや佃煮などのセットがついたものか、半田そうめんだった。

と村 出典:ぴーたんたんさん

当時の僕はせっかく高い金を出すんだから炊き込みご飯とか鯛茶漬けみたいなものがいいのになあ、と心の奥では思っていたが口に出せず、店主の戸村さんと話しながら、〆のごはんを決めていた。

だが、何度となく食べているうちに、そうした〆のほうが幸せな気分になることに気づいた。だって、その前に食べたアカザ海老やアワビの味が一日経ってもきれいに思い出せるからだ。それは「ダウン」として〆を食べているからに違いない。

いまは最初から最後まで豪華なものを出す料理店が誉めそやされる傾向にあるが、僕は料理には起承転結、強弱があったほうがいいと思う。だから自分から進んで炊き込みご飯を頼むことはあまりない。ただ、「今日は最後に松葉がにを使ったチャーハン行きませんか」とか「海老味噌を100匹分使ったカレーもありますよ」なんていわれると、ついオーダーしてしまう自分もいるので、偉そうなことはいえないのだが。

 

最近では神谷町「松川」や麻布十番「桂浜」のように、炊き立ての白いご飯と一緒に、いくらやウニ、からすみなど贅沢な副菜を出して、シンプルにも豪華にも終わらせられるというヴァージョンもできていて、これはこれで悩んでしまう。

松川 出典:ぴーたんたんさん

本当は炊き立ての白いご飯と味噌汁だけ、もしくはいっそのこと水をぶっかけた水飯だけで終われるような心境になれればいいと思うのだが、そうなるにはまだ俗物過ぎる自分もいる。